2022年7月18日月曜日

大正四年そして令和四年徳島のまつり

  コロナでろいろな祭りもここ数年自粛だったが今年になって再開されつつある。昨日も図書館にいると藍場浜公園のほうがずいぶんにぎやかだ。「なにごつ?」と藍場浜のほうへ行ってみると「水都祭」とのことで大勢の人が群れている。大音量の音はブレークダンス風の音楽、メロディーはほとんどわからずボンバカ、ボンバカとの8ビートの強力なリズムにあわせ5~6人の青年が仮設ステージで人間の動作とは思えない身のひねり加えたり、ほとんど転倒かと思うような踊りを踊っている。その観客も多かったが、売店ブースのほうも進むのに苦労するほどの人波みだった。

  水都祭の趣旨は知らないが、特設ステジのパッフォマンス、ブースでの出店、そして夜は眉山頂上に上がる花火などに多くの人が引き寄せられてきたのであろう。若い人の中には浴衣姿もいた。いままで渋々したがってきたコロナ自粛ムードを吹き飛ばさんばかりのタダことない熱気だった。今年は阿波踊りも再開されるようで、おおいに結構、これからコロナで萎縮した活動が正常になれば良いと思っている。

 しかし、気になることがある。この日は7月17日、この日から「祇園祭」が始まる。京都では3年ぶりの山鉾巡行がある。しかしこの徳島では?残念ながら例年のような「祇園祭」はない。市内で賑やかな祇園祭は「蔵本のぎよんさん」がある。夜は参道の両側に出店がならび、また境内ではカラオケ大会も開かれ、多くの人が祭りを楽しんだ。私も数年前(コロナ前)夜店を見ながらそぞろ歩き、提灯や灯明で明るい拝殿を参拝し、大げさな振り付けで歌う独特のカラオケ大会を見たりしたものである。下が今日の蔵本祇園社(八坂神社)境内にも参道にも人っ子一人いやしない。


 水都祭の賑わい盛況を見るにつけ、信心深く、参道の夜店やテキ屋の売り声を懐かしくおもうジジイは寂しい思いがする。本来「まつり」とは神事である。しかしいつのころか神事とは関わりない「○○まつり」と称する催しが多く開催されるようになった。宗教色を切り離した今風の祭りなのかもしれないが、祭りは神事であるばかりでなく数百年、中には千年近くの伝統をもったものである。それがフェスティバルと訳した方が良いような「○○祭り」に押され、衰退するどころか断絶に瀕する祭りがあるのは残念でならない。

 「いやぁ、そりゃ、アンタ、杞憂とちゃうで、コロナも納まったことやしぃ、復活するでわだ、その証拠に京都では今年はぎおんさん、やっててえらい賑わいじゃわ、」と言われるかもしれないが現に蔵本のぎおんさんは今年もない。ワイら子ンまいとき、ウチらの神社は神輿を繰り出し盛大に練り歩いたが、いつのまにやら途切れ、神輿のない神事だけやっている。このように何かの都合で(神輿の場合は担ぎ手が不足する)いったん途絶えると復活は難しくそのまま切れてしまうことが多い。

 その例を107年前、徳島市伊賀町の長屋に暮らしたモラエスさんの日記からうかがえる。この時代、そして戦争前までは徳島で一番出店も多く賑やで参拝客や多かった「祇園社」は眉山(大滝山)の中腹(春日神社の上)にある八坂神社である。その現在の姿が下の写真である。蔵本の祇園社と同じで人っ子一人いない(祇園祭の日にである!)


 当時の祇園祭の出店は西大工町(眉山ロープウェイ)あたりから、寺町を通って滝の焼き餅本店あたりまで数百メートル続いていた。参拝客は引きも切らず特に夜混雑していた。私が語るより、モラエスさんが書いた「徳島の盆踊り」から以下の文章を引用した方がその実態が良くしれると思う。

モラエス著・徳島の盆踊り、大正4年7月

 暑い、暑い、ひたすら暑い、そして今は(この暑さの季節)また、祭り、祭り、ひたすら祭り!とモラエスは書いて次につづく

「・・・祇園社あたりの街路を埋めつくす人並みは実に感動的で・・寺町が中でもとりわけ興味深い。人でいっぱいだ。風呂に入って一日中をすごした人々が、夕方、かおりのよい、洗いあげた着物を着て、私と同じように外に出る。道の両側には果てしなく小屋が並び、花、菓子、つめたい飲みもの、果物、女の子やこどもが欲しがるさまざまなちょっとしたつまらないものを売っている。

 奥のほうの道の行きづまりに、祇園社のある大滝山の黒々とした影が威圧するようにそそり立つ。山を見上げると、今やその上の蒼穹には、八日目の上弦の月が美しい輪郭をくっきりと描き出し、あたりに、人々の上に、柔らかな光を放っている。・・・

 人波とともに進み、寺町を通りすぎ、影に沈む山を登ると、中腹の祇園社に着く。」

 大正四年と令和四年、祭りも大きく変わった。

 子ンまいときの夜店が目に浮かんでくる、視覚だけではない、匂いもする。おいしそうな匂いに混じって、アセチリン灯の独特の臭気、ファブリーズなんど使わなくても、洗い立ての着物のよいかおり、この感覚わかる、これも帰らぬ時へのジジイの繰り言。

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