2020年11月1日日曜日

徳島線をトロッコ列車が走る

  徳島線は単線なので停車駅で列車の上下便が行き違う。私が乗った列車が牛島駅ですれ違ったのはトロッコ列車だった。十月と十一月の土日限定で走らせているようだ。十月はよいとしても今月に入れば風が冷たかろうと思う。しかしトロッコ列車は一両で、うしろには普通の特急車両が連結されているので寒ければこちらのシート席に移動し、眺めがよい所だけトロッコのオープンスペース席に座ればよい。

 ヘッドマークは(特急列車についている、これが特急の名称となる)『藍』(あい)号である。百年以上前、ここ徳島平野は(特に吉野川北岸)染料作物・藍の全国一の大生産地だったので「藍」というネーミングは徳島の風土・歴史に基づいた由緒正しい命名といえる。

 
 トロッコ列車客室、遊園地の列車の規模を大きくしたようなものだ。

 いま「トロッコ」と聞いても、思い浮かべるのはこのようなトロッコ列車のことであろう。しかし昭和30年代より以前を知っている人はトロッコという言葉を聞けば、その言葉のもっている本来の意味をイメージする。本来のトロッコとは、土木工事などで使われたのである。いま土木工事で最もかさばるのは、砂利、砂、あるいは土そのものである(土木とはよく言ったものだ)、昔の家の建築などにも赤土や石灰など使ったが、個人の家などの量はたかが知れている。それより大変なのは、堰堤、堤防、あるいは鉄道の通る高台をつくる、また運河、掘、溝などを掘る場合である。多量の土砂の運搬が必要となる。このような土砂は今だとダンプカー何台も連ねて運ぶ。しかし江戸時代は人力である。モッコ(二人で駕籠かきのようにして土砂を運ぶ、棒と編んだムシロ状のモノ)を中心に運んだのである。江戸時代は牛馬もほとんど使わなかった。
 しかし、明治以降になると、さすがこれでは効率が悪い。といって今のようにダンプカーもない。牛馬車はあるが、それよりもっと早く多量に運ぶのによいものがある。すぐに取り外しできる幅の狭いレールを設置するいわば即席の簡易鉄道である。台形の大きな木箱に車輪を取り付ければ出来上がりである。いくつか連ねて往復すればダンプを連ねて運ぶのと変わらぬくらい効率よく運べる(ただし欠点は、簡易レールを敷設しなければならないことで、道があればどこでも行けるダンプとは違う)。動力は?ふつうは人力である。何連も連ねる場合、小機関車が使われる場合もあった。人力でそんな重いものを?と思われようがレール上のトロッコ車は押すときにはかなり力がいるが動き出せばあまり力を入れずに早くレール上を移動できる。このようにトロッコ車は大規模な土砂を運ぶ大昔の土木工事には欠かせぬものだったのである。
 そうはいっても今の坊ちゃん嬢ちゃんにはなかなか土木工事で使われたトロッコを実感しにくいと思う。そんな若い人におすすめなのが芥川龍之介の短編小説『トロッコ』である。これを読むと大昔のトロッコとはどんなものであったかを理解する手助けになる。

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