2020年11月12日木曜日

 懐古の曲 二曲

  22歳歳くらいの頃であろうか、生きていたはずもないのになぜか大正から昭和初期の疑似(ワイが生きてるはずもないので疑似だ)懐古とでもいうような不思議な情緒を感じさせる歌が突然流行ってきた。以前からあった歌でなく新しく作られた「流行歌」である。当時はフォークソングとかニューミュージックとか呼ばれる青春を謳歌する歌がほとんどだった。そのためずいぶん古い(当時の若者からすれば祖父の時代・大正昭和初期)時代の懐古を、私と同年代の歌手が歌ってヒットさせたのである。かなり異色異質な歌だった。

 その流行歌は『赤色エレジー』、演歌っぽい名だが、演歌好きの中高年より若者に受けた(当時の)。作詞・作曲は、あがた森魚、そして歌うのも(いわゆるシンガソングライタというのか)彼だった。後にメロディが八洲秀章・作の「あざみの歌」に似ていると指摘があり、本人も認め、作曲のほうは八洲秀章・作となった。

 ただ「あざみの歌」のほうは八分の六拍子だが、「赤色エレジー」のリズムとなると、なにか物憂く、ゆったりと踊るようなリズムであるため私には三拍子のワルツに聞こえる。

 まずは聞いてみよう、私の好きな歌手である、ちあきなおみさんが歌ったのがヨウツベにあったので共有して貼り付けた。

 ♪~昭和余年は春も宵~、♪~裸電燈、舞踏会、躍りし日々は走馬燈~♪

 歌詞の内容から昭和初期とあるが、裸電燈とか舞踏場などが出てきて、懐古趣味ということで言えば激動のイメジの付きまとう「昭和」というより、大正ロマンの時代を強く感じさせた。

 当時の私にはわからなかったが、この歳になって振り返ってみると、この懐古の情を切々と込めた曲は、そのベースとなるものが、はや大正時代に大流行した、題は「天然の美」という、明治に日本人によって作詞作曲された文部省唱歌なのだが、今ではこの曲は、サーカスの歌、ジンタの歌(ジンタとは大正~昭和初期にかけて広告などで練り歩いた市中音楽隊のこと)としてイメージされる。その曲は懐古の情を伴い、メロディは私が青春時代の昭和40年代でも、折に触れ流れ、その影響力は大正時代からずっと続いてきたのである。この大正時代に流行した曲と、赤色エレジーの曲想は、よく似ている。日本的な音階(ヨナぬき短音階)、そして3拍子、何か懐古を感じさせる詩情が共通である。 この「天然の美」の曲にのせて作られた替え歌があり、これが大正期に大ヒットし、歌われる。

 まずはその替え歌を聞いてみよう、題は『男三郎の唄(夜半の追憶)』、歌は明治末に作られたが、蓄音機が町中に普及し、商業レコードが出現した大正時代に大流行した。録音は大正6年頃とある。古いレコードなので「針音」(パリパリ)が気になるがこれも懐古の一種と考えて聞いてみてください。

 

 大正期に大流行したので「天然の美」よりこの替え歌の方が有名になりました。上の古い音盤レコードは大正6年に録音されたものです。ちょっと聞きにくいので歌詞の一番だけ挙げておきます。

ああ世は夢か幻か

獄舎に独り思い寝の

夢より醒めて見廻せば

あたりは静かに夜は更けて

 この歌延々と百番近く続きます。そのため全曲歌うとすると一時間近くかかります。一番の歌詞からわかるようにある囚人が独房の中より綴った詩をもとにできたといわれています。容疑は3人の殺人、そしてそのうちの一人は少年でその臀部の肉を切り取り、被告はそれをスープにしてある人に飲ませます。まさに鬼のような所業です。特に少年臀部切り取りとそのスープ云々はあまりにもおぞましく、ここでは詳しくは書きません。ただ児童に対する極悪の性犯罪ではないことは言っておきます。これはある「病気」に対する迷信が元になっているのですが、いずれにしろ少年に対する殺人には違いありません。

 予審では被告は三人の殺人と少年臀部切り取りは認めたのですが、本審では否認し、結局、裁判所は二件の殺人(少年殺人)は証拠不十分で認めず、一件の殺人罪で死刑の判決を下したのです。この事件は当然(殺人の上、少年臀部切り取りスープを作るという猟奇事件のため)世間の耳目を集め、新聞は大々的に報じました。取材も過熱し、獄中の様子なども競って報じました、その中で被告が獄中で書いた「詩」が世に出(被告は本審からは無罪・冤罪を訴え続けた)、それを当時の「演歌師」(ヴァイオリンを弾きながら歌った)が「美しき天然」のメロディにのせ歌ったところが人々にもてはやされ、大正期にはレコードに吹き込まれ大流行したのです。被告は大正期の大流行を知ることなく死刑(明治41年)となります。

 大正期に大流行したのは「船頭小唄(枯れすすき)」「カチューシャの唄」「ゴンドラの唄」などいくつかあります。この『男三郎の唄(夜半の追憶)』の歌はそれに劣らず流行し、人々が口ずさんだのですが、あまりにも凄惨な事件が元になっているため歌謡史からはほとんど消されてしまいました。ただメロディだけはそもそもが文部省唱歌であるため残りました。今、「天然の美」のメロディを聞くと、サーカスやジンタ(市中音楽隊)で流れた曲くらいにしか思っていませんが、大正~昭和初期の人がこのメロディを聞くとほぼ全員この『男三郎の唄(夜半の追憶)』歌を思い浮かべたのです。

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