2020年4月27日月曜日

バイラスとは俺のことかとウィルスいい

 お題のフレーズ、よく言われるのをまねている。次のようなものである。

 「ギョエテとは俺のことかとゲーテいい」

別バージョンもある
 
「チョピンとは俺のことかとショパンいいい」あるいは「バッチとは俺のことかとバッハいい」

 欧米の原語で表示された名前をもとに日本語の表記(たいていカタカナだが)に直すと幾通りかのカタカナ表記になる。欧米の原語を忠実に日本語であるカタカナに直すことなど本来無理だが、少しは似せることができる。そのとき耳で聞いた発音を重視してカタカナに直すか、それともアルファベトで表記される文字を重視してカタカナに直すか、あるいは折衷案をとって発音を重視しつつアルファベトも重視するという方法もある。そのカタカナ表記、時代によって変わってくるのが面白い。

 ワイがチンマイ時、昭和30年代は、ウィルスのことを「ビールス」と呼んでいた記憶があるし、その表記も見たことがある。さらにはもっと時代が違うかもしれないが、おいらの記憶にはウィルスのことを「バイラス」とも呼び、表記していたこともある。まあ、ビールスだろがバイラスだろが、はたまたウィルスだろが、指し示すものが一つであることには違いない。しかし、時代とともにその指し示すものの表記が女性のスカトの丈や男のズボンの幅のようにくるくる流行して一つに定まらないのは感心しない。

 その武漢ウィルス、スカトやズボンの流行ならいいのだがいまそれがおお流行りである。こんなもの流行ってほしくないが、それとともに関連した「カタカナ語」も流行りだした。自然発生というのではなく、オリジナルは知らないが、その言葉を広めたのは、あの東京のおばはんである(石原慎太郎は厚化粧のおばはんといい、さらに最近のマスク姿がずいぶん魅力的だとされ、仮面ライダーを髣髴とさせるともてはやされているあの女首長である)。曰く

 「ロックダウン!」(ロックで少女たちが失神した60年代の現象かとおもたわ!)
 「ソシャル・デェスタンス」(社交ダンスの間合いかなんかのことか?)
 「スティ・ホム」(ホームステイがでんぐり返ったんか?)

 はかにもクラスタ、オバシュト・・・などなど、もう頼むけん、こういうのやめてくれんかなぁ。

 カタカナ語をすべて排除したいわけではないが、できるだけ日本語で言ってほしい。微妙なニュアンスが伝わってこない、とおっしゃる方もいるが、学者相手に「術語」を作り、操作するわけじゃあるまいし、一般人を相手に「新造のカタカナ語」を勝手に作ってどうする。ちゃんと日本の言葉で説明しろと言いたい。

 いやぁ、標語的にはカタカナ語のほうがええんですわ、それもあんまし知られていないほうが都合ええんですわ、とのたまう。なるほど、それなら「三密」はどうじゃ?これカタカナ語ですか?これなど真言宗の神聖な言葉を勝手に使いさらしてからに、ええかげんにせぇや。こちらもカタカナ語のシュウキンペイ(集近閉)にでもすりゃぁええと思うが。

 最近、武漢ウィルスで日本の世相がガタガタになるにつれ、つくづく、台湾ってうまく武漢ウィルスを抑え込めて大したもんだと感心しきりだが、台湾は日本のように安易に外来語を用いたりしない。そこで「ウィルス」のことを何といっているか調べるとこれが「病毒」、うぅ~~~ん、素晴らしい!

 でもこの「病毒」、そもそも日本語の医学術語として日本で作られたものである。日本は江戸時代の18世紀に杉田はんや前野はんが「ターヘルアナトミア」(オランダの医学書)を苦労して日本語に翻訳して「解体新書」を作った。その時、安易にカタカナ語を使うことなく、人体に数百ある骨、小骨一本もらすことなくすべて翻訳した漢字の文字を当てた、他の医学学術用語もすべて漢字に翻訳した。真の翻訳作業の創造性とはこういうのを言うのだろう。そしてワイのブログでたびたび引用する百年前のあの内務省衛生局には「濾過性病原体」である「病毒」(ウィルス)の術語が用いられている。

 何のことはない、そもそものウィルスの漢字訳語は日本で作られた「病毒」であったのだ、それはそのまま台湾(大陸中国も同じ)に輸出され、今日まで大切に使われているのである。日本は戦前台湾を植民統治したが同時に台北に帝国大学を作り熱帯医学研究の前線をおいた。百年後、その愛弟子台湾が「病毒」という日本ルーツの医学術語を使っているのに、おっ師匠はんだった日本がいまや怪しげぇな外来語の氾濫である。

 「青は藍より出でて藍よりも青し」とはこのことであろう。今までのところ台湾以上に防疫で成功している国はない。

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