2020年4月14日火曜日

お薬師さんとはやり病

 風は強いがいい天気になったので大滝山の麓~天神さん~新町川~旧寺島川沿い、そして徳島城公園まで散歩した。

 大滝山麓には「お薬師さん」(薬師如来のお寺)がある。この辺りを歩く時必ずお参りしていく。

 前にお参りしたのは一週間ほど前、4月8日だった。この日はお薬師さんの御祈祷日で本堂には大勢の人が集まって御祈祷していた。お経や真言をとなえる斉唱の声とともに伴奏の大太鼓の音がリズミカルに聞こえていた。「ドンツク、デンツク、ベチ、ポン、パン」、それに合わせて十三仏の真言、そして最後には般若心経が聞こえていた。

 本堂の前に桜の老木がある。桜は満開をやや過ぎて散り初めの頃を迎えていた。
 下が4月8日の動画、たった4秒間の落花の舞、花びらが見られるかな?
 そして一週間後の今日のお参り。満開だった桜はまだ多少花は残ってはいるもののすっかり葉桜になっている。この桜の老木の下には江戸末期に活躍した医者(藩医と呼んでいる)の記念碑がある。読むと種痘を四国で初めて施した人であるという。種痘は天然痘の予防ワクチンのことである。一見、なんでこのお薬師さんの境内にこの人の碑があるのじゃろ。と思うが、よく考えるとなるほどと思う。


 この人は江戸時代の「文化年間」に生まれたが、この時代、幼児の死亡原因で最も多かったのは疱瘡(天然痘)であるといわれている。ワイのチンマイ頃(昭和20後半から昭和30年)には村落のはずれに石を積んだだけの石塔やこけしみたいな小さなおっぞうさん(地藏)があった。祖母に聞くと

「ありゃなぁ、疱瘡地蔵さんや、横によ~けある小さな石塔は疱瘡で死んだ子ぉらの供養のため、おっぞうさんは死んだ子ぉらのおまもりゃ、むかしゃぁ、疱瘡が流行った時は、このおっぞうさんに赤い前垂れ作ってかけて、どぉぉぞ、おっぞさん、疱瘡が軽ぅすんますよ~に、ておがんだもんや」

 このワイのバアチャンの話に、おっぞうさんに拝むが言葉がてくるが、それは、どうぞ疱瘡に罹らないように、ではなく罹って軽くて済みますようにである。江戸時代、疱瘡は麻疹同様一度は罹らなければならない通過儀礼のような(ずいぶん怖い通過儀礼だ)ものでどうしてもかからなければならないならば、せめて軽いことを願い、女の子らは疱瘡の痘痕(あばた)が残らないように願ったのである。それほど疱瘡(天然痘)は蔓延していた。

 江戸期後期、人口は停滞期がつづく、理由として乳幼児死亡率の高さがあげられるが、その原因の一端が疱瘡による死亡である。その疱瘡に罹らないようにするのが「種痘」(ワクチン)である。これは18世紀末英国のジィェンナにより、牛痘(牛の伝染病)から作られたのである。この「種痘」(ワクチン)を接種することにより、天然痘による死亡をほとんど0にすることができるのである。幕末、西洋からその技術が入り、その驚くべき効果に注目した蘭医を中心に日本に広まっていくのである。その四国における先駆けとなった人がこの碑の人物であった。

 あの疱瘡地蔵や石塔は区画整理や新興住宅建設のためいつのまにやら無くなった。今は天然痘も撲滅され(伝染病では唯一撲滅宣言が出た)、疱瘡地藏に平癒を祈らなくてもよくなった。しかし、病気はなくならない。今でもお薬師さんに病気平癒の願をかける人は多い。そのお薬師さんの境内に疱瘡撲滅に努力した先人の業績をたたえる碑があるのはふさわしいことである。

 ところで皆さん、「ワクチン」の語源知ってましたか。英語ではvaccineですが、これラテン語からきています。ラテン語でvaccinus、これは牝牛の意味です。なんで牝牛?それは牝牛の乳しぼり女がこの牝牛から牛痘に罹り、ほとんど症状が出ないにもかかわらず、人の天然痘に対して強い免疫を持つことを、英国のジィェンナが発見したという経緯からきています。どんな連想を繰り返しても、この話を聞かない限りは、ワクチンと牝牛は結びつきにくいですね。

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