2020年4月29日水曜日

こんぢゅワル

 感染者が全国で三番目に少ないウチラの県でもアッチャコッチャが閉まり、行くとこがなくなっている。今日からマックも閉まった。田舎のマックは朝からジジババの憩いの場であるのに。近くの公園も利用自粛の看板が。感染増大の都会じゃあるまいし、ちょっとやりすぎじゃないかと思う。

 この武漢ウィルス、かなり性質(タチ)が悪い、タチが悪いというのは致死率ではない。むしろ他の指定伝染病に比べて致死率が低いことにタチの悪さの原因がある。タチの悪さのもう一つは軽症者どころか感染しても症状の現れないものが非常に多いことである。ウチラの方言ではこんなタチの悪さを「こんぢゅワル」という。もし致死率が高い伝染病なら厭も応もなく隔離、封鎖、接触禁止である。しかしこの「こんぢゅワル」の武漢ウィルスは潜在的に広がり、また顕在化して症状が出たものであってもそんなに高い死亡率を示さない、そしてその多くは7~80歳の高齢者が多い。そうなるとかなり緩い、自発的な自粛で何とかしようとする。日本やスエデンみたいに。またこの致死率の低さと疫病規制による経済の落ち込みとの両者を天秤にかけ、あまりにも経済的損失が大きいため、もう規制を緩めたいという誘惑にかられる。アングロサクソンの国々(米、英)などはかなりその誘惑に駆られている。

 その誘惑に駆られて規制を甘くするとどうなるか、再び感染が大きく増えそうである。武漢ウィルスの「こんぢゅワル」なところはまさにここである。緩めた結果、感染爆発が起こると、この性ワルなウィルスに口があったらこういうだろう
 
「ざまぁ~、みさらせ!」

 もう一度言うと、もしこのウィルスが非常に致死性の高いものならば緩めるという誘惑には乗らないだろう。そこそこの致死率だから、自粛あるいは法的規制の結果、甚大な経済的被害が出ることに怖気を感じて、もういっそのこと止めてやろかとなるのである。

 例えると火事がいって逃げ場がなくビルのベランダに出ている人がいるとする。もしその高さが30mもあれば、破れかぶれの絶望状態にでもならない限り飛び降りるという誘惑にはかられないだろう、しかし5mくらいならば、大けがで済んで死ぬこともあるまいと飛び降りる誘惑にかられる。これが「こんぢゅワル」をするものの場面設定である。(完璧なワルならば絶望的高さに追い詰める)

 この「こんぢゅワル」ウィルスの『ざまぁ~、みさらせ!』という憎まれ口を我々は何度か聞いた。日本のダイヤモンドプリンセス号の感染対策を対岸の火事と見ていた欧米諸国はやがて感染爆発したし、日本でも三月の連休でちょっと気が緩み外出が多くなると、二週間後てきめんに感染者が大きく増えた。まさに『ざまぁ~、見さらせ』とウィルスに言われているようである。

 さて、よその国はおくとして、我が国では5月6か7日に今までとってきた自粛、規制をどうするのかという期限が来る。行政府もかなり判断が難しかろうと思う。人命優先と経済活動の正常化が同時に達成できればいいが、そのような方策が果たしてできるのか。判断に迷うとすると今までと同じ状態をズルズル続けるという選択肢をとるかもしれない。しかし多くの人に強いたこの抑鬱的状態はとてものことに長続きするようには思えない。

 私などは病弱なジジイで武漢ウィルスに罹れば死ぬかもしれないが、もうスエデン方式を採ってもいいんじゃないかという気がする。(アメリカも州によってはスエデン方式を採用するかもしれない)、ちなみにスエデン方式とは、国民の自律に任せ、規制はかけず、緩やかな蔓延も許しつつ医療体制はしっかりと充実させ、重症化率、死亡者を極小化するやり方である。

0 件のコメント: