2020年4月18日土曜日

真言密教の言葉を手ンごろ易く使うな

 ツツジの名所、椎の宮さんに行ったが、まだほとんどがつぼみでツツジの道を歩くには早すぎた。
 お宮さんだが大師堂がある。

 そうそう前のブログで言っていた、村はずれにあった幼くして亡くなった子の供養塔、小さな疱瘡地蔵さんも、こんな大きさ形だった。これも風化が進んでいるが、大師堂の敷地にきちんと並べられている。おそらく近くの路傍にあったものを区画整理や住宅地建設のためここに集められたのだろう。

 大師堂の前には光明真言の石塔が立っている。真言宗では光明真言をとなえればどのような災厄もまぬがれるといわれている。江戸期にここ四国では光明真言をとなえる、それも百万遍繰り返し唱えること、が大流行した。百万回となえると、このような供養塔を立てた。

 真言宗では真言(呪文)などを特に重視する。そして居ながらにして即身成仏となり救われるという信仰を持っている。その即身成仏に至る大事な加持に「三密」がある三密とは「身」「口」「意」である。手(身)に印契を結び、口に真言をとなえ、心(意)には大日如来を観想し一体となる、ように、言われている。

 その三密であるが、急に別の意味で使われだした。「三密」禁止である。はじめ聞いたときはオイラの家の宗旨が真言宗のためか、すぐ真言宗の言う「三密」をイメージした。しかし世に言われるのは「密閉」「密集」「密接」の三密である。武漢ウィルス感染を防ぐための方策である。それで「三密禁止・三密を避ける」ということになるらしい、しかし歳ぃいってそろそろワイも即身成仏せにゃとおもいつつ、なかなか密教の修行に踏み出せないオイラとしては、真言宗の大事なエセンスの「三密」をこのような標語に使ってほしくない。

 そう思っていると、一昨日、経済評論家の上念はんが、私は「三密」とは言いません。皆さんも「しゅう、きん、ぺい」(集、近、閉)と言いましょう。といっていたので、ああ、なるほどそっちがええわと思ったが、上念はんより、東京都のおばはんが言った「三密」のほうが影響力があるわな。みんな「しゅう、きん、ぺい」は使わんじゃろ、でも三密より、集(まるな)、近(づくな)、閉(じた空間あかん)のほうがわかりやすいと思うが、皆さんはどう思われます。

 しゅうきんぺい、を避けようでは外交問題になる?

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