2011年4月22日金曜日

いとも弱くなった国家にやまさん、嘆く

 国の意義・存在理由の思想的根拠などのイデオロギーに関することなど、ブログ上に書きたくないんですが、これはひどい、と思うことがあり、どうしても書きたくなって書きました。

 歴史や文化の継続・日本の統合を象徴する陛下はおくとして、日本の国家を人格的に体現すると思われる第一人者は誰でしょうか。

 やはり内閣総理大臣でしょう。行政権の最終的な総攬者であり、三軍の長、そして緊急時には超法規的措置(昔の戒厳令)の権能も有すると考えられています。国家意志というものの最終的な決定者であり、最終的な責任者をあげるとすれば首相しかありませんね。
 その意味で国家を体現できる人は首相ですよね。

 その首相、昨日、福島原発の避難住民を見舞いに行きました。そしてその時の住民とのやり取りがTVで流されました。かなりインパクトのある映像なので、どこの局も繰り返し流してます。
 避難住民のおじさん、おばさんから、非常に厳しい言葉を浴びせられていました。ご覧になったかたもいるでしょう。具体的な内容はTVを見てください。
 強い言い回しや、きつい言葉を発することも受けることも嫌いな私としては、

 「これは!ほとんど罵声に近いんじゃないか?」

 首相にたいして、タメ口どころか、まるで自分の子供が不始末をしでかして叱るような口調としか私には思えませんでした。
 
 「ああ、嘆かわしくて、見るに堪えない」

 このおじさんやおばさんの怒りの正当性は、わかります、わかるんです。こんなひどい目にあい、これからもひどい目に遭うかもしれない人に対し、もっともな言い分だと思うのですが、

 「この場面、私は同調して、受け入れられません」

 たとえ能力がなくて首相になっていても(結局、それが最大の悲劇かもしれませんが)形式的には国家を体現する一人者です。それなのに

 のこのこでかけたところで、被害者とはいえ一庶民から、私には面罵としか思えないようなきつい言葉を受けた。それを繰り返しTVで流される。これほど国家の威信が傷つくことがあろうか。
 これはひとえに首相の責任だといえる。放映されるこのような状況を作り出した首相がもっとも責めを負うべきである。

 「やまさん!やまさん!あんた、右翼?今時、国家の威信?なんじゃそれ、アナクロはたいがいにせいやぁ~」

 とお叱りを受けそうですね。
 でもね、国家は機能のみじゃないですからね。国民は「国家」というある意味、神話的な架空の虚構を「信じ」それによって成り立っている部分があると思うのです。
 どこの国の憲法もこの神話的虚構を長々と書き綴っています。
 
 「・・・・・・・・我々の厳粛な付託のもとに、ここに政府を構成し・・・・・・云々」

 憲法によくつかわれる言い回しですが、「我々の」部分を「神」に置き換えれば神話の国づくりと同じこと。

 この「信じ」と一体をなすものとして「畏れ」もなければならないと思うのです。本当の土壇場という緊急事態時に「生殺与奪」の権能も国家は有するものなのです。みなさんは信じたくないかもしれませんが、それはそうなのです。

 「背に腹は代えられぬ。」

 決断できなければならぬのが国家で、この意味で、どこか、それはいつもそうではないけど、いざというときには非情な決断ができる「国家」にたいする我々には「畏れ」がなければならないのです。「畏れ」は、恐怖ではなく、うやまい、かしこむ、という意味の。

 昨日のTVでまるでクレーマーの処理係りのようにきつく言われっぱなしで、あたまをひょこひょこ下げるしょぼくれた顔と電気工事の制服姿の首相を見て、

 「ここまで、国家は弱くなったか!」

 「国家を、うやまい、かしこむ、畏れというものが、この映像で微塵もありもしないことがわかりました。」

 「なるほど、国家は虚構で、そんなものぶっ潰されました。そして国家は各団体の利害調整機関の最上位にしかすぎぬものであらゆるものは横並びだということが、よ~わかりました。」

 でも、日本の周りの国は、強い意志を持った国家を標榜してる国ばかり、もしこれらが我らに国家意思を押し付け緊急事態になったとき、

ねえ、ねえ、こんなんでいけるん?

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