2011年4月7日木曜日

これはアバラが折れとる

 4日前に風呂を掃除していた。洗い場にしゃがみこみ浴槽の中へ手を伸ばしタワシで洗っていた。胸のアバラの浮き出たところに風呂タブの縁が当たっていたが無理して、タブの奥を洗おうと胸の脇が強く押し付けられたとたん、グキ、痛みが。
 痛みはすぐおさまったがそれから日にちを経るごとに痛くなってくる。今日は咳をしても痛い。

 10年以上前も、神戸へバスで行っていて席でかがみこみ、落ちた何かを拾おうとしたとたん肘掛でグキ、同じように日を経るにしたがって痛くなった。この時もアバラが折れていた。

 今回も同じと思う。でも、折れてはいるが
処置しなくても自然治癒で治るとおもう。少々アバラが折れても、実際の治療では、病院はギブスなど巻かない。自然治癒にまかせ、せいぜい湿布をくれるくらいである。
 だから放っておくことにした。

 咳をすると痛いが、他は別に不都合がない。内に折れ込んで肺に突き刺さっていれば、ちょっと困るが上から触った限りでは変形などしていないから大丈夫。

 もう私の体は故障だらけである。車に例えれば廃車寸前のポンコツ車、今回の故障などはボディが少しへこんだくらいだろう。

 夜、今日も健康の為ウォーキングに出る。同じように夜歩くたくさんのご老体に出会う・・・マル!
で、終わるつもりだったが・・・・・

 私も含め、夜このようにエネルギーをどしどし発散させながら歩くご老体が多いのを見てあることについて考えさせられた。
 
 今回の原子力事故の処理人員についてビートたけしと曽野綾子が同じことを書いていたのを思い出した。それは
 
 「60歳以上の人々で老人決死隊を作って若い人に代わって作業すればよい。」
 
 なるほどこれはいい。私は進んで応募に応じます。と言っても技術がないから大したことはできないが、バルブの開閉や消火ホースを持つくらいはできそうである。
 高齢になっているので生殖機能への放射能の影響なども心配しなくていい。若い人の生きのよい細胞なんかは放射能に敏感で致命的になるかもしれないが、わたしのような老化した細胞だともしかしてうんと鈍感になっていて耐性が何倍もあるかもしれない。

 「はいはい、わたし行きます。」

 是非行かせてください。この歳まで生きたからそう思い残しもありません。若い人のこれからの人生の長さ、価値に比べたら惜しくありませんわ。

 老残をさらし、忘れ去られフェイドアウトするより、みんなに役だって名誉に死なせてくれるなんて、むしろありがたいことです。

 こんな素晴らしい死に場所を提供する「老人決死隊」を作れば、私も含め我も我もと大勢が申し込むような気がします。

 そうそう、週刊誌によれば、原子炉危険手当、一日8万円と言ってた。これも魅力だわ。直葬でも最低30万はかかるから、もらった手当で葬式代くらい出せれる。残された親族に迷惑もかからん。

 ほんまに老人決死隊編成せえへんかいなあ~。

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