2010年11月18日木曜日

読書の秋

 年老いて目も集中力も弱くなっているが、本はできるだけ読もうと思っている。インターネットを一か月前に引いてからは、ちょっとしたことはインターネットで知識を得るようになっている自分に気がついた。引く前は本をひっくりかえし、あれこれと本を手にとって調べていたが、最近は安逸に情報を得ている。
 辞書類は別として、やはりしっかりした本を完全に読みたいものである。最近は経済的な理由から本は新刊も含めて図書館で借りて読んでいる。新刊が結構、借りられる状態になっていて、あれもこれもと目移りして、たくさん借りるが、期間内に読めず未読のまま返すのがある。
 2,30代までは今から振り返るとびっくりするほど本を読んだ。自然科学、社会科学、歴史、哲学そして文学と何もかも。でも60歳になってほんとに読む冊数が極端に少なくなった。
 読む気はまんまんでも未読、読み残しが多いのも老化の一種だろうか。
 昨日までに完全読破しておもしろかった本がある。「ヨーロッパ中世ものづくし」という本である。専門書というより教養本である。ヨーロッパ中世云々、などという題から専門書と思うが、誰が読んでも面白く書かれている。日本人には、ヨーロッパ中世ファンがたくさんいるからこんな題でも手に取り読む人は多いようである。
 一章には眼鏡のことが書かれている。眼鏡が発明されて、写本をする修道僧、学者の間で広まり一般化したのは中世期であると、当時書かれた本などを引用して、著者自身断定はしていないが述べている。
 私は若い時から眼鏡のお世話になっているから関心をもって読んだ。文字ばかりの本ではなく、カラーの当時の絵画も多く入れてあって理解の手助けになっている。
 ちょっと残念なのは、これらの眼鏡は凸レンズらしいことである。私のような近視に必要な凹レンズは、いつ頃から使われたのがはっきり書かれていなかった。近世には(16世紀)あったことは確かだが。
 また、当時の本の引用という形で中世ヨーロッパの発明とあるが、ほんとにそうかな?と思う。普及したのはこの時期だろうが、はたして古代、また他の文明圏にはなかったのか、もうすこし著者に書いてほしかった。
 目の角膜の内側には透明な水晶体があり、凸レンズと同じ形をしている。死体を宗教的理由などから解剖した古代人、またさまざまな文明圏の人もいたはずである。目の解剖を通じて、凸レンズ様の水晶体を知ったはずである。そして、視力の弱った人の目に水晶やガラスで同じように作った凸レンズ様のものをおけばどうなるか、試した人は絶対いるに違いないと私は思う。
 たまたまの偶然でも、それもたった一度だけ、ほんの一瞬でも、それを通した世界はびっくりするくらい鮮明になったはずである。それがレンズの発明であり発見ではなかったのだろうか。この神の啓示のような目とレンズの接触は、驚異をもって知られ、忘れるにはあまりにもインパクトの強烈なことであった。
 つまり、どこの時代、どの文明でも起こりそうなことである。
 ヨーロッパ以外の文明、時代から証拠がみつかるかもしれない。
 などなど、本の一章を長い時間かけて読む間、このようなことを考えている。
 最近本を読むのが遅くなったと言ったが、まんざら悪いことばかりではない。読んでいて感動したところや、疑問に思うところでは、本を読むのを中断し、一服しながら考えるようになった。食べ物に例えると、若いうちはなんでもがつがつとたくさんの量を早く食べ、それが早い成長に寄与したが、年寄ると栄養はともかく、少しの量を歯も弱ったせいもあり、長く咀嚼し味わいながら食べるようになるのである。
 本も吸収する知識はうんと遅くなったが、そのぶん少しのページを長く噛みしめながら味わうようになった。

1 件のコメント:

ワンピースファン ルフィと仲間たち さんのコメント...

ヨーロッパは、文明を進化させてきたり
高貴の人々が昔から多いようですね。
日本と違ったおしゃれな生活スタイルのような気がします。