2024年9月5日木曜日

昨日 晩夏の一日の出来事

  九月になってもまだまだ暑いが、それでも朝晩はよほど涼しくなった。また日中でも陰に入れば、涼しさを感じるようになってきた。秋というには戸惑いがあるが、昨日などは晩夏の一日といってはいいのではないだろうか。

 その晩夏の昨日、あまり新しいことをしたがらないジジイのワイであるが、お決まりのルーティンを離れかなりな行動を起こした一日となった。かなりな行動と言っても若衆(わかいし)からみれば、ふん、それくらいのこと!ちゅう大したもんではないが後期高齢者に近いジジイである、結構な体と脳の刺激になる行動的な一日であった。

 このブログを読んでくださっている人には知れたことだが、私は区切り遍路機会を見つけ一日、決めた遍路道を歩く)をやっている。やがてそのトータルで八十八ヶ寺が回ればと思ってやっているが、その完遂にはほど遠い。徳島には一番から二十三番までの寺および遍路道がある。今のところその8割方は歩いた。そして香川の遍路道順路は、虫食いのようにホンのちょびっとだけ歩いている。

 さて、その徳島でも二割びゃぁ残っている遍路道の6番はんから5番はんまでの約5kmを歩いて巡礼しようとしたのである。あ、ここでちょっと補足するが四国の巡礼道・寺は順回りでも逆回りでも一つの寺から次の(次寺あるいは前寺)寺までの道を歩けばその区間は終わったものとして四国遍路道のその区間を塗りつぶすことにしている。だから順だろうが逆だろうが寺々の道を歩けばその区間は終えるものと(自分で)しているのである。

 そこで出発寺の六番はん近くにある鍛冶屋原行きのバスを待っていると、友人からの電話である。用件は「文化の森で開催されている恐竜展へ行けへんで?」ちゅうものであった。なんか小学生や中学生が好きそうな博物展示であるが、その友人もワイも歳ぃいった割にはそんな地質・科学展は好きなので、歩き遍路は置いといて今度また、ちゅうことで行くことにした。

 入場料はシニア割引でもなんと1200円である。なんでも物価高で博物展入館料もずいぶんとするようになった。友人は興味があってワイを誘ったのだが、恐竜をはじめとした地学史はワイの方が詳しい。それに入館料もおごってくれた。そこで嬉っせげぇに友人にあれこれ解説していたら、そんな解説いらん!と友人に怒られた。それでも「このトリケラトプスのトリは三つちゅう意味やけんど、ケラっつうんは、ほれケラチンちゅうタンパク質聞いたことがあるやろ、つまりこりゃ角の成分や、つまりケラっちゅうたら「角」を表すんや、じゃからトリケラトプスは、三つの角をもった恐竜や」なんどと、うそかホンマか定かでない説明を小声で、風呂の中の屁ぇみたいにブツブツ垂れていた。友人は完全に無視。

 したがその展示館の様子。



 単純におもっしょかったのは、ティラノザウルスが「パガオォォォ~」などと大きな吠えながら口を開けて動いたのである。迫力あったし、小ンまい子ぉなら恐怖で泣き出すかもしれんリアル感があった。下が動画。

 


 見終わったが時刻は二時ちょっきしくらいである。友人は車に乗っているので「これから区切りの歩き遍路するんでよかったら六番はんまで送ってくれへんで」ちゅうたら快く承知してくれたので、ちょっと遅いかもしれんと思ぅたが、それから六番まで行き、三時くらいから歩きを開始した。


 菅笠、金剛杖、輪袈裟、などの格好はしていたので数珠を手にまず六番はんのお薬師さんをお参りした(だから文化の森の恐竜展もその格好で恥ずかしげぇもなく見学したのですよ)。その六番はんの寺付属売店には金剛鈴、左のようなものを売っていた。まだ持っていなかったので二千円出して買った。それを振るとチリンチリンと澄んだ音がする。冗談に、あばさかって「ジジイ遍路に、御報謝ぉぉぉ~」とか哀れっぽくいい、人のいない道で、鈴を鳴らしながら歩いてみた。

 途中、70年以前に、たった数年間、父、母、乳児の妹、そして三歳のワイがすんでいた家があった跡地を通った。その父母妹はもうこの世にはいない。ワイ一人が残されてしまった。その跡地で立ち止まり、般若心経の短いお経をあげた。

 途中、ワイが幼児の時には、通っていた国鉄鍛冶屋原線の跡地である旧神宅駅のあとを通った。今は二車線の道が走り、バス停がこのようにあるだけである。


 そして約5km歩き、五番はんのお地蔵はんにお参りを済ませ、近くのバス停・羅漢から帰路についた。徳島駅に着いたのはもう薄暗くなった午後7時であった。くたびれそうな一日だったが、意外と疲れず、次の日の今日も割とピンコシャンコしている。 

1 件のコメント:

Teruyuki Arashi さんのコメント...

充実した日々を送られていますね。