2024年9月26日木曜日

やってきましたワイの好きな季節と花が

  あくぁぁい花なぁぁら~、まんずぅしゃぁぁげェェェ~、オランダ屋敷に雨がぁふぅぅる~チャカチャンチャン


 野原、あぜ道、墓地などでようやくと曼殊沙華の群生の真っ赤な花が見られるようになった。昨日午後、飯尾川沿いをあるき、曼殊沙華の群生を撮ってきた。まだ蕾の状態の花も多く、この分だと十月に入っても満開の花が見られそうである。例年だと十月の声を聴くころには立ち枯れて、入れ違いに細長い葉が伸びてくるのだが、今年はずいぶんと遅い。

 曼殊沙華の特徴として、葉は全くなく、茎のみがスックリと一本延びていてその先端に派手な大輪の花簪(花かんざし)のような花が一輪ついている。よく見ると不思議な花である。




 私はこの曼殊沙華、一般の人はヒガンバナという方が親しみがあるだろうが、大好きである。しかし、これもまた一般の人には人気がある花ではない(最も今の若い人は違うイメージで接しているかもしれない)。むしろ縁起の悪い花として忌避する人が多い。
 
 彼岸花と呼んでいることでもわかるようにこの花は秋のお彼岸頃に咲く。お彼岸は、先祖の霊に感謝し、慰めるため墓参りをする日である。そもそも「彼岸」という名詞は死後に至る世界を表す。そのため名前と言い時節といい、なにか「あの世」や「霊」のイメージに結びつきやすいようだ。おまけに墓地などに好んで咲く。そのため昔の人ほど縁起悪い花として見る。

 別の嫌う理由としては、花全体に毒をもっている、とか、茎を折った時に発する匂いが悪酔いするようだとかあげる人もいる。しかし私はそんなことには全然頓着しない、上から見るとまるで万華鏡のような複雑な放射状の花は、本当に美しいと思う。それに花期が短いのもいい。あっという間にその美しい花を見せる時期は過ぎ、あと長々と一年間待たなければ再びみられない。その短い時期に、ここを先途とパッと咲く花は潔く美しい。桜がそうである。しかし桜はほぼ万人に愛されるがこの曼殊沙華は違う、なんか不当な気がする。

 この花を見ると私は昭和13年のレコド「長崎物語」を必ず歌う。

 鎖国時代、ハーフであるため海外に追放され、「日本こいしや、一目見たや」と言いながら帰国を果たせず、異国でなくなった「ジャガタラお春」という一女性の悲運な一代記を3分40秒の歌にしたものである。

 出だしの、♪~赤い花なら曼殊沙華~・・濡れて泣いてるジャガタラお春~で曼殊沙華が出てくる。これは、こんなに美しい花でありながら、人の偏見によって邪険に嫌われているのを、お春と重ねて歌っているのであろう。また曼殊沙華のその儚く短い命(花期)もそのイメージを盛り上げている。

 曼殊沙華が「歌」「ポエム」に取り上げられるのはこの歌「長崎物語」も含めてそう多くない。その少ない中で、新美南吉の絵本「ごんぎつね」の曼殊沙華の花は印象的である。「畔に赤い布を広げたような曼殊沙華の」、そして「葬列の」(江戸期喪服は白が主)は、子どもに、母を亡くしたかわいそうな与十、そしていたずらするのでなかったと強く反省するごんぎつねの、色による強烈なイメージを与えている。

 さぁあ~、今晩、銭湯に行って、この「長崎物語」の歌を、唸るぞぉぉぉぉ~

1 件のコメント:

Teruyuki Arashi さんのコメント...

歌に銭湯いいですね。