2024年9月20日金曜日

お彼岸の入り

  昨日は彼岸の入りだった。「もうお彼岸なのにぃぃ~~」と恨めしく思うのは、連日つづくこの暑さ。私の小ンまい時、祖父母がよく言っていたのは「暑さ寒さも彼岸までや」である。楽しかった夏休みが終わっているのに、昼間はまだ暑い日が続いていて、「暑ぅ~い、もっと夏休みが欲しいわぁ~」と不平をいうと、その言葉を返された。毎年のようにそのようなやり取りが繰り返されたが、確かに彼岸が近づくと、暑さはおさまった。なるほど、その言葉はホンマやわ、と子どもだが季節感として刻み付けられた。

 しかし、地球温暖化っつうのだろうか、近年、そのような季節感も変化してきているようだ。きにょうは県内で猛暑日を記録し、きょうも同じような猛暑になるという。昨日のブログでも紹介したヒガンバナもお彼岸より遅れて咲くようだし、こりは気候帯が熱帯に近づいているような気がする。彼岸の入りに猛暑日なんぞ、聞いたことないわ、と思うのも当たり前、気象台の観測史上最も遅い猛暑日とかいってた。

 そうそう、例年だと、彼岸の入り頃になると、気温の低下や雨の日が多くなって、お墓に樒の花を上げても葉が黄色く変色したり、花生けの水が大きく減ることもなかった。だから秋分の日の一週間くらい前に墓掃除に行って樒の花をお供えしたものだった。しかしこの猛暑・カンカン照りである。一か月前のボニのころなぞは前日に墓にあげた樒の葉が黄色く変色していたのである。そんなに早く樒をあげても彼岸中日までに枯れるのがおちだから、墓掃除は早めにしても花を上げるのは控えていた。

 しかし昨日は「彼岸の入り」三日もすれば秋の中日っつあんだ。あまり直前ちゅのもどうかと思い昨日の彼岸の入りに、農産市でできるだけ新鮮な樒の花束を三つかって墓にお供えしてきた。枯れるのが心配だから日に一度(早朝か夕暮れ)は花立に水をやりに行くつもりだ。幸い、墓が家から数百メートルびゃぁだ。

 ところで墓用の花であるが、ウチらへんでは樒(シキミ)一択のところが多い、昔、子どものころ祖父母に、なんでもっときれいな花をあげんの?とい聞いたら「色花はあかん」と理由も言わずいわれた。秋の彼岸頃には、墓地などはヒガンバナが真っ盛りできれいな赤い花をつけている。子どもごころに、まるで自然がお墓に飾る花を供しているようだ、とおもった。何本かとって供えようとしたら、「それは葬斂(そうれん)花じゃけんど、墓にや供えるもんとちゃぁう」と、また言われた。そういうものかとこの歳まで墓用は樒一択で来ている(仏壇は菊などもあげるが

 前々日、その樒を買うのに遅くまで開いていて便利な量販スーパで見たら、一束450円もする。高いのでやめて、次の日、地産を扱う「農産市」で樒をみると、墓用にちょうど良い高さ数本が束になったのが200円びゃぁだったのでこれを三束かった。仏事にケチるのはどうかと思うが、同じ品質で安ければ仏さんも許してくれるだろう。

 そんなことを思いながら当日のローカル紙(徳新)をみると阿川佐和子さんがエッセイを載せている。その主題が墓参りの花である。阿川佐和子はんの家の風習では墓花は色花を供えるようだが、問題はその値段である。花屋で墓参りに調整された花束を探すと、一束数千円である。連れ合いは6本かうという、阿川はんはもったいないから本数を減らしては、という話になったが、ご先祖様にケチるなと、言われそうだとの懸念なども書いていた。結局、別の花屋でも探し、バラにして花々を買い、家で6束にして5000円で済んだから、比較的安かったと感想を書いていた。え、5000円で安いってか?ほな、うちの三束で600円はずいぶん安いようだ。これも樒一択だからか。



 実のところ、お彼岸の墓参りの必要アイテムを安く上げようとすれば、「百均仏具コーナー」がお勧めである。上述の樒であるが、造花の樒が百均にある。左のようなものである。これを墓の左右花立に三本づつ、計6本買っても600円びゃぁである。「香華を手向ける」という言葉の「華」はこのように百均で調達できるし、「香」は「線香」としていろいろな種類が百均にある。お茶の香り、さくら、ラベンダー、それから白檀ちゅうのも(本ものだと高級品だ)ある。数珠も同じコーナーにそろっている。

 いくらなんでも百均グッズでお参りされても・・ご先祖様はどうおもうか、と阿川はんの懸念もわかるが、いいわけのようだが、参る人の供養しようという「こころ」が大事なんじゃないかなと思う。いや、やっぱ、ほれではアカン、ちゅう人は、豪華な葬式の方が良くて、悼む心がこもっていても簡素な葬式はアカンちゅうんやろか。最近は豪華な葬式は流行りまへんで。お墓の仏さんにしても、彼岸が来て「仏、ホットケ!」でおまいりもしない人より、百均グッズでもお参りしてくれる方がずっとええと思いますがな。

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