2022年1月4日火曜日

新春雑感

  正月三が日も終わり、今日から御用始となった。とはいっても70歳を越えたこのジジイに御用もヘッタクレもない。当然ワイには御用始はないが、4日から病院が開かれるのでワイにとっては「病院受診始め」となった。社会が動き出す今日の日に病院通いとは、まことにこれからのワイの一年を象徴するようで何とも嫌だが、歳ぃ行けば多病にもなるしそれも仕方ない。午前中は、ゲェゲェいいながら十二指腸まで内視鏡を押し込まれ、ずいぶん不快な思いをした。しかし、午後からは、孤独でさびしい!なんどと茶飲み友達に愚痴ったからか、元日からほぼ毎日、二時近くだが、友人がドライブにさそってくれる。

 車を持っていない私のために、どこへ行く?とだいたいリクエストを聞いてくれる。まぁ午後二時近くだから、日の短いこの頃、せいぜい二時間ちょっとのドライブだが、それでもうれしい。ぬくければ自転車でゆるゆると結構な距離を一人で行くのだが、寒い風の中自転車の遠出はしない。

 で、今日は吉野川の北堤防をどこまでも真っ直ぐ走り、小松海岸へ新春の海を見に行った。


 昨日、いや一昨日はアスタムランドの水仙の丘へ行った。かすかに薫る水仙畑を登った。


 去年の暮れから永井荷風の「断腸亭日乗」を読んでいる、ハードカバーのぶ厚い本で何巻もある。これは荷風の38歳から80歳で死ぬ前日までの日記である。事実の羅列だけでなく、彼の考えや人生観、哲学、そして、世相の批判、風俗文化に対する考えなどが記録されており、なかなか読みごたえのある日記である。私もブログで「桃山日記」と称して書いてはいるが、月とすっぽん、もう比較も出来ぬくらい素晴らしいものである。それでもワイの桃山日記も12年目に入ったがさてあと何年、何歳まで書き続けられるだろうか。

 こんなことを言うと「ええ歳さらしてなに寝ぼけたことゆうとんねん!」と突っ込まれそうだが、もうちょっとで満71になるなど、実のところ信じがたい思いがする。真っ暗な部屋で布団に包まり、眠りに落ちる前、また目覚めて布団の中でモジモジしているとき、自分の来し方、行く末、のことをちょっとでも思い浮かべるたび、え?ワイって71歳になるんや、ほんま、これ冗談ちゃうか、と思うのである。はるか昔高校生の時から、ワイはこのように眠りの前後、ボンヤリと自分の行く末のことを思い描いたりする癖があった。その時、どのように想像しても自分が40歳以上生きるイメージは湧いてこなかった。高校生にとって30歳などははるか彼方であり、その十年後の40歳などは自分が考えうる一番遠いところにあり、ワイの人生の地平線であった。もうそれから向こうは無としか思えなかった。つまり高校生の時は、自分の一生は30歳、長くても40歳までやろなと思っていたのである。

 「それが、ちょっと、アンタ!ワイ71歳でよ!そんなん信じられるか!」

 寿命を考えると、その寿命の尽きるとき、短くても十分生きた、と言った人もいるし、平均寿命よりずっと長く生きても、まだ足らん!死にとうない、といった人もいるから、人によって寿命がバラバラなのは、神様がその与えられた寿命の中で精いっぱい頑張れよ、といっているのかもしれない。しかし、短くても十分生きたなどと本心から死を前に言える人はごく少ないと思う。壇ノ浦で滅んだ平知盛は、見るべきものは見つくし、するべきことはやった、と言って錨を抱いて入水した。またフランス革命の時ギロチンにかけられるダントンは、うまいもんも食ったし、女も抱いた、快楽をつくした、もう十分だということを言ったとされるが、これは避けられない死を前に、強がりのような気がする。世に「引かれものの小唄」というのがあるがそれに類するものか。

 人の本性としては平均寿命以上、十分な人生を送っても最後は、やはり、「神様、まだ足らん、せめてもうちょびっと延ばしてつかい」というのが絶対多数じゃないだろうか。たしか江戸期の国学者と思う、名前は出てこんが、人生の教訓にいいとして、引用したのが伊勢物語の最後の段

 「ついに行く、道とはかねて聞きしかど、昨日今日とは思わざりきを」

 まだまだ寿命がある、最期はまだこない、と思っているうちに、命は旦夕に迫るのである。ワイも含め多くのものはこのような状況は充分理解し、あり得る話と考えている、なぜならたぶん自分もそうなるだろうと思うからであろう。それだから国学者はこれを引用し、つねにそのことを思い、より良い人生を締めくくれといっているのである。

 高校生の自分が、自分の寿命は30、長くても40歳と思ったのは、なぜだろう。知力、体力がピークに達し、元気いっぱいの日々を送る18歳のワイ、今と比べると充分濃密な時間を過ごしていたのかもしれない、だからそんな濃ゆぅぃ年を重ねれば、もう40歳までで十分とは思わないにしても、そこから先は無くてもどうでもいいと思っていた。

 若いうちに苦労すれば歳がいくと楽できる云々だの、蟻とキリギリスの話など、大人などが教訓として話すと、ワイは、「そんな中年、老年までワイは生きぃひんもん」などと憎まれ口をたたいたが、少しは本心も混じっていたと思う。

 それが長々生きて、なんと今年満71歳、信じられまっか、あの高校生の時の自分てホンマに今の自分と繋がっとるんか、なんかちゃぁう気がする。

 ワイの好きな昔話にこんなのがある。

日本昔話 寿命定め

 ずっと大昔の話、この世の生き物には「寿命」が無かったので、神様はすべての生き物に寿命を授けることにした。

 まずは、鳥と魚たちの寿命を決めて、それから陸地の生き物には三十年という寿命を決めた。すると、いつも人間に叩かれこき使われている馬が「30歳では多すぎる」と訴えた。仕方なく神様は馬の寿命を20歳としてあげた。今度は、いつも人間の食料の番をするために寝不足の犬が「30歳では多すぎる」と訴えた。可哀そうにと思った神様は、犬の寿命を10歳とした。

 しかし人間は「30歳では全然足りません!」と、元気いっぱいに訴えた。長生きして沢山の子供たちと楽ーしく暮らしたい!と訴える人間の欲深さに呆れつつも、神様は馬から引いた10歳と犬から引いた20歳を足してあげた。こうして人間の寿命は60歳となった。

 神様が年定めをしてからは、馬は苦労しても20年で、犬は疲れても10年でこの世を去ることができるようになった。しかし、人間は30歳を過ぎると馬のように重荷を負う事になり、40歳を過ぎると犬のように夜もおちおち眠れなくなった。人間は欲をかいたために、年をとってから苦労ばかりするようになった。

 私の見方ではこの話のミソは、だからヒトは歳が行ってから苦労する云々ではなく、動物たちはたとえ寿命10年でも満足しているのに、ヒトだけは長くのばされても足りないと思って、もっともっとと思っていることである。たとえもっと寿命を継ぎ足してもさらに貪婪に要求するだろう。なんと人間は貪欲なんだろう、しかし反面、寿命が延びたため、20歳近くまで人は成長期を経験することになり、その間に教育を施し、万物の霊長といわれる知恵をつけるようになった。ヒトをヒト足らしめているのはこの他の動物にはない寿命の長さ、成長期の長さである。それ故に逆説めくが、足りない寿命を嘆くのは、まさに長い寿命になってヒトの知能、知恵がついたためである。犬や特にワイが好きな猫などを観察しているが、彼らが命の儚さを嘆いているようには見えない。

 ヒトに知能がつき、文明を築きあげた、だが有限の人生そしていつ死が訪れるかもわからぬ寿命に対する嘆きは、それゆえ人の宿痾となった、なんとかそれを癒そうと各文明圏は哲学、宗教をうんだ。小難しいインド、中東、ギリシアの哲学、宗教は確かにその癒しとはなる、しかし今の世では、ある人が言ったようにそんなものはせいぜい、「電信柱にブチ当たった犬が、ぶつかったのは、ワイのせいではなく、電信柱のせいだ!」と言えるくらいの程度のものなのじゃないだろうか。

 その点、中華文明圏では昔からずいぶん即物的で、こちらの方が今の世に向いているかもしれない。死後だの魂だのを考えるより、自らの子孫の血統の持続性・永遠性に重きを置き、現世の幸福を何より重要視する。昔から中国では、人生の幸福は

 『福、禄、寿』

 で象徴される、寿は長寿である、の意味はこれは子どもを多く持つことすなわち子福である。は社会的地位とそれに伴う物質的享受である。

 そのような中国的人生の価値観を考えると、小難しい古代各文明圏の哲学宗教より、現代に向いている気がする。多くの孫に囲まれ、健康長寿のジジババが、それなりの尊敬を受け、豊かな生活資産を持っているって、これ現代の理想の福祉国家じゃないんだろうか、今、中国は民主主義の先進諸国から価値観が違うと異端者あつかいにされているが、「福、禄、寿」の漢字の三文字を想う時、どこの先進国でも目指したい福祉国家の目標に思えてくる。

0 件のコメント: