2022年1月30日日曜日

ワイの桃山日記、やがて消えるんだろなぁ

  爺さんが書いた有名な日記としては永井荷風の「断腸亭日乗」がある。40歳前くらいから80歳で亡くなる前日までほぼ毎日の日記である。中高の国語教科書に乗るほど有名な文豪であるためこの「断腸亭日乗」も文学的価値のあるものとしてすべての日記は全集に収められている。膨大な日記であるため私はすべて読んだわけではないが、特に私の興味ある日中戦争から(1937年)からなくなる1959年まではすべて目を通して読んだ。特に日中戦争あたりから強まる巷の軍事色、そして太平洋戦争中の一層の軍国主義化、空襲による罹災、避難、混乱、そして敗戦後の日本史上まれにみる社会的混乱などに対する、客観的な記述と彼の冷静な分析、意見など興味深く読んだ。

 しかしそんな記述も60歳台までで70歳を過ぎると数行の淡々とした事実の記述が多くなる。彼の日記の「断腸亭日乗」と私の桃山日記とは月とすっぽん比較するのも恥ずかしいが、70歳をすぎて日記の内容・量ともめだって低下してきたのは、自分と比較してもやはり老化による書く意欲の減退があるのだなぁ、と思う。彼も高齢になって「独居老人」であるのは私と変わらないが、資産・預金などはたくさんあり、若い時から過ごしてきたいわゆる「高等遊民」(古い言葉だ!)を死ぬまで続けることができている。何より私がうらやましいのは彼の交際の範囲が広いことである。独居というとなにか孤独の感が強いが、それは荷風の場合、我が家に帰ると独居になるのであって、一歩家を出たら多くの人と会ったり、一緒に行動を共にしたり、食事をしたりしている。そして荷風の何よりの交際の特徴は歳がいっても花柳界、赤線青線の春を鬻ぐ女たち、そして浅草のような下町のエンターテーメントの従事者、美女(ダンサーなど)も多いし美男も多い、もちろん若い。そして先生、先生ともてはやされ、自らも大いに楽しんでいる。

 「まったく!うらやましい限りのジジイである」

 これなどをみると独居老人いってもワイとは全然違う。しかし老人の妙にかたくなな心理は荷風が年を重ねるにれて、これはワイとある部分似ているな、と感じることがある。荷風の場合、隣家のラヂヲの音が気になるのである。それも偏執的といっていいほど、少しでも聞こえ出すと、もういたたまれなくなって外へ出るのである。ラヂヲの音をきくと創作意欲も冷静に考えることも全くできなくなると言い切っている。そこで歳がいっての日記には「ラヂヲの音」云々で、家をでて、それが止む夜遅くに帰る、という記述が頻繁に出てくる。これはワイも老人の心理として理解できる、「ラヂヲの音」ではないにしても、独居の偏屈な老人は、隣家やあるいは身の回りの、普通は当たり前とみられ、気にしないことが偏執狂のようになって、イライラして家を飛び出、外で気を紛らかせるというのはある。ワイもそのような強い傾向がある。

 荷風さんの「断腸亭日乗」は日本語が続く限り半永久的に残るであろうが、ワイの桃山日記は、やがて消えていくだろう、別に全然それが嫌ではないし当たり前だ、でももしかするとワイのさほど長くない命を待たず桃山日記と称するブログは消えるかもしれない。というのも一度それを経験しているからである。

 以前、ブログ日記をヤフーブログに書いていたことがある。ところが3年前の5月くらいに突然、その年いっぱいでブログ事業をやめます、と通知が一方的にあった。驚いた!今まで書き溜めたブログは全部消滅か、ほかのブログに移す方法も同時に紹介されていた。ワイは前から書いていたグーグルのブログにコピーして移したが、その量は三分の一ほどである。このブログの右欄外に2022年から辿って2019年の5月を見てもらえればブログの数が尋常でないほど多いのに気遣えるだろう、それは消えたヤフーのブログを移したためである。下のタイトルの左下にある赤丸で囲ってあるように「20180713」と入っているブログはヤフーのブログだった2018年7月13日のものである。


 しかし一部移し替えたのはよかったが去年の秋くらいから文字は表示されるが、ヤフーから移し替えたブログの写真は下のように全く見えなくなっている。


 ネットではブログは人気ないといわれる、そのためヤフーをはじめブログ事業から撤退する会社が多くなると思われる、このグーグルのブログもやがて、ある日突然消え去る運命にある。まぁ、それでいいと思うが、ワイの生きてる間はあるだろうか?

2 件のコメント:

carlos さんのコメント...

 ヤフーブログは、多くの人が投稿していたのに、まるで突然みたいに終わって残念だった。以前、好きだったブログがあって、その方が亡くなってしまい、膨大な記録が消えてしまったのはショックだった。

 何らかの事情で続けられなくなっても、きれいさっぱり消えてしまうのは、こちらの心にも大きな喪失感である。

 やまさんには、無理せずに書き続けてほしいです。
 やまさんが、ポリテクセンターでコンピュータの講習を受けていた頃から知っているので、愛着ある。
 おたがい、からだをいたわってゆっくりでも歩いて行こう。

yamasan さんのコメント...

>>カルロスさんへ
 デジタルの記録は膨大な量を簡単に(写真のみならずテキスト、動画も)保存できて、再生も容易で、最初のころはいいことずくめしか目に入りませんでしたが、そのうち、DVDディスクに保存してあるデータがなぜか再生できなくなったり(まだ容量が残っているのに)、DVDディスクに繰り返し消去、保存再生ができる種類(R-DVD)であっても油断できません、現に昨日行った勝瑞城の写真をDVDディスクに焼きうつし、今、図書館のパソコンでブログを書こうと思ったら、まったく消えてしまっていました、で、今日のブログは書けませんでした。

 そして数年前の突然のヤフーブログの一方的廃止、デジタル保存が全くあてにならないことは最近わかってきました。その点、和紙に墨で描いた正倉院古文書なんかすごいですね、1300年以上たっても家にある反故紙より優れていて読めるんですから。丈夫な紙に書くというのが、もし私の死後残すのだったら一番いいですね、もっとも私は死後、そんなことを望みませんが。

 結局、DVDディスクに保存できないため「勝瑞城遺跡」のブログはお預けです。図書館のパソコンは外部データを取り込めないように細工しているのです。USB、SDカードもダメ、しかし抜け道はあるものでDVDディスクのみはパソコンに入れると読み取り、写真、動画は取り込めます。私用のPCを使うのがむつかしいので、最近は図書館のPCからアップしているので。

 しかし昨日のデータが消えたため、また勝瑞城遺跡に行く動機が出てきました。この勝瑞城遺跡、半世紀も前に行ったのであまり興味なかったのですが、昨日言ってびっくり、古い勝瑞城あとはほんの一部、数ヘクタールもある遺構、発掘現場の広場があり、もちろん最近のもので、遺物展示館もあり、昨日の時間がなかったので十分見られませんでした。JR勝瑞駅から徒歩でも近いので近日中に行って今度はしっかりデータをとり消えないようにDVDディスクに保存してブログを作りたいと思っています。

 この遺跡なかなかいいですよ、藍住教育委員会や学芸員が力を入れて整備しているようです。奈良の平城京跡、よりは小さいですが今後の整備によっては平城京跡の遺構や構築物ができるかもしれません。こんなになっているとは知らなかった、歴史好きには望外の楽しみが一つ増えました。

 わが身のことばかり言いましたが、カルロスさんも体調にあわせ、春にむけて外での趣味の時間行動がとれるといいですね。