2021年10月22日金曜日

和田島の幾何学的考察

  和田島に住んでいる人が気づいてるかどうかわからない。気づいている人もいるだろうが、案外、自分の生まれた土地の地形を鳥瞰的に見る人は少ないんじゃないだろうか。その点、外部の人間は初めていくから、一体どんな環境の場所だろうか、地形はどうだろうかとあらかじめ興味を持っている。私もその一人で、ともかく和田島に初めて行くので、行く前にまず大きな地図を見た。ほとんど三方が海に囲まれているところで大きな岬のようになっている。しかし地図を拡大してみるとみると和田島の特異な形がよくわかる。岬のようには見えない。和田島全体が丸まっちい形をしているし、また本土の方から和田島の海岸へ直進(東進)すると、普通海岸に向かって地形の標高は徐々に下がっていくはずだが、和田島の小学校あたりから海岸に向かってむしろやや高くなっているのだ。

 これはもともと砂洲が作った地形で、砂洲が円状に和田島の外殻つくり、円状の外周に囲まれた海が後に陸化するか埋め立てたなら、和田島の丸まっちい形も海岸寄りが微高地になっているのも納得できる。しかしこれは素人の推理で実際はどうなのかわからない。

 それはともかくこの和田島の形、見たときから二次曲線に似ているとブログに書いた。私のイメージとしては二次曲線の「放物線」を考えていた。しかしどうも放物線にはあてはまらないようだ。南に向かって直線に近い緩やかな曲線が放物線には当てはまらない。

 ちなみに二次曲線で有名なのは三つ、「放物線」、「双曲線」、そして「楕円」である。数学嫌いの人には申し訳ないがちょっとその三つの数式を示しておく。(円もx、yそれぞれの2乗の入った式であらわされるからこれも二次曲線となる



 さて、上図を見るとやはり「放物線」か、と思われようが、実は和田島の海岸の曲率を考えるとほぼ一致するのは「楕円」である。

 その重ね合せを見てみよう。まず和田島の航空写真地形図を下に示す。わかりやすくするため地図を90度回転させ、北が左になるようにしている。


 次にある曲率(楕円の場合は二つの焦点の距離によって楕円の大きさ部分の曲率が決まる)の楕円を重ねてみる。


 ほぼ一致する。つまり和田島は大きな楕円の外周の一部に極めて似ているのである。和田島の地形は、おそらく太古に海流や潮汐そのほかの海の潮の流れで大まかな形が作られたと思うが、それが楕円に一致するというのはいったいどういうことだろうか。偶然の一致かそれとも多くの要素(海流、土地の隆起、高潮による浸食作用・・)が合わさり、その結果として楕円に近い形になったのか。

円と楕円について
 
 何の形にでもなる形の定まらない柔らかい粘土を板の上にベタッと落とす。そして板をデタラメに動かす、力も一定せず力の方向もバラバラ、アメーバーのような粘土は板の上で揺すられアッチへ動いたと思ったら、またコッチヘ、どこへ行くかわからない動きがつづく、そうするとどうなると思います。そのうちある形を取り始めます。もうお分かりでしょう。そう球状になっていきます。このでたらめな動きを波とし、粘土を藻とすると、生まれるのが「マリモ」です。緑の美し球体ですね。

 古代ギリシァ人は円や球を「もっとも完成された完全な形」であると思っていました。その証拠として天の動きも、又この大地も円や球であることをあげました。プトレマイオスは天体の動きは円運動であるとして天文学を組み立てました。これは16世紀地動説を唱えたコペルニクスでさえ、天文学者は同じように考えました、太陽や惑星は円運動をしていると。そして地球は山脈があり多少凸凹はあるがこちらも円の回転体である「球体」であると考えていました。

 ところが事実は違ったんですね、それがわかるのはもう17世紀まじかでした。ケプラーが天体の運動は円ではなく「楕円」であることを発見しました。また地球の形も円に近いものではなく、回転「楕円」体だったのです。地図つくりの測量士さんはよく知っています。天体運動も地球の動きもそして地球の形さえも『楕円』だったのです。円に比べるとなじみ薄く、また作図も面倒ですが、創造の神は円よりも「楕円」を選んでいたんですね。この和田島が楕円に重なるというのは、楕円を好む「創造の神」にこの地が愛されているのかもしれませんね。

0 件のコメント: