2020年10月4日日曜日

太龍寺 その5 となえられる真言、そしてお経

  このお寺は若き空海が修行したところに建てられている。その修業は『虚空蔵菩薩求聞持法』と言われている。この寺から少し上ったところに捨身(舎心)嶽というところがある。そこでその修法を行ったとされている。そこには現在、修法を行うお大師さまの像が建てられている。お大師様のお耳を通して捨身嶽の下を見る


その『虚空蔵菩薩求聞持法』なにやら複雑な修法かとも思われようが繰り返す修法の真言を取り上げれば単純なものである。以下の真言を繰り返し唱えるのである。

『ノウボウアカシャ ギャラバヤ オンアリ キャマリ ボ(ウ)リソワカ』

 しかし常人になしがたいのはその回数である。なんと百万遍である。それを一心不乱に(雑念なく、まさに真言三昧である)、口以外動かすことなく、途切れることなく唱えなければならない。そこは布団や炬燵などのある安楽な場所ではない。断崖に向きあう捨身嶽や室戸の岬の波打ち寄せる洞窟の中など大変厳しい環境のところである。いったい何日かかるのだろう?その間食事などの必要生理要求はどうするのだろう?と疑問もわいてくる。しかし『虚空蔵菩薩求聞持法』には作法も定められていて、現代でも行う人もいる。五十日ないし百日はかかるそうであるから、生半可な宗教的情熱だけではなしがたい修法である。

 いったいどんなご利益が、とおもうが成し遂げれば、記憶力が抜群になり、また学力(知力)が格段に(それこそ凡才から天才に)増大するといわれている。確かに若き空海はこの修法後、めきめきとその(僧としての)学才があらわれ、留学してまさに天才的な能力発揮するのであるから、効いたともいえるが、もともと無才のものが果たしてとも思ったりする。

 太龍寺はこのように若き空海が虚空蔵菩薩求聞持法を行ったところから境内には「求聞持堂」がある。下の写真がそうである。境内の他の場所と違って聖域性が高いのだろうか敷地は立ち入り禁止になっていて厳しく柵で封鎖されている。ここで今でも真言僧が虚空蔵菩薩求聞持法を修するそうである。


 この寺の御本尊は虚空蔵菩薩である。だから修行者でなくても、一般の人は本堂参拝の時には虚空蔵菩薩の真言をとなえて手を合わせる人が多い(一度かあるいは三度、多くて十回以内)。 だからこの

『ノウボウアカシャ ギャラバヤ オンアリ キャマリ ボ(ウ)リソワカ』

はこの寺の参拝者はよく知っている。そらで覚えていなくても本堂横などにこのようにお唱えくださいと掲示してある。

 ほかにこの寺でよく唱えられるのは、不動明王の真言いわゆる「慈救咒」といわれる

『なうまく さんまんだ ばざらだん せんだまかろしゃだ そわたや うんたらた かんまん』

 である。前のブログでとりあげたようにこの境内には「護摩堂」もあり、ここでこの不動明王の真言をとなえることはあるが、堂内やあるいは堂参拝の時に唱えられるというより、この太龍寺山全体で唱えられる真言とされている。それは江戸前期の澄禅はんの龍の窟(岩屋)参拝の時、何度も不動の真言(慈救呪)を唱えたことでもわかる。

 山岳宗教・修験道でもっとも多く唱えられる真言は不動明王の真言であり、経としては「般若心経」がダントツである。なぜかちょっとまだ考察はしていないが、ともかくそういう事実がある。とくに外で盛大に火をたく「柴燈護摩」や山岳の行場ではこの不動の真言、心経はもっとも重要視されるものである。この太龍寺は山岳宗教・修験道の聖地でもある。いたるところにある行場などでこの慈救呪、心経が唱えられていたのである。

 普通、お経は仏教で唱えられるものである。しかしなぜかこの般若心経は今でも神社でも唱える人がいる。考えるに明治以前は仏、神が完全に分離されていなかったところが多かった。たいていの神社には神宮寺が境内または隣接して設けられていた。また神社の別当も寺に置かれ江戸時代は幕府・藩によってそれが組織化されていた。八幡神は有力な神社ではあるが、そのご神体として「僧形の八幡神」などを見るとなるほど本来は仏教であるべき「経」を神社で唱えることも頷けることである。

 般若心経はコンパクトな文字数も少ない小さなお経である。しかしお大師様の書かれた「般若心経秘鍵」を読むと、短い中にもお釈迦様の初期の教え~部派仏教~小乗の教え~大乗の教え~密教の教え、と仏教史のエッセンスがぎっしり詰まっている。もちろんお大師っはんに言わせたら、密教にいたる必然的な流れを強調し、密教がもっとも重要であると強調するのであるが、この心経は、あれも「空」これも「空」そして「空」・・と喝破しながら、最後は密教らしく、マントラ・真言、あるいは陀羅尼とでもいうのだろうか、ギャァテェイ、ギャァテェイ、ハラソウギャティ、ボジソワカ、と咒言でしめっくくっている。このようなところからも密教色の濃い神仏習合の山岳宗教場では般若心経が重んじられるのではあるまいか。

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