2020年10月20日火曜日

秋の行事となぜかションベンタンゴ

  今年はコロナの影響で秋の行事がなくなったり変更されたりしている。秋祭りの季節だが神社の境内だけでこじんまり神事を行い、神輿などは出さないところがほとんどである。

 わが町では一世紀も昔から秋には有名な行事があった。主催者、場所は時代とともに変わったけれど途切れることなく続いてきたのが「鴨島大菊人形」である。しかし今年は密集を避けるために菊人形展は行われず、会場になる市役所広場はご覧の通り、小屋掛けの菊人形展示室はなくガラァ~ンとしている。有志の菊の品評会展示のみが開かれている。

 菊の品評・鑑賞会はこれから一ヶ月くらい開かれている。まだ開花には少し早いためかご覧のように花は小さいかつぼみである。


 他には三密にならない行事はフルスケールで開かれている。徳島城公園の「野外彫刻展」がそうである。吹きさらしの広い野外なのでこれは可となった、来月初旬にある藍場浜の「狸祭り」は密集するのでアウト、今年は開かれない。

 大手門広場の作品(31作品あるがその一部だけを紹介する。)わかりにくいが鉄柵のようなものを五線譜に見立てている、そして動物の顔をした音符が配置されている。作品の主題は『七つの子を歌う森のなかまたち』これはわかりやすい。


 下乗橋を渡るとすぐあるのがこれ、管で人の体を形作り、上に顔と髪にみたてた頭を置いている、主題が『Mr.プランツ』、確かにMrというからこういう名前の男を表しているのはわかる。でもプランツという名前に込めた意味は何だろう、おそらく植物(プラント)、それを植えたプランターの鉢に掛けている名前だろう(ドイツ系の名前にはフランツというのがある)。しかしブスッと突き刺さる注射器何だろう、枯れつつある植物(この場合は人を象徴する)に起死回生の注射ということだろうか、この意味は作者でなければわからない。主題を見ずに私の印象だけで名づけるとしたら『ケケの鬼太郎、頭に注射される』 

 

下の作品の主題は『Two watchers』、一応なるほどと納得はするが、一体何をwatcherしているのだろう?腰を落とした中腰である。顔らしき向きは一方は水平方向に近く、もう一方は頭を少し下に傾け3mくらい先の下を見ている。いったいなんの観察だろう?

 前で立ち止まりみていると、横のベンチに90歳に近いような老婆二人がいて、大福か餅のようなものを食べていたが顔を上げ、私に向かって「これ、なんつぅ 題ぇ~?」て聞く。ストレトに言ってバァチャンらわかるだろうかとおもったが「これ題にはツー、ウォッチャァって書いてあるわ、二人の観察者じゃわな」、わかったのどうか「へぇ~」という返事。

 そこで言わんでもええのに、私がさっきからこの作品をみて思い浮かんだことを口にした。

 「昔なぁ、ワイがチンマイとき、バァヤンが、葦簀(よしず)掛けの下肥を兼ねたシュンベンタンゴにこんなカッコでションベンしよったの思い出すわ」

 といったとたん二人の老婆は年甲斐もなく大笑い。歳ぃいくとあんまり笑わんというが女子高生が笑うくらい笑われた。ほんまなぁ、と相槌もうたれた。

 この老婆の時代やワイのチンマイ時までは田舎には、葦簀(よしず)掛けの下肥を兼ねたシュンベンタンゴ、というものがあった。なんでバァヤンといいながら女性がこんな中腰でションベンできるのだろうと思われるだろうが、昔は下肥を貯めるのと小用をかねた片側に葦簀をかけたオープンなションベンしかできん便所があった。知らない人がイメージするとしたら、床に大きなトタン板を広げそれを45°くらいにおこして傾け、倒れないように二か所を棒で支えたものを考えるとよい。真横から見ると直角三角形となっている。

 そして地面は直接下肥の穴があけてある。男もションベンするがバァチャンなども何の恥じらいもなくズリッとモンペなどをさげ、中腰になり、ケツをつきだし、この彫刻とまさに同じような格好でバリバリっと音も高らかに(オープンなので音もつつぬけ)ションベンをしたのである。

 フーテンの寅さんの売(バイ)の口上に「~チャラチャラながれるお茶の水、粋なねぇちゃん立ションベン!」とある。おもしろがってみんな聞くが、まさか女性が立ションベンするはずなどないと思っている。しかしワイのチンマイときは少なくとも(直立ではないが)このようにして確かにバァチャンらはションベンすることはあったのである。

 そのあとも、ベンチのバァチャンらと、昔は田舎ぇいたら、ションベンタンゴよ~け、アッチャコッチャにあったな、という話から、それに類する昔話がしばらく盛り上がった(なんか匂ってきそうなのこの話はこれでおしまい)。

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