2020年10月25日日曜日

木の実(前回つづき)

 佐古まで向かっているが、秋の中を自転車で走るためには 農道やできれば舗装していないあぜ道のようなところを通るのがよい。そんな道を選んで走っていたが、鮎喰の川を渡ると密集住宅地やコンクリ、アスハルトで覆われたところがほとんどになる。それでも比較的秋の風情が楽しめるのは眉山山系の山際である。片側は住宅地になっていてももう片側は眉山山ろくで多くの谷が切り込んでいる地形なので森や林が多く、原野に近いところもある。また寺院や神社も多く、秋色が楽しめる場所がそこここに残っている。

 峰のお薬師さんもそんな場所だ。紅葉、楓が色づくには少し早いが、さくらなどは半分以上葉を落とし病葉(わくらば)となっていたり、黄色く色づいてきた落葉樹もある。


 ここは真言宗のお寺であるので、いろいろな仏様が境内のあちこちにご鎮座していらっしゃる。一つ一つ心を込めてお参りしようとすればゆうに1時間以上はかかる。若い人ならそう時間もかけられないのでご本尊様と、御大師様、それとお堂に祀られている仏さまに手を合わせるくらいだろう。しかし時間もたっぷりあるお年寄りならばすべての仏様に手を合わせながら、深まりゆく秋を味わうのによいところである。

 三十三観音をめぐりお不動様へ登っていく道をたどっていると、プチプチという音がする。下を見るとドングリが道に散らばっていてそれが踏まれて音を立てているのである。


 谷筋にあるこの境内は上を見ると谷の両横からたくさんの木が生い茂り空がほとんど見えないくらいである。その木々から熟したドングリが落ちているのである。手に取ってみる。


 そうだ秋は色づく季節でもあるが、また実りの秋でもあるのだ。実りの秋といえば、人が作った作物の秋の収穫という意味にとるのが一般的だろうが、本来はその字「実」のように秋、森の木の実のみのりであった。一万年以上も続いた縄文時代の人々の主要な食物は、この秋の木の実であったのである。山栗などはそのまま焼いたり煮たりして食べられるが、このようなドングリは「渋み」があってそのままでは食べられない、しかし縄文人はすりつぶして水さらししたりして食べたのである。

 下に落ちた木の実、ドングリなども秋の風情を強く感じさせるものである。しかし秋の山道を散策していても大人はこのように下に落ちたものにあまり関心がないように見える。むしろ子供のほうがそんなものに目を向け、興味を持っているようだ。毎年、秋にこの辺りを通ると、よく原野、あるいはこのような境内、または山麓の開けた林の中で先生に引率された幼稚園児や小学校低学年とおぼしき子どもたちが三々五々集まって何かを拾っている。見るとドングリや木の実、あるいは黄や赤に色づいたきれいな落ち葉を集めたりしている。一度、「どうするの?」と聞いたことがある。するとこのような木の実やきれいな葉っぱを集めて、いろいろなものを作るそうだ。そういえば私がチンマイときも秋の野山へ遠足に行ってこのようなものを(たぶん先生に促されてだろうが)集めて持って帰って、図画工作の材料にしたことを思い出した。葉っぱ、栗のイガ、枯れた穂・ススキやドングリ・木の実、そういえばマツカサもあったな、それらで思い思いに工作をするのである。だいたい森の動物などを作ることが多かった。今は電子ゲムなどで遊ぶ子が多いが、野山を散策して獲物(木の実など)を持って帰った現代の童子たちも70年昔の童子たちと同じでおそらく作るのは森の動物たちじゃないかな。

 一か月前、盛りだったマンジュシャゲを見ると「♪~赤っかい花なら曼殊沙華ぇ~」と歌いたくなる癖が私にはある。秋の木の実を見るとやはり歌う癖がある。口ずさむのは『小さな木の実』である。詩は日本人がつけたものであるが、原曲のメロデェーはビジェィの歌組曲「美しきパースの娘」からとられたクラッシクである。歌詞は秋の風情を単純に歌ったものではなく、詩を聞いてもらうとわかるがなかなか奥深く意味深な詩であることがわかる。

 リズムは八分の六拍子で、南欧風の優雅な舞曲のようである。間奏部分に三連符連打のカスターネットを入れたくなる(あくまで私の印象だ)。なんか南欧の情熱的な踊り子が目に浮かんでくる。しかしゆったりしたメロデェにのっている詩はまたそれとは違ったイメージをもたらす。そこはかとない悲しい思い出とでもいうような感傷である。

 これ以上の能書きはやめます。ともかく聴いてみてください。

1 件のコメント:

Teruyuki Arashi さんのコメント...

季節感がありいいですね。