2020年1月28日火曜日

御本尊 大日如来さま

 最近仏教のことをちょろっと勉強していてわかったことだが、この大日如来さまは別名、大毘盧遮那仏とおっしゃるのである。これがわかった時、ん?と思った。以前ブログを作っていて毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ)という仏さまのご尊名には聞き覚えがあったからである。この毘盧遮那仏はあの東大寺の大仏様のお名前である。そのお名前の前に「大」というのを冠したのが大毘盧遮那仏つまり大日如来様である。ということは東大寺の大仏と大日如来様は同じ仏さまといってよいのである。ただ同じといっても、東大寺の毘盧遮那仏は「華厳経」に基づく根本仏であり、大毘盧遮那仏つまり大日如来は「大日経」に基づく根本仏であるという違いがあるが、空海さんによれば華厳経も大日経も互いに包摂し合う関係にあり、二つの経に基づく一つの仏といってよいそうである。

 大日如来はこの世のすべてに遍在する存在であり、宇宙そのものであるといわれている。だから密教における様々な仏、菩薩、明王、天、神、権現なども大日様が姿を変えて現れたものと解釈される。大日如来さまの御尊像は高野山の根本大堂にある大日如来さまが有名である。下がその大日如来さまである。綺羅綺羅しくいかにも大宇宙の根本仏の威容を感じさせる仏である。

 しかし大日如来さま像が初めてつくられたのは7~8世紀のインドであった。この頃の大日如来像は高野山の大日如来像とはずいぶん雰囲気が違う。下がインドで密教が発生したころの大日如来像である。(インド・ウダヤギリの金剛界大日如来像)

 青年期特有の苦悩の表情ではないのかと思わせるような若々しいお顔、華奢に見えるが力みなぎる肢体、腰、手首、足首に飾りをつけ頭に宝冠を載せている以外、薄物の布も身に着けていない裸体に近いせいもあってか素晴らしい肉体を見せている。不遜な感想かもしれないが性的魅力をも感じさせるような像である。しかしちゃんと大日如来さまらしく智拳印を結んでいる。このインドの大日如来様は中央アジア、中国と伝わってくる中でずいぶんと変わったものである。私は発生期のインドの大日如来さまが大好きである。思わず手を合わせたくなるが、皆さんはどんな感想を持たれますか。

 今日は小雨の降る中、お参りしたのが「大日寺」、板野町にあるお四国さんの四番札所である。この寺の御本尊はその名のとおり大日如来さまである。真言宗は大日如来さまを根本仏とするため真言宗の寺は御本尊も同じであろうと思われようが、前にも言ったように大日如来さまはさまざまな御尊格の仏さまに姿を変えられるため真言宗の寺といっても様々な御本尊様がいらっしゃる。
 山門 

 本堂

 そうそう、真言宗で非常に大事にされている咒言で光明真言というのがある。私は
 「オン、アボキャ、ベイロシャノウ、マカボダラ、マニハンドマ、ジンバラ、ハラバリタヤ、ウン」と唱えているのであるが、言い方は真言宗の諸派、あるいは僧侶によって微妙に違っている場合もある。先日この光明真言をとなえる僧侶の声を耳にしたがそこでは
 「おん、あぼきゃ、毘盧遮那(びるしゃな)ぅ、まかぼだら・・・」といっていた、それを聞いて、あ、そうか、ベイロシャノウは毘盧遮那ぅ~、すなわち大日如来さまの本名だったんじゃとわかった次第である。光明真言にはちゃんと大日如来の本来のお名前が入って唱えられていたのである。

 それからこの「大日如来」さまは耶蘇教(カトリック教)ともかかわりがあったのをご存知でしょうか?戦国末期、日本に初めて宣教師が到来し、布教を始めたとき、彼ら耶蘇教の唯一絶対神(のちにはデウスと読んだりしているが)のことを日本語に訳すにあたり当初は「大日さま」と読んだそうである。日本人に馴染みやすいようにこのように訳したと思われるが、すぐに宣教師たちは真言宗の大日如来と一緒にされることに気づき「デウス」と名を変えたことが知られている。(ザビエルの書簡を見ると当初自分たちの神に大日という名をつけたことに対し誤りであったといっている)
 いっそのこと耶蘇教の唯一神も大日如来さまとよびつづけ、他宗や他の神像仏像にも寛容であったならばもしかすると、耶蘇教(カトリック)も真言宗の新しい一派かなという風に受け取られ江戸時代を通して共存できたかもしれないが、まあ、そりゃないわな。

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