2021年5月8日土曜日

お大師さんの生まれたところ、そして般若心経

 善通寺はおだいっさん(弘法大師)の誕生の地である。また隣接する形で誕生寺がある。そのためか真言宗の寺の中ではずば抜けて格が高い。立派な伽藍形式の建物が並んでいて中でも五重の塔は他の札所にはない壮大な塔である。


本堂(本尊、お薬師さん)


誕生寺(遍照金剛閣)



 ここ四国ではおだいっさんに対する信仰は強く、それは地元の人々あるいはお遍路さんが唱える祈りの言葉「南無大師遍照金剛」に現れている。我が家も代々真言宗徒であるが若い時は真言宗の祖師であるという知識だけでたいした関心も持たなかった。ただお大師さんの生涯についてはあちらこちらにある真言宗の寺にはお大師さんの生涯を紙芝居風に描いた絵馬があるので何となくは知っていた。また後には北小路欣也さんが主演した「空海」の映画を見て、より詳しくその生涯や宗教的な活躍を知った。

 しかし最近になって宗教全般に興味が向かうようになり、宗教書もあれやこれやと生かじりするようになった。そしてお大師様の御教えの一端でも知りたくなり、弘法大師著作の本を二冊読んだ。『三教指帰』と『般若心経秘鍵』である。どちらもそう長くない著作であることが読む動機の一つになった。いずれも原文(もちろん漢文)、読み下し文、そして現代語訳の三つが対になっている本である。

 お祖師さんの本であるが、抹香臭さ(つまり宗教色)はあまりなく、また折伏されるような宗教的な強信性も私には感じられなかった。「三教指帰」などは、これ文学のジャンルの中の戯曲、私独特の例えかもしれないが、あえて言うと三つの宗教を登場させた「宗教オペラ」じゃないかと思った(声明の節をつけて対話者が唱和すればまさにオペラとなるであろう)。9世紀の初めにこのような文学に類するような作品を書きあげるのは驚きだ。一般にはお大師さんは達筆で知られているが、「三教指帰」などを読むと日本文学史ではまだ黎明期ともいえるこの時期、文学の戯曲に類する作品を書いているのである。達筆以上に天才的文学才能があったのだなあと思う。

 もう一つの宗教的著作である『般若心経秘鍵』、これは読んでみて感じたことは、もし密教に関心がある人や、あるいはお四国(札所八十八ヶ寺)を「般若心経」を唱えながら回りたいという人にはぜひ読むことをお勧めしたい本である。この『般若心経秘鍵』はお大師さんによる「般若心経」というお経の解説書である。

 「般若心経」は文字数260あまりの短いお経だが、これとは別にあるお経の「大般若経」は膨大な大部を有する大仏典群である。これらは大乗仏教の根本経典だが、まず、仏教のボンさんでも、読む人は少ない。読む能力云々よりその量が半端ではないのである。仏教の専門家でも読むことの少ない般若経典群を一般人が読むことはきわめて難しい。ところがこの「般若心経」は短いお経にもかかわらず大部の大般若経のエセンスが濃く詰まったお経であるといわれている。そのため一般人でもよく唱えられ、短いため覚えやすく、節をつけて多くの仏閣前で(神社でも唱える場合もある)詠まれるのである。

 『般若心経秘鍵』はお大師さんによる「般若心経」の解説書といったが、仏教史を知る人はわかると思うが、般若心経も含めた般若経典群は大乗仏教の初期(2世紀前後か)の経典である。ところがお大師さんの依ってたつところは大乗仏教が歴史的展開をみせてたどり着いた最後の大乗仏教の流れ「密教」である。これは7世紀ころといわれている。だからお大師様はこの大乗仏教がたどり着いた最後の流れ「密教」の立場からこの「般若心経」を解説しているのである。

 後世の目から見るとそのような流れの中書かれた般若心経の解説書は、かなり密教の立場に引き寄せて解説しているんじゃないか、もしかして牽強付会の無理な解説になっているんじゃないかと読む前は思ったが、ところがお大師さんの般若心経に対する解説は諄々と無知なものを教え諭すような書き方で全然違和感なく、まったくもって、この般若心経は密教のために書かれたのではないんかしらん。とまで思うようになっていた(歴史を見るとそのようなことはないのだが)。

 般若心経は短いがその中にお大師さんによれば、宗教心の芽生えから始まって、次第に悟りのステージが上がっていき、般若経のステージ~天台(法華経)のステージ~華厳経のステージ~そして最後は密教の真言、という風に般若心経は経典の進化を自らの中に見せているのである。そして締めくくりがギャテェーギャテェー、ハラギャテェ、ハラソウギャテェー、ボジソワカ、の真言となるのである。まことに納得のいく般若心経の解説である。『般若心経秘鍵』だけを読んだのではわからないが、順々とこの悟りのステージが上がっていく納得感は、お大師さんの別の著作にある「十住心論」という教えを読めば頷けることである。

 般若心経で多くの人がもっともとらわれる部分は「色即是空、空即是色」で表されるように「空」論である。しかしこれは難解をもって知られており、本格的に知りたければ初期大乗仏教の論者である龍樹や世親などの著作を読んで研究しなければならない。現代において「空」論を優しく解説した書がいくつも出ているがそれぞれの書によって違っており「空」論をすんなり理解するのは難しい。

 「ワイは般若心経を理解せずに唱えるのはどうもスカン、なんとか知的に理解したうえで心行くまで般若心経をうたいたい」、という人もいるだろう。そんな人は知的好奇心からどうしても「色即是空、空即是色」などの「空」論部分に目が行ってしまう。あげくホンマに龍樹はんの意図した「空」論かいなぁ、というような全く違う偏頗な理解に陥ったり、わかったような気分になった程度であいまいに切り上げたりする。

 そんな人には『般若心経秘鍵』がお勧めである。密教的立場で書かれているとはいいながら、大所から大乗仏教の教えの歴史的流れを辿り、密教に至る過程が理にかなって説かれている(欠点としては経が短いこともあり細部の深い掘り下げはしない、「空」論も内部からの理解より大乗仏教の大きな流れの中での外からの眺め、というようなものにとどまっている)。般若心経を理解せずに唱えるのはスカン、ちゅう人には一読してほしい。特にお四国(八十八ヶ寺めぐり)は密教の修行道場であり、そこで唱えるお経のもっともポピュラーなのが般若心経であることを考える時、『般若心経秘鍵』による般若心経の理解はもっともふさわしい気がする。

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