2023年1月9日月曜日

これやこの 行くも帰るも わかれては

  コロナによる規制がすっかり解かれての令和五年の宵えびすとなった。参拝はしなかったがたくさんの露天が出ているので見て回った。通町やそれと交差している通りは両側にびっしりと露天が出ている。行き帰りの人々の混雑で思うように進めないくらいである。


 私のように参拝するでもなく、露天を覗いて買うでもなく、行き交う人混みの流れにのってそぞろ歩きする者はよいが、大変な人出でなかなか進めていないのは、古い福笹などをもった正式参拝者である。恵比寿神社からずっとその列が伸びている。ガードマンがその最後尾にいて知らしめているがザッと100mはあろうか。



 家内安全・商売繁盛の「えびす神」はこれをみてもずいぶん人気(信心)があることがわかる。われわれ一般に「えびす神」としてイメージするのは七福神の一つ恵比寿である。七福神のなかでは唯一日本がルーツの神様であると言われている。そのルーツにはいろいろ説がある。一般的には古事記の神である大国主の命の息子の「事代主の命」であるとされる。通町の恵比寿神社の御祭伸も事代主の命である。

 ところがこの恵比寿神には、もう一つ暗いルーツがあるといわれている。「えびす」は漢字でかくと「戎」とも書かれる(戎神社ともいう)し、また「蛭子」と書いても「えびす」と読ませる。県西部には蛭子の姓のひとが多くいる。蛭子は素直に読めば「ヒルコ」となる。このヒルコすなわち蛭子は、やはり古事記の中に出てくる。イザナギ、イザナミがミトのまぐわいの結果生まれた第一子がヒルコである。ところがこの子は奇形であった。手も足もなく(それで蛭の子、ヒルコと名付けられた)それを忌避したイザナギ、イザナミによって葦船に乗せて川に流されてしまう。これは不思議だが旧約聖書のモーゼの話に一致する。それはともかく流されたヒルコは死なずどこかで根付いてヒルコ神になる存在になったというのである。なんか「悪神」になりそうな気もするが、崇められることによって善神になったのかもしれない。


 今、鑑賞している「百人一首」の作者の中にもヒルコによく似た境遇の人がいる。蝉丸である。やはり出自は高貴な生まれである。醍醐天皇の皇子として生まれるが、生まれつき盲目であったため(伝説では)生まれてすぐに無情にも捨てられる。しかしやはりヒルコのように生き抜き、後には盲目ながら、琵琶と和歌の名手となるのである。



 百人一首の中のその蝉丸法師の一句

 これやこの 行くも帰るも わかれては 知るも知らぬも 逢坂の関

 蝉丸も蝉丸神社の御祭伸として祀られ、琵琶、芸能ごとに上達の御利益があるという。

0 件のコメント: