2023年1月22日日曜日

旧正月そして暦は春へ

  今日1月22日は旧暦(太陰太陽暦)では1月1日・元日である。今どき旧正月元日だといって何か行事をするのは、由緒ある神社が旧暦元日の「神事」を行うくらいであろうか。一般の人はまったく気にとめていない。

 日本が太陽暦を採用したのはもう150年も前である。確か明治5年と記憶している。しかしそれ以後も、公的、つまり役所や公文書などは太陽暦を用いていたが、明治大正、昭和と庶民はずっと旧暦を意識し、旧正月を祝っていた。昭和の30年代、私が小学校の時も、県西部では旧正月は祝われていて、新暦の正月と平行して祝われていたが、私の祖父母の家では旧正月に重きを置いていた。餅つき、神棚飾り、などは旧正月前、旧大晦日までに済ましていた。

 今、太陽暦では12月31日を「大晦日」おおみそか)と呼んでいるが、旧正月を祝う祖父母は旧暦の12月末日(旧暦では12月末日は30日もあり29日もあった)のことを「おおつごもり」と言っていた。その時はその意味について詳しく知らなかったのでそんな言い方の日なんだと思っていただけだったが、後になって、なるほどこの「おおつごもり」の言い方のほうが旧暦の12月末日を呼ぶのにふさわしいと納得した。旧暦の月の最終日は当然、月の相は「新月」に近く、天空に存在を表さない、だから「月(コモ)る」、そして一年最後の最末日だから、「大」をつけて「大つごもり」となるのだ。旧暦の月末は月は出ず「晦い」(くらい)が、太陽暦の月末は月の相は様々である(満月もある)。

 私の小学校の4年くらいまでは田舎の小学校では旧正月は学校はその一日休みとなった。しかしそれ以降は旧正月休みはなくなった。そして祖父母の家でも私が中学に上がるころには新暦の正月で祝うようになった。

 東アジアでは日本は伝統が色濃く残っている国である。例えば「元号」(東アジアでは唯一)、そして祝祭日には民族衣装である「着物」を普通に着ていても違和感がなく、受け入れられ普及している。そのほかにも伝統的なもので残っているのは多い。しかしこの「旧正月」だけはすっかり断絶してしまっている。しかし他の東アジア諸国、中国、韓国、そしてベトナムも「春節」すなわち「旧正月」を盛大に祝うし、一週間近い休みとなる。なんで日本は断絶してしまったのか寂しい思いがする。中国韓国にしたって、太陽暦の新年は一年の最初の一区切りの日として重んじられているがそれは別として旧正月も祝っている。日本もそのように出来なかったのかなぁ。

 日本の歴史が好き、あるいは日本の古典が好き、という人、私もそうだが、そんな人は旧正月を意識し、旧暦の暦をよく見ていて、今日は何の日か認識する人が多いはずだ。古典の季節感を表す「歳時記」など考えると、新暦の一月一日を「初春」と呼ぶことには無理がある。新暦の一月一日は冬至から10日もたってはいず、陽光も極小になり、気温もまだまだ下がっている。これで初春じゃの初春じゃのと呼べるはずがない。

 旧暦は季節との乖離が(月の相を基準とするため)若干あるが、旧暦には24節季があり、これが季節の推移の目安となっている。その中で「立春」というのがある。だいたい新暦の2月4日頃である。この頃になるともう寒さ極大値は過ぎ、陽光などは強さを増し、春の兆しを感じられる頃となる。まさに「立春」頃が、初春とか初春というのにふさわしい。

 旧暦の元日はこの立春頃にあたるのが理想とされているが、ご存じのように太陽の動きと月の相とは一致しないので、多くの旧暦の元日はだいたい平均すると立春ころだが、年により立春より少し早い年もあれば少し遅い年もある(半々に近いが若干早い場合が多い)。そう考えると24節季の立春(新暦の2月4日ころ)が古くより一年の初めとされていたと言っていいだろう。だから中国でも韓国でも旧正月を「春節」と呼ぶのも納得できる。

 ところが今年は旧正月元日は立春より15日ほど早い。これは旧暦の日付が月の相であるから仕方がない、立春が新月と一致することは少ない。しかし15日間も立春との乖離が大きくなると季節との乖離も無視できないようになる。これ以上乖離が進むと24節季の「大寒」が元日となりかねない。そのためにはそうならないよう閏月をいれて調節する。今年は乖離が大きくなったので旧暦には2月が二回、後の月は「閏月」を入れて調節するようにしている。

 ちなみに閏月はどこに入れるか?ちゃんと法則性がある。24節季は12の「節気」と12の「中気」がある。近々のそれでいえば一昨日の「大寒」は中気、2月4日の「立春」は節気となる。そして中気を含まない月が「閏月」となるのである。だから今年の暦注(高島暦)を見ると閏月は中気を含んでいない。(節と中は互い違いになっている)12ある中気を季節の目安基準にしているため、中気がない月を閏とするのである。 

 江戸時代に生きる人にとって今日が月の何日になるかは、わりとわかりやすい、月の相を見れば、三日月なら三日、上弦なら7日か8日、満月なら15日、と夜空をみれば見当がつく、しかし困るのはいつ閏月が入るか、また月の日数が29日か30日かどちらか、ということである。そのため江戸時代の暦は下のようになっている。一枚刷りであるが、小の文字の下が29日の月となっており、大の文字の下が30日の月である。そして月を見ると文化八年(1811年)は今年と同じで閏があり二月が二回ある。このようにして閏月があるか、また今月は小の月(29日)か大の月か(30日)を知ったのである。

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