2022年8月19日金曜日

阿波の山に残る念仏踊り

 この歳になって郷土史や郷土の民俗学が興味が出てきた。若いときは歴史一般、つまり日本史の誰もが認める歴史上の人物、事件などの興味が中心であった。多くの人もそうだろう。そのためごく身近な郷土の歴史や民俗学について若いときはほとんど勉強しなかった。

 しかし何十年も日本史などを勉強しているとそのうち一般的な歴史ではなく、というのも何十年もやっていると多くの人が興味のあるものなどだいたい知ってしまってそのうち飽きてくる。そのためもあり、あまり人々の興味の向かない枝分かれした微細な部分の歴史に勉強が向かっていくようになる。

 歴史にはいろんな分野があるので、これを深く勉強するようにすれば何年たとうがこのような歴史の興味は衰えず続いていくことになる、私の歴史の興味の推移はブログを見るとよくわかる。ちょうど十年前の2012年頃には四国出身の宗教家(といえば空海を思い出すだろうが、もっと新しく鎌倉時代の一遍上人)に興味を持ちいろいろと勉強していた。この時代の民間に活躍した宗教家は庶民大衆を救うことをまず第一に考えた結果か、なぜかキリスト教のような一神教にちかいと思われる教え、「阿弥陀仏(のみ)を信ずれば」あるいは「阿弥陀仏の名号を一心に唱えれば」救われると民衆に説いた。一遍さんもそうである。普通は中世初期の市井の宗教家というとなかなかいい資料がないのであるが、一遍さんについての勉強には良質な資料があって、それには図書館に備わっていた。「一遍上人絵伝」と「一遍上人語録」である。「一遍上人絵伝」は絵巻物になっていて、見るだけで日本の中世がいかなる風景で、それを背景に歴史が展開していたかわかる、まさに百聞は一見にしかずの資料である。

 中世パノラマ一遍聖絵、としてそのごくごく一部を切り取って私が作った動画がありますので見てください(2012年に作ったが、非公開から公開に編集し直したので2021年になっています

 

 この中で京都七条の道場(現代人がみたら道場と言うより「お堂」の一種と見える)で一遍が踊り念仏を大勢でやっているシーンがある。

 鎌倉時代からあったこのような「踊り念仏」が現代の盆踊り(阿波踊りもその一つ)のルーツになっているのではないか、少なくとも大きな影響を後世の盆踊りに影響を与えたのではないかと考える専門家は多い。

 去年の10月頃、私は貞光町の山の方の「お堂」を歩きブログを作った、浦山堂である(ここクリック)、貞光町の山のほう(端山)にはこのようなお堂がたくさんある。私のブログでその中の二つ紹介した(先のブログとその前のブログ)。それ以外にも町内に数十のお堂がある。その一つで木屋堂という「お堂」について、先日みた郷土資料には今も(その資料が作られた昭和63年頃)「念仏踊り」が残っていることが書かれていた。

以下(「阿波のお堂」より引用

~~踊りは木屋地区(貞光町・端山)で一年の間に新仏がある年だけ、旧暦の7月13日夜に行われたが昭和51年からは新暦の8月13日夜行われている。~~まず、新仏の位牌を本尊の前に祀り、一堂は正座して、鉦を打ちながら地蔵菩薩らの真言を唱え、次に、堂内でかね、太鼓を鳴らす人、踊る人も一緒に輪を作り、念仏を唱えながら、左回り?右ではないのか(時計の針の回る方向)に、後ろずさりで鉦、太鼓を打ちながら、だんだん速く回っていき、勢いづくとお堂の床を踏みならし、前の人の帯を握ったり、手をつないだりしなければ輪が崩れそうになる、なんとも異様な熱気のある雰囲気になる~~

 これは中世の一遍さんの踊り念仏と同じではないのか、踊りの動きがだんだん速くなり、ついには神がかり的な熱狂・狂乱の集団陶酔になるのが一遍さんが唱道した念仏踊りである、この木屋堂の踊り念仏はそれをつよく強く思わしめるものがある。

 この貞光町端山は実は私が20代の時に住んでいたところでもあり、近くには「猿飼堂」というお堂もあった。またこの木屋堂は私の祖母の里近くで子供の時、泊まりに行ったこともある。今になって後悔することは、なぜこの昔、私が若かった頃(50~60年以上も昔になるが)そのような地方の行事にもっと身を入れて見ていなかったのだろう、それは無理なら、私が30代の頃にはまだ生きていた祖母や祖母方のお年寄りにこのお堂の行事の話を聞いていればよかった、ということである。

 というのもこの盆踊りのルーツ、そして中世の一遍さんが始めた踊り念仏からの系譜をひく木屋の踊り念仏は平成に入ると、過疎化の影響で、踊りはなくなり、お堂で少人数で集まって座ったまま、念仏の称名のみで合間に鉦太鼓をならしながら唱えられるそうである。もはや踊り念仏とはいえない。せめてこの地域の踊り念仏の昔の動画でも残っていないかとネットやヨウツベで探してもなかった。

 盆踊りのルーツとも言われ、また一遍さんから数えると800年にも渡って伝えられてきた踊り念仏が途絶えたかもしれないのである。間をおいて復活させるとしても動画もない、それを経験した古老も死に絶えてしまったら、踊り、独特の念仏の抑揚、そこにしかないオリジナルの宗教音楽などは復活は難しい。故檜瑛司さんが動画や録音を残してくれているが、郷土の隅々までそれが残っている訳ではなく、途切れるのは残念である。

 若い人でも歴史好きは多い、しかし私もかってそうであったようにごく身近な郷土史にはほとんど注意興味を向けなかった。もし若い人たちがもっと身近な郷土史を大切にしてくれていたらこのような断絶は少なくなるのではないだろうか。

 若い衆よ!身近な郷土の歴史に興味を持ってほしい。

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