2022年5月11日水曜日

わたしより若い三人の死

  有名人の死のニュースは人によってそれぞれあたえるインパクトの濃淡はある。70歳を過ぎた爺にしてみると自分より若くして亡くなった有名人の訃報には特に注目することが多い。なんしにぃ~?まだ死ぬ年じゃあれへんやろ、という感が真っ先に来る。当然、老衰はまずなく、病気、それも脳血管系、心臓、癌の死因が多い。自分も高血圧を始めいろいろ持病を抱えているので若くしてこのような病気で死んだと聞くと人ごととは思えず、自分もいつ病魔に捉えられるか不安になる。また高齢者以下の人では自殺は死因の上位に来る。楽天的で自殺など考えたことのない人もいるが、実行云々はおいといても「自殺」について考えた人も多かろうと思う。それだけに有名人の自殺ニュースはかなりのインパクト、あるいはショックを与えられる。

 最近、私より若いのに亡くなって私に少なからぬインパクトを与えた人が三人いた。一人目は国際政治学者で慶応義塾大教授の中山俊宏(なかやま・としひろ)さん(55歳)、二人目は俳優の渡辺裕之さん(66歳)、三人目はコメディアン上島竜兵さん(61歳)である。

 一人目の中山俊宏さんは後の二人と比べると一般の人は知らない人が多いようであるが、学者さんとして初回のトランプの大統領選挙についてや、その四年後の落選した時の社会の混乱などをテレビで解説していたので顔を見ればわかる人も多いと思う(左の写真)。最近では国際政治学者の立場からロシアのウクライナ侵攻について意見を述べている。つい一週間前に(録画だが)プーチンのウクライナ侵攻に対する世界各国の政治学者と英語で討論していた番組をBS・NHKで見たばかりだった。出演者はいずれも世界一流の国際政治学者であり、その彼らと堂々と渡り合い自分の意見主張を論理的に流ちょうな英語で話す態度に感銘をうけた。そのわずか数日後である。蜘蛛膜下出血で55歳で死去のニュースを聞いた、まことに残念である。こんなことをいうのは不謹慎かもしれないが、なんでぇ~、死神はこの人を連れて行ったのか、かわりにプーチンはんを連れて行ったくれりゃぁよかったのにと思う。今のロシアのような専制主義的に近い国でプーチンが卒然と死去したら、大きな確率でウクライナの戦争は終わるんじゃないかと思ったりする。

 二人目三人目の死はもうすこしインパクトが強かった。なぜなら自殺だからである。まず渡辺裕之さんの(縊死)の訃報を聞いた。原因はあれやこれや続報で言われているが、実のところそんなことは本人のいないところでの推測に過ぎず、本当のところはわからない、最近では某栄養ドリンクCMの『ファイト~~~ッ、一発!』という映像とその声が印象に残っている。60歳を過ぎてもイケメンの上、ムキムキの筋肉、均整の取れた体で、初老の人からは(肉体や体力で)羨まれる存在であった。私は彼よりも高齢であるため、彼のデビューの映画の時から知っていた。映画の題は「オン・ザ・ロード」の主役である。彼がまだ20代の中頃でライダースーツがずいぶんかっこよかったのを覚えている。自殺の原因については後追いの週刊誌やスポツ紙などがあれこれ書くだろうが、わたしの感慨は、「残念、なんとか人生を最後まで走りぬいてほしかった、でも人にはそれぞれ死にたくなるような苦しみや悩みがあるんだなぁ、」ということである。

 そして今日、三人目、ダチョウ倶楽部のコメディアン上島竜平さんの自殺のニュースを聞いた。歳ぃいくと(他人は知らない少なくとも自分は)笑いに鈍感になる。テレビ・映画で喜劇、漫才のような「お笑い芸」をみてもちょっとのことでは笑わなくなる。その中で70歳になった今でも大笑いするのは、志村けんを中心とするダチョウ倶楽部らの寸劇コメディーである。再放送あるいはユーチューブなどの動画で何度みても笑いをこらえることができない。よほどワイの笑いのツボにぴったりとはまり擽るのであろう。

 特に何度見て大笑いするというか、むしろYouTubeなどで進んで見て大笑いしたいのは、志村けんの「ヒトミばぁさんの芸」、そして上島竜平の「いじられ芸」である。いわば明るいイジメである「いじられ芸」は誰にでもできるものではない。その芸人のキャラ、表情によっては視聴者にいやな余韻を残す場合がある、そうなると笑える芸ではなくなる。「おもしろうて、やがてかなしきいじられ芸かな」では俳句や、泣き笑いペーソスギャグとはなっても万人が大笑いできるコメディーではなくなる。その点、上島の芸は私がみるところそういうものではなく、視聴者も安心していじられ芸を笑えた。

 しかし、コメディアンはやはりペルソナ(仮面)をかぶった存在なのであったのを痛ましい自殺を通じて知った。演じる人はみんな仮面をかぶったものであることは当たり前のことじゃとは思っていながらもやはりいじられても陽気な彼をワイらは見ていたのである。「かなしきピエロ」という言葉がある。いろいろ解釈はあるが、ピエロの顔をよくみると目の下に大きな涙の化粧をしている。笑わせる存在でありながら悲しみを秘めているという象徴であろうか。コメディアンの自殺を聞いて、悲しきピエロという言葉を思い出した。しかしそれも我々がみているペルソナ(仮面)であり、その内奥には一人の人間としての表情苦悩があったはずであるが、今日のワイドショーに取り上げられる「彼」をみると、やはり我々はコメディアンの仮面を通してしか彼をみていないのだなぁとの感を強くする。

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