2022年2月2日水曜日

2月2日の雑感日記

  今日は、高血圧を診てもらっている循環器科の予約日、四週間前から診てもらっているが最初の投薬で二週間様子をみた。朝の血圧が下がらないので、次の二週間は薬を変えた。で、今日、毎日朝夕の血圧プロット表を見ながらの診察である。私が見ても新しい投薬の二週間でずいぶん下がっている。医師は当分この薬で行きましょうという。

 気になる点をいくつか聞いた。

●この薬は前の薬よりいわゆる「キツイ」(作用が激しいという意味で)のか?⇒一段階薬効の強い薬とはいえる、とのこと

●ずっと(死ぬまで)飲み続けることが必要なのか?⇒そうなる可能性が高いが、今後の血圧のコントロールによって、薬は変わる(より弱い)のになる可能性がある、とのこと

●血圧の薬を常用することにより、高血圧からもたらされる病気のリスクは小さくなるのか?⇒(たぶん高齢者からこのようなことは何度も聞かれているのだろう、ウンザリした感じで)、前も何度も言っているように、薬を飲んだからいいというのではなく、薬とともに血圧のコントロールが大事で、そうすることにより思わぬ高血圧による発症はより少なくなる、とのこと

●副作用は処方薬とともに出される薬の説明書に書いてあるが、書いていない、多種の薬を常用することによる肝臓障害はどうか?⇒それはありうる、心配なら今後血液検査をすればよい、とのこと

 私が質問すれば漏らさず答えてはくれるが、こっちは素人、あちらは専門医、普通の言葉で述べる私の質問に、誤解が生まれているのではないか、うまく私の懸念が伝わっていないのではないかと多々感じる。多くの予約を抱えているので忙しく個人の細かいところになかなか目が行き届かないのだろう。言葉も事務的となるし、こちらもあまり時間を取らせまいと遠慮もある。(70歳を超える私からこの若手の医師を見ると、失礼かもしれないが外見なんかは高校生が白衣来たように見える若さである、言葉やコミュの世代の断絶もあるのかしらん)

 最初の診察の時、強く町のクリニック(主治医があればそちらを)を進められたが、家も近いし、10年も前からこの病院の他の科で定期的に診療してもらい常用薬も処方してもらっているので、ここの循環器科で診てもらい処方薬をもらうことを希望している、とお願いした。医師は、まぁこの血圧表を診ているとコントロールはできているようなので、同じ薬でまた様子を診ましょう。とのこと、次は5週間後であるが、医師がボソッと

 「なかなか予約がいっぱいで、(私の)予約が、はめ辛いんだよなぁ」 

 同じ病院の泌尿科の私の主治医は、循環器科で血圧の薬が確定したらこちらで出してあげてもいいとは言ってくれている、循環器科の先生にもその旨言ってあるが、できれば循環器科で診察、投薬を受けたい希望も言ってある。血圧の薬は3か月くらい出せると聞いている、三か月に一度の予約はそんなに難しいのかな?

 石原慎太郎さんが亡くなったニュースが昨日駆け巡った。ちょっと古いが「太陽族」という若い特徴的な世代を象徴する言葉を生み、昭和30年代初期の世相を歴史的に言い表す言葉を生み出した。若い人は右寄りの政治家としてしか知らない人が多いが、私はかろうじて彼の世相をとらえた「太陽族の若者」を知っている。小学校の三年生頃まで近所に大きなアミューズメントパークがあり(鴨島有楽座、大火で焼失する)、ティーンエイジャー、20歳そこそこの若者がその中、周りでうろうろしたのを覚えているが、(おそらく夏だろう)派手なアロハ、横を借り上げつつ前に少し伸ばした髪(今から思うと慎太郎刈りか)、そして黒のサングラス、の格好で粋がって歩いていたのを思い出す。石原慎太郎さんの小説「太陽の季節」と即映画化され、一世を風靡した太陽族をまねた田舎の若者であった。いまから考えると海から遠い内陸部で場違いさは否めないがこれも若者の全国的な流行の一つであった。

 太陽つながりで、慎太郎はんの「太陽の季節」は昭和31年であったが、4年後の昭和35年に、太陽と海を舞台にした衝撃的な映画が公開された、どちらの映画も私が見たのは10年以上たってからだが、フランス映画「太陽がいっぱい」である。太陽の季節は、日本の小説が元ということもあり、主人公はすべて日本人であるため、似合う似合わないにかかわらず、みんなアロハ、黒サングラスと外見からまねていったが、フランス映画の「太陽がいっぱい」は、もう絶対日本人にはまねのできない、哀愁を帯びた超美形のアランドロンであったためか、見た人は審美感や哀切感が入り混じって胸いっぱいにさせ、特に女性の心を鷲掴みにした。さすがアランドロンの外形は日本人には真似られないだろう。またサウンドトラックの主題歌も大ヒットした。こちらは内面の官能を大いに刺激したが、安易に外見はまねできなかったため「太陽がいっぱい族」は生み出さなかった。しかし太陽族は昭和30年代半ばを過ぎても、風俗として続いたのは、アランドロンの「太陽がいっぱい」の舞台の太陽と海の影響もあるのではないだろうか。

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