2021年1月19日火曜日

大塚美術館・システィン礼拝堂

  大塚美術館の最大の呼び物は「システィン礼拝堂」の実物大に再現された空間に広がるミケランジェロの絵画群である。ここの作品の多くが額縁などに入った平面展示が多い中、システィン礼拝堂のレプリカ展示は「立体展示」あるいは「環境展示」とも呼ばれている。広大な美術館の入り口にあってまず最初に入り鑑賞するのがこのシスティン礼拝堂である。

 ここにミケランジェロが描いたのは、礼拝堂だから当然だがクリスト教の宗教的世界観である。天地創造から始まって最後の審判に至るまで、この世の始まりから終末までの一直線の時間の流れを描いている。時の流れが一直線というのはヒンドゥや仏教の時の流れ感とはずいぶん違っている。ヒンドゥや仏教の基本をなす輪廻転生の世界観だと時の流れは直線ではなく、壮大な円環となる、ある生き物が生として終末を迎えてもまた別の生物に生まれ変わりそれが果てることなく、くるくると輪廻転生を繰り返す(宇宙でさえ生成消滅を繰り返す)。まさに円環の時間の流れである。どちらも善をなせばクリスト教では永遠の天国が待っており、仏教的輪廻転生では段階の上がった生き物(天人もある)に生まれ変われるからどちらの宗教的宇宙観も勧善懲悪が基本にある。

 我々がシスティン礼拝堂に入ったときちょうど解説ガイドの案内が始まっていた。入館者はシスティン礼拝堂の祭壇方向を向いて礼拝席に着き、レザポインタをもった女性ガイドの説明を聞いた。朗々とした(天井の高いドーム状だからよ~響く)声でよどみなく、自信たっぷりの説明を聞くと、この眼鏡をかけた女性ガイドが、大昔の私の記憶から、なんか中学で教えてもらった英語教師によく似ているなとの印象を持った。その解説の中でこのような話があった。

 「この時代(ルネサンス期)庶民のほとんどは文字など読めませんでした。だから当然聖書などの話も聖職者から聞くしありませんでしたが、このシスティン礼拝堂の中に描かれている天地創造から始まって最後の審判の絵などを見ることによって、ありありとしたイメージを伴いながら聖書(旧約)の話をよく知り、最後の審判や地獄行の恐ろしさを理解したのでありまぁす。」

 なるほど!正面に描かれているのは最後の審判の絵である。宗教画とはいいながらずいぶんリアルな肉感の人々が描かれている(このキリストのマッチョな肉体はどうだ!)だけに、庶民はこの最後の審判を身近でリアルな情景としてみたであろうと思われる。向かって右は地獄落ち、そして左は天国が描かれている。これを見つつクリスト教のボンさんから神を恐れよ!だの最後の審判に備えよ!不信心者は地獄へいくぞよ、だの脅かされば、なるほど信仰も深まるだろうし勧善懲悪の効果も絶大である。正面上部にわずかな腰布をつけた裸体で右手を上げているのがイエス、そして天井部分は聖書・創世記の天地創造、ノア箱舟、アダムとイブの失楽園、などが描かれている。

 下が礼拝堂の動画(女性ガイドの解説を聞きつつ正面から天井を撮影する)

 

 と、ここまで書いて、そういやぁ、日本にもこのような宗教的な絵解きをする庶民派の聖職者、すなわち「聖」がいたなぁ、と思い出した(もちろん仏教・修験道系である)。今現在このシスティン礼拝堂(美術館の)でレザポインタをあっちこっちに動かしながら流れるように解説するおばさんガイドを見ながら、日本のその宗教的な絵解き「聖」も女性だったなぁ、確か・・そうだ「熊野比丘尼」だ! 今、ネットでブログを書いてるついでにこの熊野比丘尼のことも調べてこまそ、とおもいググろうとしたが、いやまてよ、ワイ、前に熊野比丘尼のことでブログかいとるわ、と思い出してワイのブログの左欄外にある検索欄に「熊野比丘尼」と入れると昔ワイの書いたそのブログが出てきた。(そのブログ、ここクリック

 ワイが書いたそのブログを読んで熊野比丘尼についてはよくわかったが、それにしても2年前に書いたブログなのに内容を忘っせてしもうとるのにちょっとショックを受けた。歳ぃいって勉強のつもりでブログをノート代わりに作っているが、あんまし勉強には役立たんっつうこっちゃな、閑話休題(それはさておき)

 ワイのそのブログを見ると熊野比丘尼はんはこのような宗教画を見せつつ解説する。


 そしてその解説する絵(熊野比丘尼の絵解きという)でこのシスティン礼拝堂の正面図と同じ効果を狙ったと考えられるのが次の図である。正面上部中央にいるイエスの代わりにこちらは阿弥陀如来、そして「心」が中心に来ている。上に架かるアーチ状の道は人の一生の道程を表す、右の誕生・乳児から始まって左に行くにしたがって青年~壮年~老年~老衰~死、となる、そしてシスティン礼拝堂と同じように下部には様々な地獄図絵が展開している。下部中央あたりにいる地蔵は閻魔を兼ねた天国地獄行の審判者であろうか。これを見ながら比丘尼はレザポインタならぬ指し棒で、人の魂のたどる宗教的宇宙を解説しながら、「悪ぃことしよったら、こないな地獄にいくんでよぉ」と善男善女に勧善懲悪を勧めたのであろう。これはシスティン礼拝堂で信徒相手に解説したボンさんも同じことを言っていたに違いない。このように聖書の話や法話を絵画で絵解き解説する方がボンさんの説教よりわかりやすく効果的なのは耶蘇教・仏教、洋の東西を問わず変わらぬものである。


 下がシスティン礼拝堂、祭壇上方には審判者イエス(右手を上げている)、そして右下部には地獄の様子が描かれている。

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