2024年8月29日木曜日

風速40メェトル

   とうとう今朝8時ころ鹿児島県の川内あたりに台風10号が上陸した。事前の警告のように中心付近では最大瞬間風速が70mというからものすごい。息をするように強弱はあるが常時風速40mほどの暴風が吹いているようである。まともに風にぶつかりゃぁ家はバラけ、乗用車もトラックも横転しかねない。

 鹿児島そして九州地方が何とか無事にやり過ごすことを祈るばかりだが、ワイも傍観者ではいられない。こっちへもまともに向かっているため、人どころか己(オノレ)の心配をせにゃぁならん。

 まぁウチへ来るまでにはちょびっとは勢力が衰えるが、それでも最大瞬間風速は最低でも40m以上、最大風速は25m以上は覚悟せにゃぁならん。家はまさかバラけたりはすまいが、なにぶん築40年は経っているので瓦の一枚くらいは飛ぶかもしれん。洗濯干し場のビニルトタンが前の台風で半分飛んだままで修理していないので(ゼニがない!)、今回で全部きれいにめくれて飛ぶかもしれん。

 風速40mは近くに爆弾が落ちたときの爆風くらいの勢いがあるそうだから、破壊力もかなりすさまじい。この「風速40m」という語は、特に我々団塊の世代には印象に残っている。それは第二室戸台風(昭和36年)の時の経験から?いえいえそうではありません。古い映画での話で(昭和33年封切り)あります。昭和33年封切りといってもワイらの田舎(貧ちょ小マイ町だが映画館は当時何と二館もあった)の映画館は3番館か4番館なので封切りから1~2年遅れの巡回だったから昭和34~35頃(小学校3.4年)に見たのであろう、石原裕次郎主演のアクションドラマ「風速40メェトル」である。下がそのポスターである。


 近所の映画館でこの映画がかかっていたのは何日くらいか知らないが、子供たちの間で話題になっていたからわかるが、10日間もたたないうちにクラスの男子のほとんど見てしまった。というのも、朝授業が始まったら、授業中にも関わらず、我慢できず、昨夜見たその映画をジェスチャァで「みたぞ、みたぞ」と目引き袖引き、自分も見たことを皆に誇示したのである。だからまだ見ていない子は、親にねだって何としても見に行ったのである。(当時は学級の朝礼の会などはなく、ガキどもが駆け込みで教室に入るとすぐ先生の出席点呼と続いて授業が始まったので、授業前に自慢することはできなかった

 この「裕ちゃん」主演のかっこいいアクションドラマ(当然勧善懲悪、見た後スカッとするし、かっこいい立ち回りもあり、みんな裕ちゃんにあこがれたものである、そして男の子たちは悪人をやっつける裕ちゃんのアクションを真似したのである。)はそれくらい当時の小学生に人気があったのである。ワイももちろん見た。子どもだが風速40mというのはすごい暴風というのはわかった。映画の中で建物の被害が描かれていたかどうかは覚えていないが、裕ちゃんの、風雨にたたきつけられ髪の毛も頭もビショコになって、それでもカッコよさは変わらないどころか、いや増したのが印象深い。

 映画の中で台風の接近によって風速がだんだん危険な暴風に上昇していく象徴的シーンも印象に残っている。実際の風雨の映像ではなく、屋根に取り付けられた下のようなものがだんだん高速でクルクル回転する映像で風雨が強くなっているのを印象付けたのである。


 後でこれがその風速40mを計測する風力計というのがわかった。この映画で裕ちゃんがもちろん子供の心に最も強く残ったのは確かだが、この風力計も私は心に強く残った。そしてこの映画を見た後の夏休み、その夏休みが終わって、夏休みの宿題の図画工作の作品の展示が教室の後ろに並べられた時、私がアッと驚いた作品があった。

 なんとそれが「小学四年生手作りの風力計」である。今もちろん画像などは残っていないがイラストで示すと下のような構造だった。ピンポンの玉を半分に切り太い竹ひごで水平に回る風車を作っている。そして風速の計測で、なるほどと感心したのは回る風車の根元から垂直に下がった鉛芯である。回っていないときは糸は垂直にだらりと下がっているが回転が速くなると、遊園地の懸垂型の回る椅子や飛行機のように遠心力で、鉛芯のついた糸が広がっていく。その回転の速さによって遠心力が強まり、その鉛芯の角度は開くのでそこに目盛りを打っておけば、なるほど風力に比例した風速の計測ができるのである。


 しかし、なんぼぅ、裕ちゃんの映画で風力計を見たとしても、これを作り、おまけに風力の計測までできる夏休みの工作作品を作るとは、ちょっとこれはできすぎではなかろうか、という疑いを今は持つ、もしかして、お父さんがかなり手を貸して、いやもしかするとそのアイデアもお父さんかもしれない。もし小学校四年生で、だれにもアイデアや手を借らずにこんな作品を作るとしたら、この子は将来発明家になって居るんじゃないだろうか。ワイは同窓会にはほとんど出ないからどうなったかわからないが。

 ところでその最大瞬間風速40mをもたらすかもしれない、現実の台風10号であるが、最新の進路予報を見ると(下)


 31日の朝9時の中心位置がウチのすぐ南ちゅうのも不気味だが、24時間たった9月1日の中心位置が徳島県南部からあまり動いていない。つまりまた遅くなるということである。一応翌日2日には岐阜・滋賀あたりにいそうだが、今回の予想があまり当たらない気象庁である。どうかなぁ?と、気象庁以外で割と信頼度の高い欧州の予報システム「ウィンディ」(Windy)を見ると31日のあと、四国沖から紀伊水道南へ出ると迷走をはじめ、行きつ戻りつウロウロ定まらないと出ている。こうなるとウチらの地方は最悪、台風の影響が長期にわたる。一体どないなるやら。

興味のある方はネットで「Windy」を探してその予報を見てください。31日からの停滞、迷走は相当なものですよ。さてどないなるやら。

2024年8月28日水曜日

また台風が遅ぅなっとる

  二日前のブログに「・・台風がまた遅くなってる」と書いたが、今日の午前9時の進路予想をみると、再び、「また、遅ぅなっとるではないか」、26日の予想では8月31日午前9時の進路予想では中心は新潟県の佐渡付近にあり、ここ徳島からは遠ざかっていたが、今朝の予報では31日は阿波池田の南の四国山中付近に中心がある。遅くなるっちゅうことは雨風の吹き降りが長く続くっちゅうこっちゃ。ややなぁ。

2024年8月26日月曜日

夏の終わりには台風があるんやで

   台風の進路予想が前と比べると西に寄ったようだ。また速度も遅くなっている。しかしうちらの地方が暴風圏内に入るのは変わらない。


 夏は気象災害が多い季節である。前半は集中豪雨・大雨、そして夏の終わりころには台風がある。それ以外にも日射病や熱中症で倒れる人も多い。だが夏は暑く、お日ぃさんがキツイ、のは当たり前で、昔からそれなりの工夫をして熱中症や日射病を防いだものだ。だから日射病や熱中症が特に気象災害として認識されていることはなかった。しかし、これだけ(今年なんかは特に)高温で最高気温が35℃以上になる日が多いと、パタパタと熱射病や熱中症で倒れる人が続出する。そうなると異常な酷暑による熱中症などは、今や気象災害と言ってもいいだろう。これからいわゆる地球温暖化で夏の異常な酷暑による熱中症は夏の主要な気象災害となっていくんちゃぁうやろか。

 地球温暖化は夏の最高気温の上昇ももたらすが、当然、夏の季節も長くなる。最近は初夏でも真夏日が続出し、酷暑日もたまにある。そして秋もなかなか涼しくならない。昔は「暑さ寒さも彼岸まで」とか言っていたが、秋の彼岸過ぎても真夏日が居座る。結局、四月の終わりくらいから九月が終わるくらいまでは、夏の気配が厚かましく漂うことになる。

 夏の時候を六つに刻んでみた。五ヵ月間(5~9月)夏があるとするとほぼ一年の半分である。しわ寄せは冬であろうか。冬がやがてなくなるかもしれない、また春、秋も短くなるだろう。日本は「四季」の明瞭な国と昔、地理かなんかで習った記憶があるが、それもこれからは変わってくるのだろうな。

2024年8月25日日曜日

えっ うちへ直撃のコースやわ

  昨日の朝の「台風10号」の予想進路は紀伊半島の東岸をかすめ名古屋直撃するコースだったが、今朝の進路予想を見ると、なんと、四国東岸を通り近畿へ向かうコースに変更になっている。今朝のコース図をみるとうちの家の真上を台風の中心が通るようになる。

 えらいこっちゃ、どないしょ

2024年8月23日金曜日

ここ数日の出来事

  昨日名古屋へ鈍行列車で行った。それも東海道線ではなくローカル線の関西線でである。たった一両のワンマンカーで伊賀の山中を通った。途中の伊賀上野駅で列車の中から撮影したホームの写真が下(下車はしなかった)、「忍者」「組紐」そして「松尾芭蕉」の三つがこの地の観光のメインであるようだ。三つのうち二つは知っていたが「組紐」がこの地の伝統工芸とは知らなかった。


 先日は立江の地蔵寺で経木流しの水子供養をしたが、羅漢の地蔵寺でもやはり経木流しの水子供養をした。今日23日「地蔵盆」である。



2024年8月20日火曜日

昨日最高気温が真夏日を下回った

 

 昨日は久しぶりの雨となったが、おかげで市内の最高気温は29.3℃となり真夏日ではなくなった。湿度が高く蒸せる、という人もいるが、連日35℃をこえる暑さのうえに陽に焙られていた身には、30℃を下回る外気と、雨でしっとり濡れた風景に、ホッと癒される一日であった。

2024年8月18日日曜日

現世 来世 未来の仏

  一昨日、昨日と回った寺は、大日寺、常楽寺、地蔵院名東)、地蔵寺小松島)である。このうち大日寺、常楽寺は札所である。御本尊は、大日寺は千手観音菩薩、常楽寺は弥勒菩薩、地蔵院、地蔵寺はともに地蔵菩薩である。まわった時に撮影した写真をあげておく。


 今日のブログの題は、現世、来世、未来の仏である。いったいどんな仏か?ご本尊の前での祈願が現世に生きる者の御利益(ごりやく)を願うものであれば、「現世の仏」、自らの死後の魂の安寧や亡くなった者の冥福を祈る者であれば「来世の仏」と言っていいだろう。そして「未来仏」である。この未来仏についてはちょっと説明を要する。来世、未来を考える場合、当然、死後も魂があるのであるが、もし来世の仏で魂が救われれば、天国あるいは極楽のようなところで永遠に至福を過ごせるのではないか?とすると、未来仏は出番がないのではないか。

 しかし、(現代仏教では宗派によって違うが)そもそもの仏教では、現世は現在人間界にいる魂と考えている。もし、地獄にいるならそこが現世である。そして人間界で行いが良かったら死後の魂は天に上る。そしてそこに存在するが、天にも段階があり、上位の天へ行くには死後魂となってもその世界で修行しなければならないと考えているのである。

 魂は上位の天に上るだけでなく、下に落ちたりもする。現世での行いがよくなく悪道(地獄、畜生、餓鬼、修羅道)に落ちた魂は永遠に責め苦を負わされるのではなく、上昇の機会もあると考えられている。魂はこのように天、人間界、地獄、畜生、餓鬼、修羅道の六道を輪廻するのである。だから魂にも未来はあるのである。その遥かな未来、56億7千万年後にあらわれ、それらの魂を掬いとり、成仏輪廻から逃れる道)させるのが未来仏である。

 上記の寺でいえば、千手観音さんは現世仏、お地蔵さんは来世仏の性格が濃ゆい、そして弥勒さんは未来仏である。ただし観音さんとお地蔵さんは現世でも来世でもどちらにも頼みにされる仏であるから、単純に現世仏、来世仏と分けられるものではない。

 私のように現世での行いが良くなく、地獄道に落ちてしまう人間にとってもっとも頼みにできるのはお地蔵さんである。地獄でもちゃんとお地蔵さんはいて、救いの手を差し伸べてくださるのである。よく使われる慣用句に『地獄で仏』というのがあるが、まさにこのことを表しているのである。

 過去の私のブログを探していると、地獄とお地蔵さんのテーマで書いていた。内容はすっかり忘れていて、自分のブログを読み返しながら、「なるほど勉強になったわ」、である。その地獄・お地蔵さんのブログはここクリック

2024年8月16日金曜日

鮎喰川に足をつける

  炎熱の中、大日寺から常楽寺へ歩いて向かう途中、鮎喰川の橋を渡りながら、下を見ると河原に清流が流れている。手前は淵で深くなっているようだが、橋を渡った対岸の河原の方は浅い瀬でせせらぎとなっている。河原に降りる小道があったのでそこを下り河原に出る。汗だくで体がほてっている、しかし川辺とはいいながら河原の照り返しでそこも暑く、涼む雰囲気ではない。そこでズボンを膝までたくし上げ、素足になってせせらぎを歩く。水が冷たくて足は気持ちいいが、頭冷足暖というように足をつけて冷えたくらいでは涼感はあまり出ない。

 深さは向う脛の半分くらいだ。全身を浸けるには浅すぎる。こんな熱射病になりそうな日に、河原のせせらぎで立っていて体を冷やすのに一番いいのは、パンツ一丁になり、手で水を掬い、あるいは跳ね上げ、全身を濡らすことだが、さすがにジジイのストリップを、人目あるところでやるわけにはいかず、足を浸けるだけで我慢した。

 宗教的行事で「沐浴」、「禊」あるいは「洗礼」というのがある。そもそもは川に入ってやるものだ。私の巡礼歩きの修行の途中、暑さに耐えられず、川のせせらぎに入って全身に水を浴びれば、これも何か宗教的意味があるのか、とふと考えた。そういやお釈迦はんが沐浴したガンジス川周辺や、キリストはんが洗礼をしたヨルダン川周辺は、炎熱の季節は日本よりもキツそうだ。


2024年8月13日火曜日

三ヶ寺参り

  一昨日11日、大日寺~地蔵寺~金泉寺、の三ヶ寺を歩いてお参りした。猛暑のなか、この炎熱の苦しみも供養のためと頑張って、休憩も入れてのべ6時間歩いた(午前10時~午後4時


 冷感グッズおぉ、偶然か、語呂が霊感に通じるではないか!)のネックリングが熱射病でぶっ倒れるのを予防してくれた。


 地蔵寺で、経木流しをして御霊を供養した。私が小ンまい時、明治生まれの祖父母に連れられてお寺の水場で、おしえられて見よう見まねで経木流しをして以来だから60数年ぶりだ。



2024年8月9日金曜日

ムゥゥゥゥ~~~~

  今日の大手新聞すべての第一面を飾るのは「南海トラフ巨大地震注意」である。


 なんか今年1月1日の元旦に能登・北陸の地震でいやぁ~~~な年明けだったんだよなぁ。新年のまさに打ち立ての第一日に大地震って。そもそも元旦は昔からずいぶん縁起をかついだもので、元旦は安穏に過ごせればとみんな願っていたはずだ。もし元旦に何か少しでもキズになるようなことが起こると今年一年間は凶じゃないかと恐れたものだ。それがよりによって元旦に大地震である。それを思うと、今年を占うというか、予言すれば、今年はいいことはないだろうな、って感想を持った人も多いだろう。

 そしてお盆の直前に、政府・気象庁から出たのが「南海トラフ巨大地震注意」、正確にこの注意報についていうと「新たな大規模地震が発生する可能性が平常時と比べ数倍高まっている」ということだ。そして「申し添え」として県や市からは、一週間程度は、巨大地震が起きたときに備え、避難経路や地震グッズ、耐震状況など、注意を怠らないように、とのことである。

 我々一般人は、これをどうとったらいいのだろう。気象庁がよく出す天気に関する注意報に慣れたものは、あぁ注意報じゃから大したことはないわ、と思うのか、それとも初めて出る巨大地震注意報は、何かよっぽどの予兆(地殻変動やら地電流の異常など)があるから、前例はないが、思い切って出したのだろう、もしそうだとすると我々はかなり真剣に受け止めなければならない。

 いったいどちらと受け止めて、どないすりゃエエんんぞい?一週間わななきながら過ごすのか、ほんなん確率的に低ぅてまず起これへんわと、へらッとして一週間を過ごすのか。このようなはっきりしないモヤモヤがあると、ムー的言説がしゃしゃり出てくる余地がある。

 ムー的言説とは、いわく「三毛猫のオスが町内を徘徊しよった、これが地震の予兆の一つじゃ」、とか「さそり座に、ワイしか見えん暗黒星があらわれ、さそり座の心臓星アンタレスを犯したからじゃ」、さらに文字通りのムー的言説であるが「こりゃ、数万年前、超古代文明を乗せて沈んだムー大陸が、再び海底から現れる予兆としての地震じゃ、世は新文明を迎えるっぞよ、みなみな準備せよぉぉぉぉ~」、もう少しオカルト宗教っぽくなると「これは神からの天罰じゃ、不信心者は大地震の天刑によって滅びる、皆のものぉ~、恐れ、畏まれぇ~、信じる者は救われるぅぅぅ~」などである。このようにムーはんお得意の終末論と結びついたりする。

 大地震の注意報など、政府(気象庁)から出されたことはなかった。地震が来るぞよ、とみょぉな予言者めいたイカサマ師はときどき発作的にあらわれ適当に言ったりするが、今回は権威ある「お上」の巨大地震注意である。そのお上が言うことやからイカサマ師が言うのとは全然重みが違う。注意報をよく読めば「可能性が低くはない」と確率的には今すぐ(今年か来年中)起こるのは小さいのだが、何かというと終末論に結び付けたい人は、「お上もゆうとるぞ、巨大地震が起こるぞ、なんやかやでやがて終末は近いぞ」とその活動を鼓舞されるかもしれない。

 終末論は長続きしない、泡のようにできては消える。そらそうだろう、ホントに終末論が当たったら、世界はそれでお終い。続く世がないんだからそれ以上は終末論は語られない。終末論は外れて、世界はなおも続くから、続々と新しい終末論が生まれるのだ。

 ここでやまさん、はっ!と気づいた

 以前の私のブログに巨大地震の暗示を読んだのである。今年7月30日のブログ「盆と月」である(盆と月のブログはここクリック) このブログでその暗示のキーワードを探すと、「お盆」「海盆」「豊饒の海とはついているが、死の海である月の海」。

 どういうことか、「お盆」は巨大地震が起こる日時、そして「海盆」は?海盆は日本語だが術語で海盆のことを「トラフ」という。つまり地震の巣窟である「南海トラフ」の暗示。そして「死の海である月の海」は巨大地震の大津波によって壊滅する海と沿岸部

 もしかして、ワイ、今まで気ぃつかなんだが黙示を受ける霊感があるんとちゃぁうやろか。と、まぁ最後の8行はワイの妄想信じんように!

2024年8月7日水曜日

火炎樹

  昨夜、といってもまだ午後八時前で完全には暮れ切ってはおらず、空全体が暗い水色になっていたころです。私は県立中央病院の、ほとんど車のいなくなった広大な駐車場を目的もなくフラフラ歩いていました。

 すると駐車場の真ん中に暗赤色の不気味な木が立っていたのです。その赤い枝が上に向かってくねくねと曲がっているさまは炎のようでした。すぐ頭には「火炎樹」という言葉が浮かんできました。実際は見たことがないけれども、この木を見て火炎の木をイメージしたのです。近寄ると、それは一本の大きな木を下から赤色灯で全体を照らしているのでした(ライトは数本ありました

 火炎樹というのが真っ先に思い浮かびましたが、ここは大病院の駐車場で病室からもこの暗赤色の木が見えることを思うと、肺の血管の立体解剖模型を逆さまに立てたと見えないこともありませんでした。私の感想としては、ちょっと不気味で奇体(ケッタイ)なものでした。



 後で火炎樹を調べました。この木はほとんど日本では見られない(巨大温室などは別として)そうで、ベトナムやタイ、インドなど熱帯から亜熱帯地域の木だそうで、その地域に行くとよく見られるそうです。下が本物の火炎樹です(ベトナム

性なる算数のおベンキョ




 昨日、麻植郡と阿波郡の境を流れる吉野川の河川敷で一夜一千発の花火大会があった。四国の田舎にしては結構大規模な花火だ。十代の若い男女がたくさん群れあつまって夜空に炸裂する大輪の花火を見上げたそうだ。おずおずと前後になり、あるいは距離を少し保って歩く若いアベックは少ないようで、親密にひっつきあい、中には手を絡ませているのもいたそうだ。また格好はと言えば、両者とも浴衣姿の人もぎょうさんいたそうで、なかなか風情があってよろしかったような。と、伝聞調の語尾になるのは見ていないからで、こんなジジイになればわざわざ足を運んでみる気もない。

 ところで、これもまたジジイ同士の伝聞だが、ほれ、あれ、最近の高校生の男女って、処女率や童貞率は、ワイらの時、60年びゃぁも前と違ってずいぶん下がっているそうではないか。もしかしてゼロに近いんか、そりゃそうやはな、ワイらの時と違い、今はスマホとやらで、性に関する知識、えげつない写真、動画も含め、なんでもかんでも見られるから、十代の高校生がそんな知識にさらされ続けたら、センズリやオナァニィだけで満足できるはずもなく、実際にやってみとぅはなるわな。

 そこで、ジジイであるワイのボケ防止の頭の体操としてちょっとした算数をやってみたい。高校生を含めた若い男女が、ヨンベの花火と熱帯のような情熱の夜に刺激されて「性交」に成功したとしよう。若い衆の処女率・童貞率も最近では低いっちゅうことは、つまり経験を積んでいるちゅうことで、初発でうまっくいかず別の穴に入れたり、角度が違って完全に挿入できなかったり、また見切り発射したり、はなく一発でうまく性交したとして話を進めよう。

 それでなんの算数のおベンキョかというと、昨夜8月6日に性交したとして、めでたく懐妊して出産はいつの日になるかということである。

 人類の妊娠期間は40週である。しかしこれは最終月経日が来た日が0週、0日として数えるもので受精日からではない。つまり性交したした日から数えるのではない。それに射精でうまく子宮に入った精子は通常3日、元気のいい精子は5~6日も能力が続く、そして卵子はというと排卵から1日は受精能力がある。

 ということを勘案すれば、昨夜一発性交し受胎しても、射精した精子の活動期間と排卵した卵子の活動期間があるから、受精日は性交日から変動する。なお排卵日と受精日は一日程度の違いはあるがほぼ同じとみてよい。

 そしてそれらを考えて計算すると(皆さんもよかったらやってみてください、そう難しい算数ではありません。なお出産日からエッチした日の逆算早見表ここクリックすると出ます。参考にしてください)、昨夜一発やった結果、赤ちゃんが生まれるのは

 4月27日から5月3日の間と出ました。おめでとうごじゃりまする。

 ヨンベ、吉野川河川敷では一千発の花火が上がりました。大勢の男女の仲、一千発は多くても少なくとも数十発の性交はあったのかしらん。

 これはあくまでも頭の中だけの妄想の計算で、この地域の若い子ぉらが、みな桃色遊戯に耽るわけではありません現実、ワイの見るところ若い子ぉらはオボコで素直な子ぉばっかしです。誤解のないように申し添えておきます。

極楽寺

  追悼やお悔やみの定型文句に「ご冥福をお祈り・・」云々、とある。冥福とはなんだろう。文字通りとすれば、冥途(あの世)での幸福ということだろう。あの世で幸福に過ごすとは、極楽や天国を信じる宗教ならばわかるが、しかし、ご冥福云々は、個人が無宗教や、死後の世界を信じていない人に対しても普遍的にお悔やみの文句として使われている。ご冥福をお祈り・・はもっとも一般的というかどの宗教の人にたいしてでも無難な言い方であろう。天国で安らかに、というのもその次くらいに一般的なのではないだろうか。しかしこれが極楽で往生まちがいない・・などと言えば浄土系の追悼となり、極楽とか浄土とを言葉に入れるのは普遍的追悼の文句としてはふさわしくない。まぁお悔やみの言葉としては故人あるいは遺族の信仰によって臨機応変に対処するのがいいのだろうが、誰でもお悔やみの言葉は苦手で、特に急に訃報を聞いた時などは、何と言っていいか迷う場合もあり、思いつくまま(小声で重々しく)お悔やみの言葉を述べた後、普遍的で一般的な「ご冥福をお祈りします」は結びの言葉として使いやすい。

 うちの家は代々真言宗である。真言宗の場合は死後の魂の拠り所として極楽とか浄土とかはあまりいわない。しかし真言宗はそもそも他の仏教宗派に対する寛容性・包摂性が強く、死後の世界として極楽あるいは浄土とか浄土宗系で信じられている死後の世界をいっても、違和感があるわけではない。だから真言宗徒が「南無阿弥陀仏」と浄土系の念仏を唱えてもなんらおかしくない。真言宗の枢要の仏さま大日如来さまだが、われわれ真言宗徒にそう人気があるわけでもない。ちょっとどれくらいの比率化はわからないが、一番人気はたぶんお薬師さんであろう(薬師如来)。あと観音さん(観世音菩薩)もいる。他、釈迦如来阿弥陀如来さまもいらっしゃる。なにせ真言宗の仏の世界は曼荼羅(胎蔵、金剛界)で示されているように、上記の仏様も含め多数いらっしゃる。だから「南無薬師如来」とか「南無観世音菩薩」とか「南無阿弥陀仏」とか、「南無〇〇〇〇」と〇〇に仏の名号を入れて祈るのは不思議でも何でもない。ふつうはその仏様にあった真言(マントラ)を唱える、例えばお薬師さんだと「オンコロコロセンダリマトウギソワカ」というのがいいのだろうが、知らなかったり忘れたりした場合は「南無薬師(瑠璃光)如来」さま、と祈念するのも間違いではない。

 真言宗では阿弥陀仏は別名の無量寿仏、あるいは無量光仏と呼ばれることが多い。曼荼羅の五智如来(中央、東西南北に各五体の仏)の中では西方に位置する仏様である。西方というのは西方極楽浄土とイメージしてしまうが、真言宗ではそこまではいわない。しかし浄土宗系の死後の考え方や、念仏の流行もあり、古くから真言宗徒であっても死後を頼む仏としてあがめられている。

 先日、二番札所極楽寺に参拝した。寺の名前極楽寺から本尊は阿弥陀仏であることがわかるが、寺の宗派は真言宗である。上で説明したように真言宗の寺は阿弥陀仏さまも本尊にするのである。真言宗徒も含め庶民が死後をたのむ仏として信仰していたのは、江戸期から続くこの寺の御詠歌を見るとそのことがよくわかる。

極楽の 弥陀の浄土へゆきたくは 南無阿弥陀仏 口癖にせよ

 下は極楽寺山門、仏木・無憂樹にたとえられる百日紅が咲いている。ここで亡き人の冥福を祈った。

2024年8月4日日曜日

夕立かと期待したが

  昨日のブログで夕立でもあれば涼しくなる、と書いたが今日の夕方、巨大積乱雲の真下にウチらの地域が入った。だんだん空は暗くなり、涼しい風が吹き出した、茹だるような暑さが急激に消えていった。このままザッと降ればますます気温が下がり、通り雨のあとの涼しさが期待できる。しかし、夕立は降らず、陰って少し気温が下がっただけだった。


2024年8月3日土曜日

連日の猛暑、まだまだつづく

  連日の猛暑で体調不良になる人も出てこよう。夕立もないため夕方、熱気充満する歩道を歩いていて西日に煎られる身はまさに焦熱地獄だ。ボニは地獄も休みになると聞いている。地獄の猛火もその日は消されるとか、そのボニが近づいている。この娑婆も炎熱地獄から一時でも解放してほしい。

 あちらこちらで炎熱の花、百日紅が目立つようになった。仏さまが生まれたときに咲いていた無憂樹に似ているとして墓地や寺にも植えられている。仏の木の一種と言ってもいいだろう。仏前に飾ったりはしないが、仏縁のある木ではある。(他には沙羅双樹や菩提樹などがある)