死者の国として「冥土」あるいは「黄泉の国」などが考えられているが、冥土とは冥(くらい)土(土地)、そして黄泉も薄暗さの意味であるから、死者の国とは闇かそれに近い暗い国と思っていたのだろう。人類が弔うことを覚え、遺体の処理として世界の多くの場所では死者を埋葬してきたから、土中あるいは深く穿たれた横穴、竪穴は光のささない暗い所に違いない。
しかし人類が弔いを行いだしたころ、それは何十万年もの昔だろうが、人は死んでも肉体から離れて「霊」や「魂」が存在しつづけると信じた。そうすると肉体は滅びても霊や魂が残っていることになる。これは愛する人を失い悲しみにくれる遺族にとっては福音である。
その霊魂の行方は世界各地の古代民族によってさまざまな場所が考えられた。「冥土」や「黄泉」の言葉からわかるように、埋葬された肉体は滅びても霊魂はなお地中深くの国に赴くと信じた民族もいる。古事記にあるようにイザナミが死んでいった黄泉の国、あるいは古代ギリシャの死者の国としてしられた「ハデス国」も地中深いところにあるイメージである。しかし一方、霊魂は重さを持たない極めて軽快俊足に動くものとしても考えられたようである。フワフワと日常世界をうろついたり、一足飛びに遠くの場所へ移動するというイメージも持たれた。重さを持たず俊足軽快な霊魂は、埋葬場所にとどまることなく上昇して行って遥か天に上り、土中の深いところにある冥土や黄泉の国とは反対の天の高みにある「天界」に移ってそこが安住の地になるとも考えられた。
その土中と天上の国の中間に死者の国を考えた民族もいた。地でも天でもなく山の向うのまた向こうの人の行けない山奥に死者の国を求める場合、あるいは海の遥かかなたこれまた人がいけないウンと遠くに死者の国をもとめる場合、などである。
いずれにしてもどの民族でも死者が常時自分たちの生活空間に死者の霊魂がフワフワうろついてもらっては困ると考えた。必ず生者の国と死者の国との峻別はあるのである。死ねば霊魂は肉体から離れ、生者の国から離れ、遠い死者の国へ旅立てねばならぬのである。旅だったあとは、鎮魂のためのある一定の期間を除いて死者の国から霊魂が生者の国に訪れることは普通はなかった。
上記のようなものが太古の民族が持っていた死者の行く国に対する素朴なイメージであろう。でも同じ事なら地中の暗い国よりは高いところにある明るい天上の国のほうがいいような気がする。それは太古の民族もそう思ったであろう。しかし一様に天上へは上昇できるものとはかんがえない、いい魂は天上へ、悪い魂は土中深くの「冥土」へ、と考えだすのは自然である。
仏教が伝来すると死後どうなるかを詳しく描き、魂の行方を説明してくれるようになった。仏教は輪廻思想を基としているため魂の永遠の循環が考えられているが、とりあえず「いい魂」(生前の業によって決まる)は次回は「天界」に生まれるので死後の次の世は「天界」ということになる。(程度の低い良い魂はまた再び人間界に生まれる場合もある、ただし前世の記憶は消えている)
悪い魂はどうか、これは悪趣(餓鬼界、畜生界、地獄)に行く。ただ悪い業に引かされた魂であるため、本人の自覚がなかったり、忘れたり、あるいは意図的に隠したり、または開き直り、ワイそんなことせえへんで証拠みせぇや、と言ったりで、そんな推定無罪のような被告の魂をどこの悪趣に落とすか(地獄でも八種類ある)判断・分類が難しい。
仏教が中国に入ると中国土着の死後の魂を裁判する十王伝説と結びついていわゆる「閻魔大王」がうまれた。そしてそれが日本にはいると平安末期までにそれをベースとして「地蔵十王経」(日本で生まれた偽経)が編まれた。それに基づいて日本の閻魔信仰、十三仏信仰が起こるのである。
善業の魂は誰が判断することもなく善業にひかれて天界へ赴くが、厄介なのは先ほども述べた悪業に引かれ悪趣に赴く魂である。亡者に思い出させ、有無を言わさぬ証をし、認めさせなければならない、そこで死後悪道に落ちた魂が最初に行くところには、裁判官と検察官をかねた「○○王」がいる。慎重を期すためか、あるいは細かく行き先を決めるためか、一つの審判が終わると次々に十人の「○○王」に審判される。現代日本の裁判でも三審制なので十審制にもわたるということは絶対間違いのない、有無を言わせぬ判断であるといえる。ただ審判の場はちょっと凄惨な場であり、例えば嘘をつくと舌を抜かれるとか、拷問と呼ばれるものもある。十王伝説が生まれた当時の中国の裁判の様子を描いたものではないかと思われる場面である。ちなみに閻魔大王も含めた十王の姿は何やら中国怪奇映画の「キョンシー」のような冠、衣装であるがこれも当時の中国の裁判官の格好である。普通のホトケの衣装とは違うこのような格好を見ても死者審判の十王は中国生まれであることが推察される。
死後7日目に審判されるのが①秦広王である、以下7日目ごとに②初江王 ③宋帝王 ④五官王 ⑤閻魔(閻魔)王 ⑥変成王 ⑦泰山王 ⑧平等王 ⑨都市王 ⑩五道転輪王 と続く、重要なのは五七日(35日)、五番目の閻魔王である。閻魔の住む閻魔庁には生前の行為はすべてつぶさに記録されており、閻魔庁において記録係が亡者の罪を陳述する。また特別な鏡があり、否定してもその行いがそれに映されるのである。ここで悪行を為した亡者は地獄行が決定するから、閻魔王が亡者の行き先すべてを一人で決定しているイメージがあるがそうではなく、閻魔も含めた十王が7日目ごとに段階を踏んで亡者の罪を定め、自覚させ、行き先を振り分けているのである。
またこの閻魔庁には地蔵菩薩も住んでいらっしゃるという。あとで説明するが実は閻魔と地蔵菩薩は同じホトケの表裏一体であるとも見られている。ご存知のように地蔵菩薩は六道(地獄も含む)すべてに赴き、たとえ無間地獄に落ちた亡者であっても救いの手を差し伸べてくれる菩薩である。しかしこの閻魔庁においては閻魔王と地蔵菩薩は別のホトケとして表れているようで、閻魔の審判において閻魔が追求し、それを地蔵が弁護するという話も残っている。
このように地獄に落とす存在としての閻魔王と、地獄の唯一といっていい救い主の地蔵菩薩が一体であるという考え方があるため十王の中で閻魔王を最もキャラ立のあるホトケにしたのである。閻魔王の名は一般人も知っているが、他の十王たちの名は全く知らないだろう。専門家である真言宗の僧侶でさえ十王の名前をソラで全部言えるかどうか怪しいものである。
また閻魔王は十王では唯一インドに起源をもつホトケである。上記の十王の名前を見てもらうと他の九王はいかにも中国っぽい漢字名であるが閻魔はサンスクリットの当て字っぽいのがわかる。これはインドの「ヤマ」というリグ・ヴェーダ(神の讃歌集)に出てくる冥界の神の名からきている。それらのこともあって閻魔王の名のみが冥界の王、そして地獄行の審判者として高まったのである。
十王の考えは日本に取り入れられ日本生まれのお経「地蔵十王経」が生まれたのであるが中世になると日本では「本地垂迹説」が広がり、土着の神、あるいは天、明王などは実は本地(ほんま)は別のホトケ(如来、菩薩などの上位の仏)であり、それが衆生の便宜のため仮に姿を変えて別の尊格(神々、天、明王、権現など)としてあらわれたのであるという思想が受け入れられた。そうすると十王も本地は実は別の仏であり、それと一体であるという考えを生んだ。それを下に示す。
閻羅王というのが閻魔王のことで本地は「地蔵菩薩」となっている 。地蔵菩薩は慈悲のお優しいお顔をしたホトケであるのにその一体化した閻魔王は地獄の入り口に厳格な審判者として恐ろしい姿を見せるホトケである。このような反する尊格を持った合体仏は密教ではよくある。お優しい表情の大日如来は忿怒の表情の不動明王ともなるのである。
亡者は生前の善業、悪業を十王の前で自覚させられ審判されるのであるが、悔悟や悔悛しても亡者となってはどうにもならない。善業を行うことももはやできない。しかし縁ある親族など、この世に残された生者は亡者が悪趣(餓鬼、畜生、地獄)に落ちるのをどうにかしたい。そこでこの世の生者が亡者のために行うのが「追善供養」である。それによって亡者が少しでも「よき処」に行けるようにホトケに供養し祈るのである。つまり残されたものが亡者ため十王の本地仏である仏をそれぞれの順序(初七日~三回忌)に従って礼拝し追善を行うのである。
中国の風習では親などの服喪は三回忌(満2年)までとされていた。三回忌までだと上記の表のように十仏(十王)でよいが、日本では中世になるとさらにそれに、七回忌、十三回忌、三十三回忌が加わり、それに応じてそれぞれの仏も割り当てられた、順に阿閦如来、大日如来、虚空蔵菩薩である。上の十仏に加わって十三仏となる。
追善には見てきたように十三仏さんがそれぞれ配されているが、一般的な死者の供養については十三仏の中では圧倒的に「地蔵菩薩」さまが人気である。次いで観音様であろう。いまでも交通事故死現場、水難現場、そのほか不慮の死の場所などに一体のお地蔵さんが立っているのを見てもその人気がわかる。法体姿で今にも救いに行けるぞ、というように片足を一歩前に出し、柔和なお顔で、六道の隅々(地獄であっても)までも救いに行かれるお地蔵さまは大した追善供養もできない庶民にとってはありがたい仏さまである。
昨日はそのお地蔵さんが御本尊である名東の地蔵院へお参りに行ってきた。
本堂の上の奉納額に描かれているのは地蔵の霊験譚であろうか。
大師堂の天井には胎蔵曼荼羅が描かれているというので撮影したかったが、小さなガラス板の入った格子ごしなのでうまく撮れなかった。下が天井画の一部、ガラス板が反射して不鮮明である。
境内には十三仏堂もあるので紹介しよう。
十三仏、十三体の仏さまがいらっしゃる(お姿は垂迹姿の十王になっている)。追善供養の仏さまはお不動様に始まって虚空蔵菩薩様まで順序が決まっているが、この十三仏堂は大日如来さまが中心におられ、左右対称に六体ずつ並んでいるので追善の十三仏様とは順序が変わっている。
中心を占める大日如来さまは胎蔵・大日如来姿で定印を結んでいる。なお中国伝来の十王が日本独自の十三仏となったため、三体余分の○○王は日本で作られ加えられた。
各仏の右に○○王が、左にその本地の如来・菩薩名が書かれている。これを見ると閻魔王の本地が地蔵菩薩であるのがわかる。
下が動画で撮った地蔵院・十三仏堂の内部の様子、
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