2020年8月27日木曜日

ふんどし、ペタシペタシ

 連日の猛暑である。年寄りから言わせてもらうと2010年代頃から、日本の夏のグレードが違ってきているような気がする。もちろん高温のほうにである。昔は35°をこえるような猛暑はほとんどなかった。しかし今年の夏はウチラの地方でも連続で35°をこえる日が続いている。先ほど天気予報のお姉さんが小クイズをいっていた。今年の8月、猛暑日が一日もない唯一の県はどこでしょう?というのである。直前に今日の北海道内陸部で35°こえたといっていたから北海道ではない。それは沖縄県、南に位置するため意外だが、海に囲まれた諸島群であるため海風の影響で猛暑日にはならないそうだ。

 それにしてもインド人の暑さの耐性はすごいなとおもう。インドの最も暑い月は今の日本の8月の暑さより10°は高いのである。最高気温45°こえ!猛暑を通り越している、なんと表現するのだろう。アラビヤのように湿度が低いわけでもない。けっこう湿度もあるようである。まあそれだから不毛の砂漠にはならず農業生産性が高くインドの人口密度が多いのであるが。いったい40°こえる暑さでおまけに湿度が高かったらどないなるんやろ。どないもならん!庶民はそれなりに元気で生活している。
 (前のブログの写真、再掲載)

 前のブログの写真を見ると現代インドの男衆の格好がわかるが、なるほどインド人はこんな姿で夏をのりきっているのだな。帽子もかぶっていない、黒い肌の上半身はむき出し、直射日光が当たるのも気にせず、はだしでペタシペタシと歩いている。インドでも金持ちの暇のある連中は猛暑の中でも涼しく過ごすやり方もあろうが、庶民は猛暑の中でも働かねばならない。その時の格好が前のブログの写真にあるような格好である。

 日本の猛暑でもインドの庶民の格好に習って上半身裸、腰のまわりだけ布をつければ、インドの猛暑でもそれで乗り切れるんだから、それより優しい日本の夏の暑さくらいと、おもったが、しかし歴史を思い出してみると、何のことはない、明治まで日本の男衆の夏の働く時の格好は『フンドシ』姿であった。これは幕末から明治初期、日本の夏に来日した外国人はみんな、日本の男の労働着(?)はふんどし姿で、どこもかしこもフンドシ姿で働いているのが目につくと異口同音に述べている。やっぱ、南インドの働くお兄さんがたと同じで、猛暑には腰巻のみとか、フンドシ姿がいっちあっているのである。
 幕末の夏の労働着、フンドシ

 しかし明治政府はそう思わなかったようで、たぶん外国人の目を気にして(特に居留地にいる外国の御婦人の非難を気にしてか)、文明開化にふんどし姿はあわない、と罰則をもって禁止するのである。おかげで(良かったか悪かったは別として)、この猛暑の中でも日本では上半身裸あるいはフンドシ姿、はたまた腰巻、腰蓑のみの裸で街をペタシペタシと歩いている人はいないのである。たぶん今、そんな恰好で街中を闊歩したら、警察に連れていかれるだろう、これが日本の夏の伝統じゃ!っつうてもこらえてはくれんだろぅ。

 日本は世界の中でも割合と伝統的な服が残っているといわれているが、少なくとも明治までの日本の夏の男の労働着である『フンドシ姿』は残っていない(特殊な神事を除いて)。その点、インドは伝統に忠実であるし、夏の労働着に関して外国の目なんど気にせず自主自律的である。

前のブログと今回のブログ、どちらもインド人の腰巻姿が目に付くが、ここでふと思い出したことがある。昔、すごくおもしろかったギャグ漫画で、それこそこんなインド人のような恰好をしたおじさんキャラがいた(左)、作者は誰だったか思い出せないのでネットで検索すると「谷岡ヤスジ」さんだった。そういえば最近、この人のマンガ読んでいないな、と続けて略歴を読むとなんともう21年も前に56歳の若さで亡くなっていた。すごく個性的で面白い漫画家だったのに若死には残念である。
 今日のブログの題、フンドシに決めたとき、なぜかペタシペタシの足音がすぐ思いうかんで、フンドシと一緒にそれをブログの題にしたが、大昔、この谷岡ヤスジさんのこのキャラがかすかな記憶に残っていて、このキャラの擬態語ペタシペタシが浮かんだのだ。

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