2024年8月7日水曜日

極楽寺

  追悼やお悔やみの定型文句に「ご冥福をお祈り・・」云々、とある。冥福とはなんだろう。文字通りとすれば、冥途(あの世)での幸福ということだろう。あの世で幸福に過ごすとは、極楽や天国を信じる宗教ならばわかるが、しかし、ご冥福云々は、個人が無宗教や、死後の世界を信じていない人に対しても普遍的にお悔やみの文句として使われている。ご冥福をお祈り・・はもっとも一般的というかどの宗教の人にたいしてでも無難な言い方であろう。天国で安らかに、というのもその次くらいに一般的なのではないだろうか。しかしこれが極楽で往生まちがいない・・などと言えば浄土系の追悼となり、極楽とか浄土とを言葉に入れるのは普遍的追悼の文句としてはふさわしくない。まぁお悔やみの言葉としては故人あるいは遺族の信仰によって臨機応変に対処するのがいいのだろうが、誰でもお悔やみの言葉は苦手で、特に急に訃報を聞いた時などは、何と言っていいか迷う場合もあり、思いつくまま(小声で重々しく)お悔やみの言葉を述べた後、普遍的で一般的な「ご冥福をお祈りします」は結びの言葉として使いやすい。

 うちの家は代々真言宗である。真言宗の場合は死後の魂の拠り所として極楽とか浄土とかはあまりいわない。しかし真言宗はそもそも他の仏教宗派に対する寛容性・包摂性が強く、死後の世界として極楽あるいは浄土とか浄土宗系で信じられている死後の世界をいっても、違和感があるわけではない。だから真言宗徒が「南無阿弥陀仏」と浄土系の念仏を唱えてもなんらおかしくない。真言宗の枢要の仏さま大日如来さまだが、われわれ真言宗徒にそう人気があるわけでもない。ちょっとどれくらいの比率化はわからないが、一番人気はたぶんお薬師さんであろう(薬師如来)。あと観音さん(観世音菩薩)もいる。他、釈迦如来阿弥陀如来さまもいらっしゃる。なにせ真言宗の仏の世界は曼荼羅(胎蔵、金剛界)で示されているように、上記の仏様も含め多数いらっしゃる。だから「南無薬師如来」とか「南無観世音菩薩」とか「南無阿弥陀仏」とか、「南無〇〇〇〇」と〇〇に仏の名号を入れて祈るのは不思議でも何でもない。ふつうはその仏様にあった真言(マントラ)を唱える、例えばお薬師さんだと「オンコロコロセンダリマトウギソワカ」というのがいいのだろうが、知らなかったり忘れたりした場合は「南無薬師(瑠璃光)如来」さま、と祈念するのも間違いではない。

 真言宗では阿弥陀仏は別名の無量寿仏、あるいは無量光仏と呼ばれることが多い。曼荼羅の五智如来(中央、東西南北に各五体の仏)の中では西方に位置する仏様である。西方というのは西方極楽浄土とイメージしてしまうが、真言宗ではそこまではいわない。しかし浄土宗系の死後の考え方や、念仏の流行もあり、古くから真言宗徒であっても死後を頼む仏としてあがめられている。

 先日、二番札所極楽寺に参拝した。寺の名前極楽寺から本尊は阿弥陀仏であることがわかるが、寺の宗派は真言宗である。上で説明したように真言宗の寺は阿弥陀仏さまも本尊にするのである。真言宗徒も含め庶民が死後をたのむ仏として信仰していたのは、江戸期から続くこの寺の御詠歌を見るとそのことがよくわかる。

極楽の 弥陀の浄土へゆきたくは 南無阿弥陀仏 口癖にせよ

 下は極楽寺山門、仏木・無憂樹にたとえられる百日紅が咲いている。ここで亡き人の冥福を祈った。

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