2022年3月16日水曜日

世界大戦争のDVDを見て



 私が小学生のころをつらつら思い返してみるに、子どもとは言いながら、けっこう政治や大国のパワーの炸裂する政治情勢に、子どもなりに無関心ではなかった記憶がある。

 小学校4年の時、田舎のワイらの小学校で面白い遊びをしていたのを思い出す、それは子供同士が両手にこぶしを作り腕を下に曲げて腰にあて、腕と体で三角形を作り、ちょうどデモのスクラムのような体制で何人かの子ども同士で、「アンポ反対!アンポ反対!」と連呼しながら練り歩くのである。今から思うとちょうどあの安保改定反対で日本中が大いに盛り上がった歴史てきな政治状況がわいらに影響を与えていたのである。

 大国のパワーゲームもワイらに無縁でなかった、小学6年ともなれば社会科で世界の国々の地理、文化、政治体制などのごく簡単な概略を習う、その中で当時、6年生でも関心があったのは、水爆実験の影響とそれがもし使われたらたった3~4発で、この日本列島が壊滅するということであった。その前年くらい、ソ連が北極圏のノヴァヤゼムリャ島でなんと50メガトンの水爆実験(広島の2500倍)をやって世界を驚かせたことである、後で聞いたがこれでも威力を抑えたもので本当は100メガトンの威力があるとこのとであった。現在でも語り草になっている「ツァーボンバー」の誕生である。それまでにも日本は戦後、第五福竜丸のどの被ばく、米ソ各国の大規模の実験の結果、(本当の話だが)、祖父母や学校の先生からも、雨に濡れるのはよくない、水爆実験の結果流されてきた放射能にあたって「禿」なったり原爆病になるといわれた、そのような恐怖が社会に流布されていたのである。

 

さて、借りたDVDの「世界大戦争」である。感想は・・

 戦争映画というよりヒューマンドラマの範疇に入りそうな内容であった。戦後16年、なんとか戦災の焼け野原から家ももち子供のいる家庭を作った当時の高度経済成長期の日本のどこにもいるような家庭が一つの焦点となる、当然戦後16年だから父親は太平洋戦争に従軍していた、そして周りにはまだ空襲や広島の被ばくを生々しく覚えている人もいる。

 そして第二の焦点は老父と保母をしている娘である。最後の第三の焦点はその保育所に通う娘を持つ母子家庭の親子である。

 そのなんの罪もなく、一生懸命いきている家族の上に水爆ミサイルが落ちてくるのである。威力のある水爆はそれらの人々を一瞬で蒸発させるのである。弾道弾飛来のニュースに接した人は避難の大混乱に落ちる中、第一の父母子ども三人の家族は、なぜか逃げない、(どこへ逃げても家族ばらばらになり、ひどい被ばくで緩慢な惨い死を予兆できるからか)最後の晩餐を家族全員でとる。フランキィ堺の父のセリフ

 「俺たちが、何をしたっていうんだ!ちくしょう、水爆でも原爆でもなんでもきやがれ・・・」

 哀れなのは第三の母子家庭のお母さんである。その子は第二の焦点の老父と保母の保育所に預けてある。母はもちろん直前まで仕事をしている、水爆が落ちるというニュースのなか大混乱の都会の中を預けた保育所に我が子に会いに向かう、しかし交通機関は避難で大混乱、遠い中歩いて我が子に会いに歩いていく、しかし力尽きて保育所にたどり着く前に、子どもの名を叫びながら、その上に水爆が炸裂する、見ていて涙の出るシーンである。

 ラヂヲは「政府は最後まであきらめません、どんなことがあっても原水爆は使わないよう外交を通じて努力しています、皆さんも最後まで希望を持ちましょう」と繰り返しているが、ワイには見ていてむなしく響く。

 なんでこんな悲劇的結末になるのか、映画では小競り合いが繰り返され、これくらいなら、と思ったのか、ごく小型の核弾頭が戦術として戦車群や航空編隊に使われる、そしてそれがエスカレートし、とうとう大都市向けに戦略ミサイル核弾頭が発射され世界の壊滅的破壊となるのである。

 人(ホモサピエンス)は本質として闘争本能、ひいてはそれが発展して戦争をおこす性質を持っているのだろうか、闘争心はなくならなくても人には理性もある、それで抑えられないのか、しかし歴史は長い、凶器が存在する限り、なんらか、ふとしたはずみかもしれないが、使われる可能性がある。一番いいのは凶器をなくすることだが・・しかし多数の大国が核兵器を持つ今、戦術核を含め、その使用が抑制されているのは、相互に核ミサイルを所有し、相手が打てば、こちらも倍以上に反撃するといういわゆる

 『核抑止』

 で核の使用が今まで行われなかったのの事実である。いったい大国の利害のせめぎあいの中で核という凶器を廃棄することが、できるのだろうか、私は懐疑的にならざるを得ない。

 最後にこの映画の不気味な予言的シーンをあげておきたい。核戦争に至るいちばん最初の小競り合いは、海の中の西側と東側の潜水艦の角逐である。そして対潜哨戒機がその地点を特定し味方の潜水艦に伝える報告がこれである(なお、ややこしいが映画の中では西側陣営は「連邦国」東側陣営は「同盟国」となっている

「相手の潜水艦の位置は、東経33度、北緯45度」

 そして対手の潜水艦は敵の水中に張られた大きな鉄の網に絡み取られ捕獲される。

 この東経33度、北緯45度というのを聞き、世界地図を引っ張り出してみた、見ると背筋がゾゾゾォ~~とした、なんとその位置は、現在世界の注目している大紛争地域、ウクライナのクリミヤ半島の沿岸海中である。60年も以上の前の映画が今日のクリミアの、もしかすると核兵器も使いかねない危機を予兆したとは考えられぬが、その東経33度、北緯45度という一致、なにか悪魔の黙示録的な不気味さを感じる。

4 件のコメント:

carlos さんのコメント...

そんな深い意味のある映画だとは思ってもみなかった。
子供だったからそこまではわからんけど。

「東経33度、北緯45度」さすが、やまさん。見方が鋭く、深いなあ。
自分もいつか借りに行ってみよう。

やっと春の気配がやってきたようで、うれしい。

yamasan さんのコメント...

>>カルロスさんへ

 小学校6年当時の私の興味は、映画の特殊撮影でした。ゴジラやモスラのように都市の破壊そして荒廃が子供には面白かったのですが、この映画は今までにない特殊撮影を使っていますが、今にして思うと子供の好きなゴジラ系統の特殊撮影映画とは明らかに違います。精一杯生きている庶民の上に理不尽な死神が大ナタを振るうのです、なぜ、どうして、防げないの、平和を叫ぶだけではどうにもならぬ、人類の本質を垣間見るような気がします。

 経度緯度を正確に世界地図で見るとウクライナ・クリミア半島(北緯45°)海岸から40kmの沖合になります。今、クリミアでは空と地上の戦闘ばかりに目が行ってますが、クリミアは大きな内海、黒海に面しています、我々には見えずとも東西両陣営の潜水艦も隠密に行動していることでしょう、この映画のように戦争の発端となる角逐があるかもしれません。

 このように小学校六年生に見た映画を思い出していると、なんと、二本立てのもう一つの映画を思いだしました。坂本九主演の映画でした、劇中、♪~聞いちゃいけない~あの子はね~♪、なんとかかんとかの歌まで思い出しました。内容はさすがに思い出せませんが、喜劇だったような、そしてなぜかモスラの模型が出てきたような。ほんとに昨日の食事の内容も思い出せないのに60年も前のこんなことを覚えているのは驚きです。

Teruyuki Arashi さんのコメント...

人間は愚かなものであると思います。 人は争い、差別をし、パワハラをします。
本来は弱いものを助け、強いものをくじくのが道ですが、実際は逆です。
歴史は繰り返します。ウクライナは、気の毒ですが、日本もどこかの国に攻められるかもしれません。日本人は平和ボケしていますが、明日は我が身です。

yamasan さんのコメント...

>>テルさんへ
 そうですね、弱肉強食は太古、古生代前期に、それまで光合成で自活して生きていた生物が、肉食を覚え、それから動物は「弱肉強食」でなければ生き残れなくなりました。はるか昔から弱肉強食の性質をもっていて人もそれを因果なことだが受け継いでいるのでしょうね。

 ここでもし、という仮定を許していただけるなら、10万年ほど前、二種類の人類がいたとします。一つは穏やかで闘争心が少なく自分が多少困っても同胞を助ける人類(ネアンデルタール人かもしれません)、もう一つは(ホモ・サピエンス)で、競争心、闘争心が強く、同胞の上に立って人々を支配したい、少なくとも一目を置かれたい、と常に願っている、そのため策略や悪知恵が発達し、小利口な人類になった。

 この二種の人類が共存していても徐々に第一の人類は滅ぼされていくでしょうね、結局、生き残った人類は今のホモ・サピエンスが唯一で、並行的に幾種類もいた旧人はみんないなくなりました。我々の祖先だけが生き残ったのだから、やはり人の嫌な「業」ともいえるものはみんな持っていると言わざるをえないでしょうね。

 でも身に着けた「智慧」をその「業」を克服することにも向ければいくらかの希望はあります。