2020年7月13日月曜日

遊園地の観覧車

 私の知り合いがある小さな遊園地で遊具の係のアルバイトをしている。土日祭日だけの勤務らしいがなかなかきついらしい。遊園地でも劇場小屋でも人に夢を売る商売は客にとっては楽しいものだろうがそれを支える現場の裏方の苦労は大変だろうと思う。キツクて給料も安いのが相場である。

 最近、DVDの映画を見た。制作はごく最近だが映画の設定は1950年代のアメリカ、ブルックリンのはずれ海岸近くにある大きな遊園地の中にあるレストランの中年女のウエイトレスが主人公である。かなり年上の夫は遊戯機械のメンテナンス係である。50年代を再現したような映画の強烈な色彩、それに色どられた全盛期の「遊園地」は表面上は夢見るような世界である、しかし裏では世俗にまみれた人間ドラマが展開する。その展開に合わせて50年代のスィングジャズやタンゴがバックミュージックとして流れ、ドラマを生き生きとしたものにしている。

 それに影響されたのだろうか急に「遊園地」がなつかしくなってきた。実はわが町には十年ほど前まで四国の中ではかなり大きい遊園地が存在したのである。しかし大規模な遊園地は時代遅れとなったのか、またこんな田舎に大遊園地はふさわしくなかったのか、客の減少が続きとうとう十年前の夏に終焉を迎えた。その最後の夏の一か月間、感謝セールとして入場料が無料となり開放された。その時惜別のブログを作っていた。(その時のブログ、ここクリック

 そんなブログを見ているとますます遊園地に行きたくなった。この歳で遊園地もないだろうと思うが、無性に遊園地に行きたいという思いは募るばかり。わが県には今、ごく小規模な遊園地が徳島動物園に隣接してある。入場はフリーなのでそこでもいいと思い立って知り合いも誘い昨日行ってきた。年寄り二人が遊具でたわむれるのはおかしいが、唯一「観覧車」なら別に大人二人が乗って眺めを楽しむには不思議でもないし、現に大人だけで観覧車に乗る人も多くいる。昨日は曇りだが雨も上がりさわやかな微風も吹いているので遊園地に入場し観覧車に乗ってきた。

 植物園から見た観覧車遠景

 ホントに小さな遊園地だが、定番の回転木馬(メリゴウランド)と観覧車がある。

 観覧車ゴンドラから撮った動画

 昭和30年、家にはまだテレビもなくもちろんゲームもない時代である。楽しみは限られていた。そんな時代、子供にとっての遊園地は、言葉では言い表せないほどの楽しみであり喜びであった。初めて行ったのは昭和30年代ごく初期ということしかわからない。父親に連れられて大阪の親戚を訊ねたついでだったのだろう大阪にある遊園地に連れて行ってもらった(今となっては大阪のどの場所かもわからない)。初めて見るそこは全くの異世界であった。日常では決して見ることのない変わった建物が建ち並んでいて、けばけばしいがちょっとうっとりする様な色にいろどられたお伽の世界であった。極彩色のカンバンには心ひかれるもののちょっと恐ろしいような人の顔が描かれていたりする。あれはピエロを描いてあったのだろうか。

 あまりにも小さかったためか、しびれるような愉悦に浸されていた感覚は覚えているが、不思議にも具体的にどの遊戯機械に乗ったのかは思い出せない。回転木馬にも観覧車にも乗ったはずだが記憶がよみがえってこない。唯一思い出せるのは「でんぐり返しの部屋」というアトラクションである。客が部屋に入り両端にある長椅子に向かい合って腰を下ろすようになっている。書割で部屋の壁に窓とか額縁、家具などが描かれてあった。今から思うと床とそれに固定された椅子が一体、そしてもう一体の箱型の部屋の壁と天井は別々に回転するようになっていたのであろう。やがて父親と一緒に並んで座ると部屋がブランコのように前後左右に揺れだした。そのうちに壁や天井が別の揺れ方をするようになったと思う間もなく、我々の座っている床・椅子が真っ逆さまに回転し始めたのである(今から思うと感覚器官の錯覚ではあるが)、私は恐怖にかられ叫び声をあげた。泣いていたのかもしれない。部屋の動きが止まって外へ出た後、嘔吐したのも覚えている。

 そんな恐ろしいアトラクションの記憶を含んでいるのに、そこはこの世ならぬ極楽のような世界であった。子供心にも、ああこんな素晴らしい世界があるんだと大きな衝撃を受けた。できれば「こんな素晴らしい世界で永久に暮らせたらどんなにかいいだろう」とおもったものである。そのことが強烈に記憶に刻まれる一方、おそらく同時期、別の感情も芽生えていた。子どもにとって天国のような異世界に対する羨望と同時に恐れである。

 それはなぜだろうと考えてみた。ウンと小さいころの子供の記憶に浮かんでくるのは、遊園地・サーカス・曲馬団という一連のある恐ろしいイメージである。いったいどこの誰がそんなイメージを吹き込んだのかはわからないが、そこに登場する悪魔は子供専門の人さらいであった。子どもをさらったあと監禁し、毎日、酢を飲ませ体を柔らかくし、ムチかなんかでたたかれて芸を仕込まれ、見世物に出すのである。確かにこの時代、手に負えない悪い子供に「悪いことしよったら曲馬団に売るぞ」と脅すことはあったようだが、そんなことを漏れ聞いてそのことが影響していたのかもしれない。

 もう少し大きくなって絵本を読める頃になると、遊園地・サーカス・曲馬団などにうつつをぬかすとどうなるか、絵本の挿絵とともに蘇ってくる記憶がある。それは『ピノッキオ』である。ピノッキオは遊び好きの子供である。毎日遊んで暮らせる「遊びの国」へ行く馬車に嬉々として乗ってしまい、遊びの国に行って楽しく暮らしたピノッキオはどうなったか?やがてロバの耳が生えてきて、最後にはとうとう本物のロバになってしまうのである。ロバになったピノッキオはもはや遊びの国にはいられず、死ぬまで重い荷を運ぶ苦役に従事させられてしまう(この後さらに冒険は続くのだが)。子どもごころにもこれは遊び呆けた報いだとわかった。

 そんなこともあってか、おぼろげながらも遊園地などに対するエクスタシーはホンのチョッピリ味わうもので持続してはいけないもの。永久に続く快楽は恐ろしいしっぺ返しをもたらすものと思ったものである。

 こんなことを書くとそれからの私はピューリタン的(禁欲、清廉)な人生を目指したのかと思われようがまったくそんなことはない。大きくなるにしたがって現実がわかり、楽しい世界の裏も見えるようになり、最後にはそれらはすべて虚構だと思うようになった。したがって子どもの時のような恐れも抱かなくなった。しかし同時に夢見るようなあこがれの異世界も消えてしまった。

 下の動画は前世紀遊園地が最も栄えた時のアメリカの大遊園地の一コマ、大観覧車や水平にくるくる回る遊具がみえている。そうそうちょっと面白いような怖いような不思議な顔が大写しで現れている。
 

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