2019年12月15日日曜日

愛染院へのお参り

 昨日もお不動さんの参拝に行ってきた。板野の「愛染院」である。最初にこの寺院の名前を聞いたとき、え?愛染院なのにお不動さんのお寺っていうの?と疑問に思った。愛染院というからには本尊は愛染明王じゃないんかしらん、愛染さんも忿怒の相で尊格も明王だが全く別の仏さまだ(確か六臂で手が6本だった)。もしかして本尊が愛染明王で、境内にお不動さんも祀ってあってこちらの霊験のほうがあらたかで不動明王の寺として有名になったのかなぁ。でも調べると本尊はお不動さんである。昔の寺名は阿弥田寺といったが百年前に21番さんの太龍寺にあった愛染院を合わせ(こちらに招請したのだろう)それ以後「愛染院」というようになったそうだ。創建はずっと古く、お大師さん自らが彫った不動明王をお祀りしたことに遡る。このお寺は昔から「那東のお不動さん」といって地元の人は親しみ、信仰しているから、お不動さんのお寺であるといって間違いない。

 板野駅からは西へ2.5Kmほど離れているが駅前の旧道からこの愛染院までは遊歩道指定のいわゆる「四国の道」がずっと続いているから景色を眺めたり途中の小堂で休んだりと漫歩するにはよかった。また天気も良くぽかぽか暖かかった。

 途中の小堂や史跡、名跡



 歩くこと(途中ときどき休みながら)一時間弱、愛染院見えてきた。

 山門に近づくと大きな草鞋に気づいた(他にも奉納の草鞋がたくさんあった)。この草鞋についてはあとで縁起を読んで納得。

 山門をくぐる。山が迫っているため境内は狭い。くぐるとすぐ本堂だ。遠くから見たときよりも小じんまりしたお寺だ。たしかに○○寺というより○○院といったほうがふさわしいような雰囲気だ。

 本堂前には大きな梵字で書いた札が立っている。

 以前の私なら、卒塔婆に書いてあるような不思議な梵字だなあ、と、チラと見ての一瞬の印象しか感じないだろうが、先月のブログ(11月9日)でこの梵字についてチョロっとだけお勉強したので、おおむねの意味は受けとれた。
 先のブログ(ここクリック、)を見て貰えばわかると思うがまずこれは「種子」(しゅじ)といって梵語(悉曇文字)で一字あるいは二字の組み合わせで各仏を表すのである。前のブログでは阿弥陀如来と観世音菩薩の種子で下のようなものであった。

 各仏を象徴する文字であるがこれの文字(種子)は仏そのものとして礼拝の対象となる。文字であるから当然読みもある。阿弥陀如来はキリーク、観音菩薩はサ、と発音する。これを声として発することも仏を表すことである。
 そのことがわかれば愛染院の本堂前にある梵字は不動明王を表す種子であることがわかる。阿弥陀様や観音様に比べるとかなり複雑な文字である。実は不動明王の種子は二つある。(仏さまの中には複数の種子が充てられることがある)下の二つの種子がそうである。読みも示す。

 本堂前にある種子は右の複雑な方である。二つの種子の読みやその梵字の構成から考えて、どうも左の梵字に、たぶんマンという読みの梵字を二文字組み合わせたものが右の「カンマン」という梵字ではなかろうかと思うのである。
 この愛染院では「カンマン」の梵字の入ったお札をいただくことができる。これは不動明王の御尊体と同じであり、礼拝の対象となるし、護符ともなる。下が頂けるそのお札である。

 そして11月9日のブログでも出てきた「三昧耶形」(御尊格を象徴する仏具など)はお不動さんの場合特別なかたちの御剣であることが多い。また阿弥陀の三尊種子板碑では尊格の本体、左右脇侍、と三尊の形であった。お不動さんではどうなるのだろう。やはり三尊の形なのだろうか。でも弥陀三尊の場合は本体は如来で最も上位、そして脇侍は第二位の尊格である菩薩二体であるが、お不動さんは明王で如来、菩薩より下位の位である。そうすると脇侍はそれより下のものとなる。もし三尊の形ならどうなのだろう。本堂の奥に鎮座しているお不動さんの本体は拝めないが本堂の上の額にお不動さんの額がかかっている。それを見ると、中心のお不動さんの左右には童子(子ども)姿の眷属がいて三尊の形をとっている。いったいこの童子誰なのだろう?

 調べると右側の童子は矜羯羅童子(こんがらどうじ)、左は制吒迦童子(せいたかどうじ)である。矜羯羅童子さんは見るからにおとなしく蓮華の花を持っていて立っている。制吒迦童子さんは片膝をたて、剣をふり立てて今にも立ち上がって向かって来そうである。顔をみても腕白そうな童子である。

 本堂まえではお不動さんの真言(慈救咒)を唱えて礼拝する。

 ノウマクサンマンダ バザラダン センダ マカロシャダ ソワタヤ ウンタラタ カンマン

 この最後のフレーズの「カンマン」は先に言った不動明王の種子を声に出して表したものである。

 境内にはこの地を治めていた板西城主の赤澤信濃守崇伝の廟がある。戦国末、討ち死にしたが、それは草鞋の緒が切れたからという言い伝えがある。それで草鞋を奉納しているのだろうかとおもったが、そうではなく足腰が治るように願をかけた人が、治癒したお礼に草鞋を奉納するそうである。

 下が愛染院の案内板で縁起や草鞋奉納のいわれなどが説明されている。

 境内の動画

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