2019年12月13日金曜日

不動のお不動さん

このあいだから建治寺、上八万の成田山不動寺と「不動明王」さまを参拝に行っている。お不動さんは昔から大人気の仏さまだ。不遜な言い回しかもしれないが古今を通じ日本で大人気の仏さまだ、他にも大人気の仏さまといえば「薬師如来さま」「観世音菩薩さま」「地蔵菩薩さま」が思いつく。これらの仏さまは人気をあらわすようにあっちこっちに、寺の御本尊としてだけではなく、脇侍仏、小さなお堂、そして路傍の石仏などなど、数多くの場所に祀られ参拝され、何百年間にもわたって人々の願いを聞き入れてくださった。そして多くの人はこの仏さまたちの一つに固執することなく、時、場所を違えてどの仏さまも拝んでいる。それどころか一つのお寺にこの仏さまたちが祀られているため。境内を一周して参拝するとお薬師さん、観音さん、お地蔵さん、お不動さんと一つのところで同時に拝むことさえある。

 お不動さんは薬師、観音、地蔵さまがたがみんな優しそうな慈愛に満ちた顔、あるいは深い瞑想の表情であるのに対し、ずいぶん恐ろしそうな顔をしている。「忿怒の相」というそうである。歯を強く食いしばっているのか口もとはふくらんでまさに怒りの口元である。そして口の両側からは牙のような犬歯がそれぞれ上下にはみ出たりしているのも恐ろしい。目はたいてい大きく見開きぎょろ目で睨みつけるようであるが、しかし左右の眼は全然違う方向を向いていたりする。だが尊像の前に立つと藪睨みではありながら自分に強い目線が向けられているのを感じる。

 この不思議な両目の目線を受けると、歌舞伎の市川家のお家芸である「睨み」の表情を思い出す。しかしいつぞや、その両者は偶然似ているのではなく、あれは市川團十郎がそのお不動さんの表情をまねたものである(いや背負っているとの表現がいいかもしれない)といわれて、なるほどと納得したことがある。歌舞伎好きの人は良く知っているが、元禄時代に初代か二代目團十郎かが成田山のお不動さんを信仰していて、舞台上で不動明王を演じたら、観客が舞台にまるで不動明王が現れたように、舞台に向かって手を合わせ、賽銭を投げたといわれている。生身の人間である團十郎が舞台上とはいえ不動尊に同一視され、礼拝されるのは不遜な気がするが、しかし密教の仏の一つである「不動明王」の性質を考えるとそれは不遜ではないのである。もともと「即身成仏」を教義とする密教の教えや、それから派生した修験道ではいろんな「行」、いやたとえ難行でなくても(それは一瞬の秘法によっても)不動尊と一体化され得るのである。そしてそのように一体化された人は験のある人として、礼拝の対象にすらなるのである。そう考えると、舞台上で團十郎が不動尊と一体化、すなわち即身成仏し、人々が本尊として拝んだのも頷ける。

 お不動さんは忿怒の形相だけでなく右手に剣、左手は印を結びつつ羂索(捕り縄のようなもの)を持っている。そして背には盛大な火炎を背負っている。敵対するもの(魔物、当然病魔も入るだろうなぁ、また人の心にある「悪」なども)から見ればかなわぬ恐ろしい敵ではあるが、お不動さんを人を教え導く味方とすれば、無敵の剣で悪を切り裂き、あるいは縛り、火炎で燃やし尽くしてくれるその恰好は頼もしく見える。慈愛や瞑想の仏さんに比べると、なんと力強い仏さんであることか。

 こどもの絵本や童話では、恐ろしい表情もあってか不動明王は出てこない。誰もが一度は見たあるいは読んだという仏さまはお地蔵さんだろう。「かさこじぞう」という話を知らない人はまずいまい。今でも「かさこじぞう」は読み継がれている。ここでワイのチンマイ時の話をすると、そのお不動さんが出てくる子供向けの映画を見た記憶がある。私自身はお不動さんの童話絵本は見たことないが、このお不動さんの出てくる子供映画は童話絵本を基にしたものに違いないからお不動さんの童話絵本もあるのである。60年も昔、小学校の何年かも忘れた、記憶も極めてかすかでぼんやりしたものしかない。あらすじはもちろんのこと題もその他どんな出演者がいてどんな役だったかも思い出せない。ただ一つのシーンを覚えているのみである。それは腕白少年を一人連れてお不動さんが空に舞い上がり、雲に乗って下界を見下ろしているのである。そしていろいろな下界のさまをみせて、たぶんその腕白少年に教え諭している場面である。

 そんな記憶だから手掛かりとなるのはほとんどない。したがってその子供映画が何であったかを知ることは、昔なら困難だったが今はネットがある。「子供映画」「不動明王」の二つのキーワードだけで検索すると昔見た映画がすぐ分かった。題は『ゲンと不動明王』あらすじは

 「ゲンとイズミの兄妹は、木曽の山奥のセイカン寺の子供である。病気で母親を失った2人は励ましあいながら明るく暮らしていたが、兄のゲンが隣村のクオン寺に預けられることになる。間もなく兄妹の父親にあたるセイカン寺の住職は後妻を迎え、イズミには新しい母さんができる。一方、ゲンは厳格なクオン寺のおばさんになじめず、意地を張ったり寂しさを募らせたりするが、床の間に飾られた不動明王さまが心の支えとなる。しかし、ハチの巣取りに失敗して怪我をしたことが引き金となり、友達といさかいを起こしたゲンは、ついにクオン寺を飛び出してしまう。この事件のあと、ゲンはセイカン寺に帰されるが、新しい母さんに素直に接することができない。そんなある日、ゲンの夢に不動明王様が現れる。明王様に促されたゲンは、翌朝初めて「母さん」と呼ぶことが出来たのだった。」

 読んでも今も残っている一シーン以外の場面は蘇ってこない。ポスターとスチール写真を見てみる。古い映画なので動画もないしスチール写真も限られていた。

 「ああそうだ、不動明王さまは、こんな格好、メークだったな」

 と、お不動様のイメージだけがよみがえってきた。配役をみると、お不動様は「三船敏郎」となっている。

 「えぇぇ!しらなんだ!」

 そういや似てるわ(ってそのひとそのものだよ!)

 昨日はその名も不動町にある不動明王が御本尊のお寺「密厳寺」(みつごんじ)にお参りに行ってきた。(同じ名の密厳寺で御本尊もお不動さんのお寺が池田町西山にもある) このあたりは徳島市合併の前は新居町といっていたが合併後は不動町になった。その町名の由来はここにこの有名な不動尊があったからだろう。まさに不動のお不動さまである。

 本尊は不動明王であるが他にも仏さまをお祀りしている。一番左の屋根のお堂が本堂の不動尊、そして真ん中のお堂が大師堂、間には千手観音様もお祀りしてある。そして一番右の屋根のお堂はお薬師さん、霊験あらたかであると昔から言われている。写真では見えないが左奥にはお地蔵さまもお祀りしてある。

 寺の縁起

 鮎喰川のすぐほとりにあるが、大昔は水害が大変だっただろう。寺の縁起にある大師伝説もやはりすぐ横の暴れ川を治めたというもの、創建はかなり古いようだが中世末の兵火に荒廃し、後に再建したようだ。しかし落雷や天災などから寺の維持にはかなり苦労したことが縁起の端々から読みとれる。

 境内には天保の飢饉のとき、施粥した記念碑が立っている。江戸の三大飢饉といわれる天保の飢饉で多くの人が飢え、死に至ったのだろう。施粥、数千人、数知らず、死者144人と供養灯籠に記されている。ここにも歴史の記録が刻まれている。

 動画で見ると寺は鮎喰川のすぐ横、今でこそ堤防で区切られているが昔は河川敷のすぐ横だったのだろう。

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