2019年10月12日土曜日

華厳経の世界をかいまみる

 前に法華経をボチボチ読み始めているといったが、やはり予想の通り読み進むのは容易ではない、句読点も返り点も送りカナもない5世紀ころの漢文を読むのは愚鈍な私が学術的な英語の論文を読むようなもので(むしろ経の漢文がより難しいかもしれない)なかなか進まない。結局28品ある法華経であるが序品はようやく読み終わり、第二の方便品の途中で中断している。

 中断はしているが法華経をある意味生かしている。最近は法華経の28品の中の第25番目の観世音菩薩普門品の偈頌を毎日のように読誦(音読)している。いわゆる観音経である。これ、全部読誦するとなると二十数分はかかるがよく経の読誦で読まれているのはその一部偈頌が多い、偈頌は読む速度にもよるが少し早めに読めば4分少々で読める。まあおっさんやおばはんが趣味でカラオケで一曲うなる程度の長さである。手ンごろ易いコンパクトな経なのでアッチャコッチャの観音さんの前でこの経を読みあげている。

 よくお参りして経を読むのは勢見山の観音寺の千手観音さん、それから大滝山の聖観音さんである。○○観音さんって区別してますが、観音さんってお一つではなくたくさんいらっしゃるのですよ。馬頭観音、不空羂索観音、ほかにもちょっと思い出せませんが十体以上はいらっしゃるのではないでしょうか。観音さんは三十三にお姿を変えて我々の危難をお救いくださるといわれているから、いろいろなお姿の観音さんがいらっしゃるのですね。

 法華経は経の題名の中に「華」という文字が入ってますね。仏教経典ですから「華」といえば蓮華(ハスの花)をイメージしますが、そのイメージで間違いないようです。題字に同じ「華」を持つ有名なお経に「華厳経」があります。法華経を読み始めたついでにちょっとこの華厳経についても調べましたところ、このお経も法華経と同じく大変重要なお経であることがわかりました。こちらもお経は34品で構成されていてかなり長く、ちょこっと解説書を読みかじっただけですが、非常に難解です。法華経も読むのは容易ではないといいましたがこちらの難しさは白文を読み下し、それを現代的な意味にとるのが難しいのであって、書かれてある内容はよく理解できます。

 しかし華厳経の方は、その解説書に重要な原文(漢文白文)の一部載っていますが、読み下して現代的な文になおしたところでその内容が非常に哲学的難解さに満ちています。解説書ではその内容の解説もされているのですが、それをよんでもわかったようなわからないようなスッと頭に入る理解にはなりません。しかし素人向けのウンとわかりやすい解説書には比喩などを用いていて何とか理解させるようにしてあります。そこでは理解を助けるために画像などで直感的に把握できるようにしていますが、これを見るとまるで最新の宇宙論や、未来のコンピューターがやがてとってかわるかもしれない人間の精神世界の話のように感じ、この華厳経の持つ不思議な魅力に取りつかれてしまいます。

 華厳経の原文に当たったわけでもなく解説書をいくつか読んだだけですがそれでもこの「華厳経」は「法華経」に匹敵する、いやそれ以上の偉大なお経であることがわかります。歴史上もこの二経をこのように考えていた人が多かったようです。特に東アジアにおいてはそうです。仏教は日本では法華経が(平安時代には天台宗、そして鎌倉以降は法華宗が栄えたこともあって)、お経の中では重要視されもてはやされます。しかし朝鮮半島の新羅時代や高麗時代は「華厳経」方が重要視されもてはやされます。この時代。「本邦は法華一乗の国、朝鮮国は華厳の国である」と言われていました。もっとも天台宗が起こる前の奈良時代は華厳宗の研究も盛んで日本においても南都六宗の中でも重要視され、現に東大寺や大仏はそのお経に基づいて創建されたものでした。今も東大寺は華厳宗の総本山です。

 五年ほど前にこの東大寺大仏殿に参拝してブログを書いたことがあります。その時は華厳宗についての知識などは全然なく、その拝観時にいただいたパンフレットの説明以上の知識はありませんでした。それでもパンフレットを読み、巨大な大仏とその蓮華座に描かれた線刻絵をみてその壮大な仏教宇宙観にちょろっと触れて少し感動しいろいろ考えさせられました。これが五年前のその時のブログです(ヤフーブログが廃止になるのでググルブロガーに移したので日付は違っています)、

 五年前のブログ、ここクリック

 最近、東南アジアの古代史の本を読んでいて意外なことに気づきました。まさにこの華厳経についてです。恥ずかしながら東南アジアの仏教については世間一般の漠然とした知識しかありませんでした。それは、東南アジア仏教は南伝仏教と言われるいわゆる上座部仏教(ワイらが若いころは小乗仏教と言われていたが現代はその言い方はしない)と思い込んでいました。だから東南アジア諸国には大乗仏教はないのだろうと。確かに中国の影響力の強かったベトナムは別として現在の東南アジアの仏教は南伝の上座部仏教です(ミャンマ、タイ、カンポチャ、スリランカなど)、しかし、古代中世と遡っていくと大乗仏教も伝来していたのです。

 東南アジア古代史(10世紀以前)関係の本の仏教遺跡を見ると必ず絵入りでボロブドゥール遺跡が取り上げられています。何気なくその遺跡写真のキャプションを見ると「大乗仏教遺跡」と書かれてあります。私の先入観と違っているのでさらに詳しく読むと、なんとこの遺跡、「華厳経典」に基づく仏説話が多く取り上げられているのです。このボロブドゥール遺跡は巨大な遺跡で、いくつものテラスのある段階的になったピラミッドのようなものです、古代日本の仏教施設(寺、石造建造物)などとは全く形の違うものです。日本にはこのような形の仏教遺跡はまずありません。鳥観図でみるととこのような形となっています。

 航空写真で真上から見るとこのように見えます。

 確かに日本にはないような仏教遺跡ですが、これを見て仏教遺跡ではありませんが私はあるものを思い浮かべました。特に真上から見た遺跡などです。それは真言宗で用いられる「曼荼羅」です。曼荼羅は根本仏の毘盧遮那仏(大日如来)を中心に十方に多くの仏のいる仏教的宇宙を表しているといわれています。
 このボロブドゥール遺跡の説明を読むと曼荼羅とよく似て仏教的宇宙観を表現したものであるといわれているのです。曼荼羅は平面ですがこの遺跡は立体的です。そして巨大で各テラスは回廊になっていて何層にもなって上に続いています。仏教の世界、宇宙を立体的に見れるだけではなくその中に入って歩き、上のテラスに向かって登りながらそれを身をもって体験できるのです。曼荼羅よりずっと仏教的な世界が身近に体験できそうです。

 この何層にもなったテラスにはお釈迦様や仏教のそのほかの説話が各場面、おそらく数百が、浮き彫りにされているのです。その中に日本に伝わっている華厳経の第三十四最終章の「入法界品」の物語があるのです。その日本の華厳経の入法界品では善財童子の求法の旅が55出てきます。善財童子がいろいろなところに赴きそこでたくさんの善知識(求法の先生になる人)に会い、教えを請い、仏道修行の旅をするのです。先に華厳経の内容は極めて難解で理解しにくいといいましたが、すべての章がそうではありません。最後の章の入法界品は今言った善財童子の話で、下世話にいうロードムービー的な筋立ての面白さがあります。私は映画のジャンルの中ではロードムービーは大好きです。それだけに難解といわれる華厳経の締めくくりの章によく似た善財童子求法の旅が入っているで華厳経がグッと身近に感じられます。

 うれしいことにこの善財童子求法の旅は華厳経そのものを読まなくても平安時代末に作られた華厳五十五所絵巻(東大寺所蔵)を読むことによって、絵を頼りに容易にその内容を理解することができます。視覚的に見ることでボロブドゥール遺跡の善財童子と重なる場面がいくつもあります。もちろん来ているものや童子の風貌、その他は違いますが本質は一緒だと考えてよいでしょう。
 
 一つだけ例を挙げると求法の旅の最後で善財童子が観世音菩薩にあう場面があります。日本の絵巻ではこのようになっています。右下手を合わせているのが善財童子です。

 対するボロブドゥール遺跡のその善財童子が観音菩薩にあう場面です。こちらの観音様は座っています。頭に日本のものとよく似た宝冠をつけていますね。菩薩様の向かって右が善財童子ですがこちらは童子というより青年ですね。

 このボロブドゥール遺跡が作られたのは8世紀後半から9世紀にかけてといわれています。ご存知のように東大寺大仏は8世紀中期にできました。奇しくも同じ時期、南海の果てのジャバ島で同じ大乗の華厳の思想による大建造物が作られていたのです。直線的でも数千キロの隔たりがありますが、この二つのつながりはもっとはるかな隔たりがあります。インドから南方に弧を描くようにジャバまで伝わった華厳の教え、そしてもう一方はインドから北東に向かって地球を四半周する弧を描いて日本に伝わりました。二つの場所の華厳の教えの伝来の道を考えるとなんという遥かな隔たりでしょう。

 華厳の教えは法華経と並ぶ大教典で深遠な仏教思想を内包していますが、平易に誰でも理解できない難解さがあったためか奈良時代を過ぎると法華経のほうが広く普及したのに対し、華厳経はもてはやす人は少なくなっていったようです。鎌倉時代には明恵上人などが出て盛り返したりしますが、衰退は否定できません。それでも南都の東大寺が中心となり、華厳の教え、その研究は今まで途絶えることなく伝わっています。一方ボロブドゥールの方はいつの間にか廃墟となり、土砂に埋もれ、華厳の教えも消滅してしまい今に残っていません。今、ボロブドゥールのあるジャバ島は回教の教え(イスラム教)が全島を覆っています。大乗仏教は完全に滅び去っています。また、日本は法華の教えの国、朝鮮は華厳の教えの国、とまで言われた朝鮮半島の方はどうでしょうか、今、その流れをくむと自称している「浮石寺」が存続していますが、確かにこの寺の始祖が7世紀、中国から華厳の教えを伝えた時は東大寺の先輩格・先生格で華厳宗の中心として立派でした。しかし仏教嫌いで大弾圧をおこなった李氏朝鮮王朝のため断絶せられ、一時期廃寺となっています。日本の東大寺のように途切れることなく法脈を伝えることはできませんでした。そのため寺宝、仏像、仏典類などもとても東大寺の華厳宗と比較はできないほど貧弱です。(この寺については最近わが対馬の寺から盗まれた仏像をいつのまにかポッポナイナイして自分のものにして返さないのでいまだに日韓間の問題となっています)

 このように見てくると細々ではあるが現代まで途切れることなく華厳の教えを受け継ぎ、また視覚的にも大仏、その蓮座、華厳宗絵巻などでその宇宙観がイメージできる日本の東大寺はたいへん貴重な文化遺産であることがわかります。
 それにしても最近、ボロブドゥール遺跡にも華厳の教えが刻まれいるのを知ったのはちょっとした感動でした。

 ボロブドゥール遺跡はググルビューを利用することによって基壇から順次回廊をめぐり浮彫、仏像類をリアルに順次網羅的に見ることができます。下はそのググルビューのマップになります。クリックするとマップが出てきます、そのマップの右下の人形のマークをクリックするとボロブドゥール遺跡の回廊が蜘蛛の巣のような線で出てきます。そこにポイントを当てクリックするとビュー(回廊の景色)が展開します。
 
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