2019年10月6日日曜日

お釈迦様の一族

 お釈迦様はインド人である、と断定的にいうには躊躇がある。何となく我々はお釈迦様はインド人であると思っていて頭の中でそのお姿を想像すると、現代のインドのガンジス川中流域にいる行者(サドゥ)なんかをイメージする。浅黒く、顔のホリは深く、まつ毛長くお目めパッチリ、鼻筋はとおっていて高い、髪は巻き毛で黒い。すべて現代インド人の特徴となっている。しかしお釈迦様のいたインドは2500年前のインドである。そしてお釈迦様は釈迦族の生まれでその釈迦族の本拠は現代のインドではなく今のネパールである。

 現代のネパール人はみんなインド人に近い人種的特徴かというとそうは言えない。ご存知のようにネパールはチベットと境を接している。チベタン(チベット人)の顔の作りはまるで日本人と一緒である。私の個人的意見かもしれないが、朝鮮半島や中国本土の人々より日本人に似ていると思っている。ネパールにはそのチベタン系の人々もたくさんいるのである。比率的にはいくらになるかちょっとわからないがかなりの比率であることは確かである。地理的には当然チベットに近いネパールほど、つまりヒマラヤの高地に上がるほどチベタン系は多くなってくる。 そうすると釈迦族ははたして現代インド人・アーリア(白人の原種)に近いのかはたまたチベタン(モンゴロイド)に近いのか。どちらだろうか。

 ネパールのお釈迦様の生まれたところは平野部である。現代そこに住んでいる人はインド人と変わらない特徴を持った人である。しかし時代は古代インド、2500年も前である。はたしてインド・アーリア系の人々が当時もそこにいたのだろうか?世界史で習った記憶があるかもしれないが今から3500年前くらいからおそらく何波にもわたってインド西北の中央アジア方面からアーリア人(遊牧民)がインドに進出し、やがて定住し農耕生活を始めた。その波はインダス上流から下流へ、そして東へ向いてガンジス川沿いの平野を下って行った。当然そこには先住民がいた。征服し服属させたこともあるだろうし、追いやりもしただろう。何世代も服属関係が続くと先住民との混血も進むだろう。そのようにしてインド人が形成されてきたのだ。今でも追いやられた場所であろう南インドや、ヒマラヤの麓、インド最東部には北インドや中央インドとは違った人種的特徴を持った人々が暮らしている(南はドラビダ、ヒマラヤに近いあたりはチベタン系の特徴を持つ人が多い)。

 そうすると辺境に近いお釈迦様の故郷であるところにいた釈迦族ははたして押し寄せる大波(アーリア人)の方に属していたのだろうか、それとも波によって揉まれ追いやられる先住民の方に属していたのだろうか気になるところである。アーリアの侵入から1000年もたっているのでかなり人種の融合も進み単純には色分けされないだろうしまた支配、被支配階級によってもその融合の度合いも違うかもしれない。しかし今から2500年も前のことを考えるとお釈迦様の生まれたネパールはチベタン系の割合が高くはあっても決して低くはなかっただろうと推測される。学術的にはこの釈迦族は人種的にどういう人だったのだろうかという結論は出ていないようである。チベタン系の血が濃ゆいということも可能性としては大いにありうることだと私は思っている。

 お釈迦様にチベタン系の血が濃く入っているとすると我々はずっと親しみを感じる。なぜか?チベタンは日本から何千キロも離れ、その間には多くの民族がいる。チベタンと日本人とは血の濃ゆさではかなり疎遠なのではないかと思われようが、実はそうではないのである。Y染色体の遺伝子を調べるとなんと、チベタンと日本人とはかなり近い血の濃さがあるのである。

 世界は広いが地図のY染色体の遺伝子(ハプログループD)分布を見ると濃く表れているのがチベット、日本列島、インド洋のアンダマン諸島である。チベタンは朝鮮半島や中国本土の人より日本人に似ていると私は思っているがこれを見るとなるほどと納得する。お釈迦様がチベタン系だとすると日本人ともある意味親戚筋である。

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