2019年7月31日水曜日

ミロクさまのはなし その1

यु 弥勒菩薩さんは未来仏と言われている。なんで未来仏かというと、仏陀になることが将来約束されているからであるが、その実現の日は、なんと56億7千万年の後、気の遠くなるような長さである。56億7千万年と言葉で言うのは容易いが、その長さについてちょっと考えてみると、この我々の住む太陽系の年齢は46億年くらいであるといわれている。生命の歴史はもちろんそれ以下である(36億年くらいか)、生命は単細胞生物として生まれ、以後進化を繰り返し、無脊椎動物から脊椎動物、魚から両生類そして恐竜~哺乳類~猿~類人猿~人間と気の遠くなるような長い生命の歴史である。そのことから考えてもこの56億7千万年は途方もない長さということがわかる。

 そんなはるか遠い未来に救済仏として出現しても果たして生物などこの世に存在するだろうか、太陽系の余命はあと55億年くらいだそうだがそれまでに太陽が膨張して地球を飲み込むから少なくともこの地球に生命は存在はすまい・・・とはまあ弥勒さんを信仰していない人の言うことである。弥勒さんを信仰している人はその肉体は死んでも魂は別の世界に再び出現すると信じている。どこの世界に出現するかは人によって違ってくるという。はるか上方の天上世界の天人に転生すれば今よりもはるかな寿命を持つことになる。下方の畜生道に生まれれば人よりはるかに短い寿命と恐ろしい弱肉強食の世界がある。魂は決して滅びることなくいろいろな世界の「生」を転生しつつこれを無限に繰り返すことになる。

 だから弥勒さんを信仰する人にとって56億7千万年の後というのは自分に関係のない話ではない。まさに56億7千万年の後、転生を繰り返した今の自分の魂は何らかの世界にとどまって、救済を待っているかもしれないのである。天上界の天人に生まれてもやはり輪廻は免れないのである。天人五衰もあるし、苦悩もあるのである。天人ですらもそれである、ましてやその下の五道(人間界、修羅、餓鬼、畜生、地獄)に生まれた時の苦難はいかほどとなるか。そんな輪廻の桎梏から救ってくれるのが56億7千万年の後に現れる弥勒さんである。

 詳しく知るには弥勒菩薩さんについて書いてある「お経」を読むのが一番早いだろうが、「お経」を読んで理解するなど、英語を読むよりむつかしい、ほとんど古典ギリシァ語を読むようなものである。もちろん私にはそんな能力もない。図書館においてある弥勒菩薩についての本から得た知識でしかないが、弥勒さんの未来仏の性格は上にのべたようなものである。ちなみにどんなお経があるか経の種類を調べると弥勒については三部経がよく知られているそうだ。
 『弥勒大成仏経』 鳩摩羅什訳
 『弥勒下生経』 竺法護訳
 『観弥勒菩薩上生兜率天経』 沮渠京声訳

 鳩摩羅什といえば確か高校の時の世界史で聞いた名前だ、中国の魏晋南北朝時代の仏僧でインド人の血を引く西域出身の人だ。

 弥勒さんについての予備知識はこれくらいにして、先日、実際に弥勒本尊の寺に行ったが、その寺で何かもっと弥勒はんのことについて知る手掛かりはないか、撮ってきた写真を詳しく見てみた。

 本堂の上に額がかかってる。本尊彌勒大菩薩とあるから、確かに弥勒さまだ。礼拝のあと格子の隙間から覗いてみたが本尊の弥勒菩薩様の像は見えなかった。それもそのはず、後で納経所にいた寺の人に聞くと秘仏だそうで誰にも見せないとのことであった。額の左上には弘法大師御作とあるが、これは四国の寺の縁起によくあるもので、お大師お手植えの松とか、お大師さんが錫杖で突いて噴き出た泉、等々のように真実とはいいがたい。秘仏だから学術的な調査の対象となったこともなく、もちろん写真もないので仏像の様式から作られた年代も推定できない。

 我々弥勒菩薩像といえば飛鳥時代に作られた片足をもう一方の足にのせ、片手を頬のあたりに持ってきて、瞑想するような形の仏、いわゆる『半跏思惟像』の姿とすぐ結びつけるが、調べると弥勒像はそのルーツ、そして飛鳥よりもっと古いインドや中国の弥勒像を見ても半跏思惟像は一般的ではない。日本でも飛鳥奈良時代に半跏思惟の弥勒像がつくられるが奈良以降は半跏思惟像の弥勒は作られなくなり坐像か立像となる。下は飛鳥時代の半跏思惟弥勒菩薩像(広隆寺)である。

 この徳島で公開している弥勒菩薩像を探すと鳴門大麻の東林院の弥勒像があった。本尊ではないが寺の重要文化財となっている。この弥勒像は坐像で手の形は(印相)は転法輪印(てんぽうりんいん)とよばれ両手を胸の高さまで上げ、親指と他の指の先を合わせて輪を作る。手振りで相手に何かを説明している仕草を模したもので「説法印」ともいう。「転法輪」(法輪を転ずる)とは、「真理を説く」ことの比喩である。下が鳴門大麻の東林院の弥勒像、平安後期、木造 像高 96cm。
 秘仏である常楽寺の弥勒像はどんなものかわからないが半跏思惟ではないだろう。おそらくこの東林院の弥勒像とあまり変わらないのではないだろうか。

 賽銭箱の横に弥勒菩薩さんの真言のプレートが貼ってある。この真言を唱えながら弥勒さんを拝むのである。下の写真がそれ

 『おんまいたれいやそわか』となっている。これを少し分解してみると弥勒菩薩さんのルーツであるインドの弥勒菩薩さんの名前が浮かび上がってくる。古代インド語で弥勒菩薩さんのお名前はマイトレーヤである。真言の文句を見ると、最初の「おん」と最後の「そわか」は真言の接頭句と接尾句であるのでこれを除くと「まいたれいや」まさに弥勒様のお名前を古代インド語で呼びかけていることになる。

 常楽寺の大師堂の横にはこのような石碑が立っている。ちょっと読みにくいが「上生佛 弥勒慈尊」と彫ってある。

 次のブログではこの「上生佛 弥勒慈尊」ということばの意味について考えてみる。

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