2019年7月12日金曜日

古代阿波の廃寺6 どんな仏像だったのか

 前回のブログで阿波の古代廃寺の見学と紹介は終わったが今興味があるのはその廃寺の御本尊である。いったいどんな仏像が祀られていたのだろうかということである。しかし残念ながら廃寺から仏像などは出土していないので廃寺に果たしてどんな仏像が安置されていたのかはわからない。尊い仏さまだからもし廃寺になるとしてもそのまま遺棄したとは考えられない、別の寺、またお堂などに安置したかもしれないし、また寺やお堂に囲い込まず有力者の家に安置したこともありえる。しかし廃寺の時代の(白鳳、奈良前期)の伝世の仏像の類はいまそのあたりにはない(それどころかこの徳島県全体にもそんな古い仏像は残っていない)。世々を経る間にどうにかなってしまったのだろう。また穏便に廃寺が進んだことも考えられるが、火災、落雷、兵火、何か暴力的なアクシデント起こった場合、仏像がそのまま破壊されてしまったのかもしれない。

 あ~ぁ、残念!なくなってしまったものはどんな立派なものであったとしても我々はそれを見ることはできない。日本書紀に初めて仏像を(西暦6世紀の中頃)見た人が、その美しさと荘厳さに打たれたとの記述があるがその古代の仏像のお顔を見てみて、ワイもその一端でも追体験したいがないものねだりしても仕方ない。せめてその仏像の種類でもわからないか。日本は古代仏がたくさん残されている。もし仏像の種類がわかったら、同時代の同種類の仏さまをみて、ああこの廃寺の御本尊さんはこのような仏さんだったのだなと思いをはせることができる。しかし私が見学した廃寺の御本尊さんのお名前は確かめられてはいない。

 郡里廃寺と川島廃寺は寺名がそれぞれ「立光寺」、「大日寺」と言い伝えではあるが「立光寺」の方は寺名ではちょっと手掛かりになりそうにもない、しかし「大日寺」ならば寺名からこのご本尊さんはもしかして「大日如来」さまじゃないのかしらんと想像するのは自然だろう。仏像には多種類ある、時代とともにまた地方によっても流行り廃りがあるのもわかっている。我が四国は真言宗の盛んなところからお大師様の像を刻んで各寺に祀ったりしているがこの阿波でもそうである。そのお大師様が開いた真言宗のもっとも重要な仏は「大日如来」である。寺名に「大日」がついているのだから郡里廃寺の本尊は大日如来はんじゃないんかしらと誰しも思う。しかし川島廃寺は阿波で最も古い部類の寺である。空海さんはまだ生まれておらず真言宗もまだない、はるか遠くイランやインドの神に由来を持つといわれている大日如来さんの仏像が飛鳥や白鳳時代に日本に伝わり作られていただろうか。少なくとも中国には存在しただろう。そのため空海が入唐し大日如来信仰を日本にもたらし、大日如来が作られたのではないだろうか。調べてみても平安初期以前の大日如来像は見つからなかった。そもそも大日寺というのは古老の言い伝えである。後世になって(その時はまだ川島廃寺が存在していた)真言宗が流行ったため、大日如来を祀ったため大日寺と俗称で呼ばれだしたかもしれない。ともかく創建当時の御本尊が大日如来であったとは考えにくい。

 仏像は発掘されていないといったが今まで紹介した阿波廃寺の中で川島廃寺には塑像製の仏像のごく一部(螺髪・頭髪の巻き毛)がのこっている。本尊ではなく脇仏とも考えられるが、それでも古代の仏像の一部が出てきた。それから考古学的な何か考察でその仏像の全体像は無理としてもいったいどんな種類の仏像だったかということが推測できないのだろうか。しかし川島廃寺あとの螺髪は椎の実ほどの大きさのものなので全体像を想像するのはむつかしい。

 それではもう自分勝手に大胆な想像(妄想に近い?)するしかあるまい。仏像は流行というほどではないがその時代にもてはやされ作られた仏像の種類はある。逆に後世にならなければまず作られない種類の仏像もある。この白鳳期から奈良時代初期のころ地方でもっとも作られたものに釈迦如来像及び釈迦三尊像がある。なんといっても仏教の開祖様である。様々な仏教の支流が分化する前である古代にお釈迦様の人気があったのも当然である。聖武天皇の国分寺造立の詔でも本尊は釈迦如来像にせよとなっている。六十いくつもある国分寺に像を作るのだからかなりの数作られたのであろう。この詔以前より聖武天皇は丈六の釈迦三尊像を作るのを各地にすすめているので釈迦如来像は当時、もっともメジャーな仏像であった。
 釈迦如来像についで作られたのは薬師如来像であろう。御手に薬壺まで持っているので病苦平癒の御利益を願うには一番ふさわし仏様である。昔も今も人気のある仏様である。それと後にはあまり作られなくなるがこの時代よく作られたのは弥勒菩薩像、半跏思惟の弥勒菩薩像を教科書の挿絵で見た人は多いと思うがこの弥勒菩薩像もこの時代よく作られていた。


 いままで郡里廃寺、石井廃寺、川島廃寺、国分尼寺廃寺、4つの廃寺を紹介した。どのような御本尊であったか確認はできないがいま挙げた釈迦如来、薬師如来、弥勒菩薩はおそらくそれらの廃寺の御本尊の一つであった可能性が高いと思われる。

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