2022年10月8日土曜日

砂糖資料館でお勉強(砂糖の話その2)

  サトウキビ畑が広がる一帯に技の館付属の「砂糖資料展示室」がある。江戸時代の後期(寛政以後)に努力の甲斐あって白砂糖が生産できるようになったが、その江戸期の白砂糖(上白糖・阿波三盆糖ともいう)の製造工程についての展示室である。そこでは労働姿のマネキン人形とハリボテ畜牛が石臼を回しながらサトウキビを圧搾し、サトウ汁をとる作業場、あるいはジヨラマにして当時の様子を再現しており、わかりやすい展示になっている。


 砂糖資料展示室そのものが江戸期以来のサトウキビ汁圧搾場になっている。円錐形のかやぶき屋根、で竹壁である。なんで円錐型の屋根でわかるようにこの圧搾場は円形となっている。それは畜牛が円の外周にそってクルクルまわり、圧搾の石臼を回すためである。


 11月下旬、糖度の高くなったサトウキビは刈り取られ、砂糖製造所に売られる。そして下図のような装置でサトウキビの汁を取る。動力は牛さんである(モ~嫌っちゅうくらい日がな一日円周を回る)。そして石臼といったが大きな三つのローラー状の石でサトウキビをすりつぶし汁を取る


 このような入れ口から葉などを落とし、洗浄し、乾燥させたサトウキビが入れられる。休む間もなくどんどん入れていく。


 絞られた汁は圧搾ローラーの下に掘ってある溝を流れて左に見えている壺穴にたまる。適宜、そばにいるオバハンがくみ上げる。


 このサトウキビの絞り汁は不純物が多いがとっても甘く、サトウキビジュースとしてそのまま飲料できる。しかしこの搾汁から砂糖を作らねばならない。そのためには、素人でも見当がつくと思うが「煮詰め」なければならない。阿波ではサトウキビ作りよりももっと古くから製塩業が栄えていた。天日で濃くした鹹水から食塩を作るのはやはり「煮詰め」である。中世頃から行われていたこの製塩のための煮詰めの釜や方法を、この砂糖汁に応用すればいいじゃん、と思われようが、そうは問屋のおろし金!でそんな単純に一筋縄ではいかない。

 製塩の原料である鹹水(濃い塩水)は無機物であるアルカリ塩類が濃厚に溶けたものである。基本的には煮詰めて水分を飛ばし濃くする、あるいはそれを静かなところで冷やせば塩の結晶が析出してくる。ところがこのサトウキビ汁は六糖原子が二つだけつながった砂糖(ショトウ)分子だけなら煮詰めての結晶析出もうまくいこうが、サトウキビ汁には砂糖分子だけでなく六糖原子がたくさんつながり高分子の鎖のようになった物質(長さはさまざまで一定しない)がたくさん溶け込んでいる。それらは結晶することなく、煮詰めれば、粘度を増し、蜜状から飴状、そしてさらに煮詰めると高温のガラス状になるが結晶化しない。粘度の増したものを静かなところで冷やすと粘っこいザラザラした褐色系の砂糖ができる。「白下糖」(白砂糖の原料にという意味か)、これは黒砂糖の一種でこれはこれで糖蜜などが含まれたコクのある砂糖として料理、菓子などにも使われるが長崎からオランダによって持ち込まれる白砂糖とは風味が異なる。

 資料室に展示されている下のパネル写真がサトウキビ汁を煮詰める独特の釜、下の方が深皿状の鉄釜でそれに円筒形の木製の桶が組み合わさっている。ちょっと見たこところ「弥次喜多道中膝栗毛」に出てくる「五右衛門風呂」のようだ。


 そしてその煮詰めの工程を終えたまだ粘性のある「白下糖」(冷やすと黒砂糖になる)、そして再煮詰めを行い、ざらついた白下糖に仕上げていく。



その白下糖を作る工程をジョラマにして展示してあるのが下図、左が煮詰め釜、そして出来た白下糖を右の樽に詰めているところ。


この「白下糖」から白い砂糖である「上白糖」を作るのが砂糖職人の腕の見せ所である。褐色の糖蜜を多く含む砂糖から糖蜜を取り除き、白い(純粋に近い)ショトウノ結晶に仕上げる。それには「研ぎ」と「圧搾搾汁」(糖蜜を絞り出す)工程が必要となる。

 まず「圧搾搾汁」を行う道具、布に包んだ白下糖を板を重ね何層にも縦に積み、重しをかけて絞り出だす。これは一回のみでなく、下の「研ぎ」の工程を経て何回か繰り返す。すると砂糖がだんだん白くなっていく。


 「研ぎ」を行う道具、白下糖をほぐしこの板の上に広げ、若干の水を加え、お好み焼き屋のコテの形をした板ベラでまさに研ぐように板上で擦り、白砂糖と蜜が分離しやすくする。そして上記の「圧搾搾汁」を行い、蜜を絞り出し、それからまた「研ぎ」を行い、さらに「圧搾搾汁」、この工程を繰り返すと次第に白くなった砂糖になる。

実際の「研ぎ」のようす

上の一連の工程のジョラマ

圧搾の道具

そして白くなった砂糖を乾燥させ、製品となり、それを樽に詰め出荷する。その最後の工程のジョラマ、左の棚が乾燥場所、そして右は最終製品の樽詰め


できあがった「上白糖」和三盆糖、あるいは阿波三盆糖ともいう。オランダ渡りの白砂糖と比べると結晶が微細なのが特徴である。江戸期からこれを100パーセント使ったあられ状の三盆和菓子、あるいはこれを原料に作る京菓子、江戸菓子に好んで使われ、江戸期も後期になると国産の白砂糖が主流となる。


江戸期から細かい結晶から出来た上白糖(和三盆)になじんできた日本人は現在でも目の細かい「上白糖」を好んでいる。外国ではむしろ結晶の大きな「ザラメ」、「小ザラメ」(グラニュー糖)のほうを多く用いる。

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