今日、5月15日、加茂谷のお松大権現から歩き始め、約7km歩くと阿瀬比町にでた。ここはいわく因縁のあるところなのである。
まずは道々撮影した数枚の写真をご覧ください。
お松大権現はんの近くでバスを降りる。下はお松大権現はん、実は猫を祀った神社である。
その前にある加茂谷中学校の横を通って県道に抜けるとこのような表示がある。ここから6kmの山道を歩く
加茂谷という地名のように谷川に沿って集落があり、谷の最底部には清流が流れている。またここは昔石灰岩の採れたところで、ところどころ岩肌が露出しているところは石灰岩で白く見える。
半分進むと、太龍寺への分岐道があるが、今日はそちらへは行かず、阿瀬比に向かう、分岐点には山の中にかかわらず民宿と喫茶店があった。
さて、なぜいわく因縁の阿瀬比町なのかというと、今から5年前、太龍寺を参拝して、遍路道を下っていた時、すべって足をベシ折ってしまったのだ。しかし、その場所は急な山道、救急車どころか、急坂で担架も担ぎあげるのは無理だろう。自分で何とかする以外ない、這うようにしてようよう遍路道が国道と交わる救急車の入れる地点にたどり着いた、そこが阿瀬比町なのである。そこから自分で救急車を呼んで、阿南の総合病院へ搬送され、手術、入院となったのだ。そのやっとの思いでたどり着くいたところにあったのが、阿瀬比町のお社である。救急車を待つ間、そこで休み、そのお社に回復を祈った。それから5年もたち、遅まきながら今日、お礼参りをしたのである。下がそのお社。(なお5年前の骨折の顛末はこちらのブログ、ここクリック)
約、二時間半の歩きであった。阿瀬比町にはバス停があるので、さらに一時間余バス待ちをし、そこからバスで阿南市橘町を経て帰る。乗ったバスは、さらに奥にあるほとんど僻地校と言える某高校の生徒の帰宅便なのであろう、ぎゅうぎゅう詰であったが、髭ジイで杖をついていたためか、女子高校生が席を親切にも譲ってくれた。感謝!
5月7日、25km歩いて焼山寺へ
県内の歩き遍路道はほとんど歩いた(区切り遍路であるが)、で残っているのは神山町から焼山寺への遍路道である。この日
7日、その残りの遍路道を歩いた。25kmも歩くのはしばらくぶりである。それも山道である。へとへとに疲れた。もう一週間以上たつが、一応、記録に残しておこうと、今日のブログの付録に加えた。
石井町から山越えで神山町阿川に入り、北上角というバス停で降り、そこから
往復25kmの焼山寺までの山道を歩く。
杖杉庵(衛門三郎伝説で有名)までたどり着く、やれやれとホッとするが、まだそこからかなり歩いた。
里ではすっかり散ってしまったが、焼山寺道では藤が真っ盛りである。下は焼山寺の白藤、また寺の石段の脇はシャクナゲが彩っていた。

参拝の後、また同じ道を下り、神山高校の前から出ているバスに乗る。鮎喰川の対岸に見えるのが神山高校である。