2025年7月28日月曜日

つかの間の避暑・霧の森と雲辺寺

  暑い中今日は少し遠出をしました。連日35℃以上の猛暑日、どっか「涼ぅしいとこ行こ」ちゅうことで友達と車で愛媛の山間部にある『霧の森』(道の駅とレストラン、菓子工房、清流の水遊び場などがある)と讃岐(香川県)の雲辺寺さんへ行ってきました。

 自動車道にのって愛媛の新宮で降りるとすぐ「霧の森」、まず菓子工房付属のカフェで抹茶の大福を食べ、その後隣にあるレストランで昼飯を食べました。

 霧の森菓子工房


 下に降りると澄んだ清流が流れている渓谷では子供がたくさん水遊びをしていました。標高は250mびゃぁでしたが涼しい場所で避暑地にもってこいです。聞くとバンガロもあって宿泊もできるようです。



 雲辺寺さんへは車をおいてロープウエイで一気に約千メートル上りました。気温は下界より7℃以上は低い25℃(電光掲示)


 まず雲辺寺(66番札所)へお参りしました。参道はまだアジサイが見ごろで五百羅漢の石像がずっと続いて並んでいました。


 山頂には大きな毘沙門天の銅像が立っています。


 その横にあるのが山頂遊園で呼び物の「天空の大ブランコ」があります。幸いにも今日は月曜日で人出は少なく、我々も乗って漕ぐことができました。



 ブランコに乗りながら動画を撮る。下界には大野原の平野そして瀬戸内海が広がり、ブランコが高くあがると夏空が見えます。

2025年7月15日火曜日

海に入る参道がある日出(ひゅうで)神社

  今日、鳴門市瀬戸町堂浦の日出湾に面した日出神社へ行ってきました。以前は私はこの神社のことは全く知りませんでした。数日前に地元紙に「海に入る参道をもつめずらしい神社」としてこの神社が紹介されていましたので知ったのです。興味が湧いたのでいつか行って見ようと思っていましたが、昨日の大雨から一転、今日はからりと晴れ、比較的涼しい朝を迎えたので出かけました。鳴門駅から讃岐引田行のバスに乗り、小海口(おうみぐち)というバス停で降り、2km強(2.5km)歩いてお参りしてきました。

 国道11号沿いにあるバス停から右に折れて、鳴門スカイラインへ行く道を歩きます。ここらあたりは11号から鳴門スカイラインへ続く道なので、ドライブする恋人たちが多いのでしょう、バス停からちょっと歩くと繁盛しとりげぇなラブホテルがありました。ラブホの名前は「アヒアヒ」です。思わず笑ってしまいました。

 「アヒアヒじゃのうて、よがり声のアヘアヘじゃないんかぃ」とつっこみを入れとうなりました。


 またバス停の近くには櫛木浜という海浜がありますが、ここは今から110年びゃぁも前、第一次世界大戦で(中国の青島戦で)捕虜になったドイツ兵捕虜が海水浴をした浜だそうです。草に埋もれかけてましたがこんな看板が立ってました。


 歩き出してしばらくは海は見えず、四方小山に囲まれたのどかな田園の中を歩きました。トンビがゆったりと滑空していました。左下山際、胡麻粒のようにしか写っていませんが見えるかな?


 20分くらい歩くと日出湾(ひゅうでわん)が見えてきました。


 湾に沿った道をさらに歩くと日出漁港に行く道が、スカイラインから分岐しています。少し歩くと日出神社がありました。



 なるほど!鳥居からでた参道は石段に続き、そのまま海に入っています。



 漁村の小社ではあるが、参道が海に向かいそのまま海中に入っている神社は、ここ阿波ではめずらしい。海に関係する神、あるいは女神かと思ったが、そうではなくて五体ある地神さんの中の大己貴命(おおなむちのみこと)と少名彦命(すくなひこなのみこと)の二柱が御祭神である。いまから350年びゃぁも前、この付近に毎夜怪炎が出るのを村民が恐れ、方3尺の神殿を造り地主神を祀ったのがこの神社の始まりと伝えられている。

 下が動画です。

 道々、ピンクや白の夾竹桃の花が目を楽しませてくれました。下は夏空に向かって雄々しくさく夾竹桃の花です。

2025年6月27日金曜日

内妻あじさいロード

  今日、牟岐町内妻海岸近くにある『あじさいロード』に行ってきました。

 昼飯は、途中の橘町にある海の見えるレストランで特製ハンバークランチ(二つハンバーグが銅プレート皿にのってますが、一つは阿波黒和牛巻きハンバーグです)を食べました。一人前が約2000円、高い!しかし柔らかくておいしく、その値打ちはありました。



 あじさいロードの写真です。向こうには内妻海岸が見えています。2kmにわたって道の両側にあじさいがあります。






2025年6月25日水曜日

あじさい寺

  前のブログのつづきです。22日、極楽寺を訪れ沙羅双樹の花を見た後、バスで向かったのが大毛島・土佐泊にある『潮明寺』別名あじさい寺です。いろいろな種類の紫陽花がその姸を競っていました。






 寺を出て潮騒のする方へ少し歩くと、白砂の美しい海岸がありました。

2025年6月23日月曜日

沙羅双樹(夏椿)の花とうつむき地蔵

  平家物語の冒頭部分に、祇園精舎の鐘の音、諸行無常の響きあり、沙羅双樹の花の色盛者必衰の理を表す~とあります。その「沙羅双樹」の花ですが、本家であるインドの祇園精舎の沙羅双樹の木は、日本では一般的に植えられている花木ではありません(風土の関係で栽培が難しいのでしょう)。日本ではその代わり「夏椿」沙羅双樹の花にみたてて、寺などに多く植えられています。昨日は日本で言われる沙羅双樹、すなわち夏椿が見ごろを迎えているので、鳴門からバスに乗って二番札所極楽寺へ行き、写真を撮ってきました。


 

 夏椿は一夜花で花の命は短く、その儚さが沙羅双樹にたとえられる所以です。木の下を見ると落花がそこここにあります。見終わった後再びバスに乗って帰ってきましたが、帰る途中、池谷駅近くの水田に降り立ったコウノトリを偶然バスの車窓から見ることができ、ちょっと感動しました。


 そして今日はあいにくの小雨の天気でしたが、国府町北井上・東黒田にある『うつむき地蔵』を見に行って参拝してきました。今から215年ほど前に作られた石仏です。県内で一番高い地蔵だそうです。



2025年6月3日火曜日

勝浦・生名から鶴林寺をへてお松大権現まで歩いた

  一昨日の日曜日、勝浦・生名から鶴林寺をへてお松大権現まで歩きました。生名バス停で降りたのが午前10時半、鶴林寺へ登り、険しい遍路道を加茂谷へ下り、那賀川に沿って歩いて、お松大権現のバス停からバスに乗ったのが午後4時20分、約6時間、11~12kmの歩き遍路でした(区切り遍路)

 今日は動画でご紹介します。

2025年5月25日日曜日

こんな岬知ってました?大磯崎

  5月22日、道なき岬を回ってきました。

 陸地の海に向かって伸びている突端は「岬」と言う。この日行ったのはあまり知られていない、そして岬めぐりが難しい岬でした。その名も「大磯崎」、大きな岬ではないが、灯台もある立派な岬です。岬めぐりが難しいと言いましたが、鳴門のサイクリングロードがこの岬近くをかすめ、横切っているので、その道を行けば、まぁ、岬めぐりしたと言えるのでしょうが、突端までいって巡ってくるのは道もなく、磯伝いに行くしかありません。足場となる岩礁をあそこここと見つけつつ、大股で行く、あるいはポンと次の岩礁に飛び移る、しかも大波なんどを避けつつ行かねばならないのでちょっと大変です。だから普通の人は近くを通るそのサイクリングロードを行って岬まわりをしたことにしているのです。(ただし磯釣りの好きな人には良い場所見られていて突端の磯に行く人は多い

 まずその大磯崎といわれる岬を見てみましょう。


 鳥瞰図とサイクリングロードの案内図も添えておきます


  岡崎でバスを降りてサイクリングロードをテクテク歩き、磯に下りて岬を回り、再びサイクリングロードから農道を入り、りゅうきいも(琉球芋)畑(鳴門金時という品種を栽培している)が延々と続く道をさらに歩き、市街に入り市役所前でバスに乗るまで約8km歩きました。

 サイクリングロードから浜に下りたところ、ここらあたりは小砂利の浜が続くので比較的歩きやすい。向こうに白い灯台が見えているがあの真下あたりが岬突端となる。


 しかし岬突端あたりは荒磯で岩礁がつづき、波をさけつつポンポンと飛ぶように岩伝いにゆく、下手に足場の岩を間違えれば、よくてボッチャンずぶ濡れ、悪くすれば足をベシ折るだろう。慎重にゆく。


 ようやく先端部を回り終えた。

 今、四国巡礼が国内ばかりか海外でも有名となり、巡礼に行く人が多いが、少なくとも道と呼ばれる通路を通る、しかし四国遍路の原型となった中世の、四国辺地を行く遊行や修行は、このような道なき磯を苦労しながら歩んだのである。上のような磯をずっと行かねばならぬ室戸岬巡りは大変だったろうなと思う。往古の四国辺地巡りの苦難をこの日はホンのチョッピリ味わった。(四国辺地はシコクヘチと読み、ヘチ・辺地巡りが、遍路・へんろ、と呼ばれるようになったようである

2025年5月15日木曜日

えっとぶりの投稿

  今日、5月15日、加茂谷のお松大権現から歩き始め、約7km歩くと阿瀬比町にでた。ここはいわく因縁のあるところなのである。

 まずは道々撮影した数枚の写真をご覧ください。

 お松大権現はんの近くでバスを降りる。下はお松大権現はん、実は猫を祀った神社である。


 その前にある加茂谷中学校の横を通って県道に抜けるとこのような表示がある。ここから6kmの山道を歩く

 加茂谷という地名のように谷川に沿って集落があり、谷の最底部には清流が流れている。またここは昔石灰岩の採れたところで、ところどころ岩肌が露出しているところは石灰岩で白く見える。



 半分進むと、太龍寺への分岐道があるが、今日はそちらへは行かず、阿瀬比に向かう、分岐点には山の中にかかわらず民宿と喫茶店があった。


 さて、なぜいわく因縁の阿瀬比町なのかというと、今から5年前、太龍寺を参拝して、遍路道を下っていた時、すべって足をベシ折ってしまったのだ。しかし、その場所は急な山道、救急車どころか、急坂で担架も担ぎあげるのは無理だろう。自分で何とかする以外ない、這うようにしてようよう遍路道が国道と交わる救急車の入れる地点にたどり着いた、そこが阿瀬比町なのである。そこから自分で救急車を呼んで、阿南の総合病院へ搬送され、手術、入院となったのだ。そのやっとの思いでたどり着くいたところにあったのが、阿瀬比町のお社である。救急車を待つ間、そこで休み、そのお社に回復を祈った。それから5年もたち、遅まきながら今日、お礼参りをしたのである。下がそのお社。(なお5年前の骨折の顛末はこちらのブログ、ここクリック


 約、二時間半の歩きであった。阿瀬比町にはバス停があるので、さらに一時間余バス待ちをし、そこからバスで阿南市橘町を経て帰る。乗ったバスは、さらに奥にあるほとんど僻地校と言える某高校の生徒の帰宅便なのであろう、ぎゅうぎゅう詰であったが、髭ジイで杖をついていたためか、女子高校生が席を親切にも譲ってくれた。感謝!


5月7日、25km歩いて焼山寺へ

 県内の歩き遍路道はほとんど歩いた(区切り遍路であるが)、で残っているのは神山町から焼山寺への遍路道である。この日7日、その残りの遍路道を歩いた。25kmも歩くのはしばらくぶりである。それも山道である。へとへとに疲れた。もう一週間以上たつが、一応、記録に残しておこうと、今日のブログの付録に加えた。 

 石井町から山越えで神山町阿川に入り、北上角というバス停で降り、そこから往復25kmの焼山寺までの山道を歩く。


 このような山道



 谷に下り、渓流の岩場で一服

 杖杉庵(衛門三郎伝説で有名)までたどり着く、やれやれとホッとするが、まだそこからかなり歩いた。


 里ではすっかり散ってしまったが、焼山寺道では藤が真っ盛りである。下は焼山寺の白藤、また寺の石段の脇はシャクナゲが彩っていた。




 杉の巨木の向こうに焼山寺の本堂が見える。


 参拝の後、また同じ道を下り、神山高校の前から出ているバスに乗る。鮎喰川の対岸に見えるのが神山高校である。