2024年6月25日火曜日

土佐泊を少し歩いた

  アジサイ寺である潮明寺の山門を出て左にとればすぐ土佐泊漁港である。寺では夜、波荒い時などは潮騒の音もよく聞こえるに違いない。海鳥も寺の境内の上に舞うこともあろう。この寺は海辺の寺である。なるほど寺の名に潮が入っているのもうべなるかなである。下は土佐泊漁港のようす。


 漁港のはずれにこんなバス停待合所のような小屋があった。いったい何んぞいな、と近くによると・・ここ土佐泊から対岸の黒崎にわたる渡し舟の待合所である。20分ごとに出航と時刻表が貼ってあったが、客のいないときは出ないようだ。渡し賃は地元民の便宜を考慮し市が負担をして無料である。


 桟橋もなく、たぶん乗客が乗り降りするときに使うのだろう、ステップ台のようなものがポツンと置いてあった。


 そこから戻って、海沿いに造船所の方へ歩くと道横に「小宰相の局の墓」と書いてある棒杭と矢印があった。その矢印の方向を目指していくとかなり急な石段がある。そこを上がるとその墓があった。


 小宰相の局といっても、誰?私は知らない、またほとんどの人もそうだろう。調べると小宰相の局とは源平合戦の時代、一の谷(現在の神戸)の合戦で敗死した平通盛だった女性で、中世に作られた謡曲「通盛」に出てくる通盛妻の小宰相の局は、敵によってここ鳴門まで追われ、夫が討ち死にした絶望もあり、ここで入水したのである。これが史実かどうかはわからないが、その供養のため墓が作られている。下の写真は上の説明版を拡大したもの。


 墓は丘の上にあり、身を投じたといわれている小鳴門海峡の海が見える。


 その墓に上る石段の横には露草がたくさんあり、小さなかわいらしい花をつけていた。


 ツユクサの輝くような青色は「縹」(はなだ)色という。この色は緋色(赤)の撚糸とともに鎧の縅おどし)に使われている。縅とは鎧の材料(鉄の板など)を目立つ色で染めた撚糸でつづりとじてあることをいいます。その縹色の縅、あるいは緋色の縅の色鮮やかさが、日本の鎧を世界でもたぐいまれな美しさに仕上げているのです。ツユクサのあざやかな青を見ていると、その縹色の鎧を思い出しました。小宰相の局の夫である通盛は一の谷の合戦に参戦しました。きっと縹色の鎧を着た凛々しい若武者であったのだろうと想像します。


 もし私に芭蕉翁のような俳句の才能があったなら、小宰相の局の墓に詣でて見たツユクサの花、その縹色、それから連想して縹縅の鎧、その鎧を身に着けた平家の悲劇的な若武者とその後を追い入水した妻、などをイメージした俳句をつくるのだが残念。誰ぞ私に代わってここに詣でて一句つくりまへんか。

 植物とその花の色、そしてそれをもとに武者を詠みこんだ芭蕉の俳句に次のようなものがあります。

 卯の花に兼房見ゆる白毛かな

1 件のコメント:

Teruyuki Arashi さんのコメント...

歴史に詳しいですね