2024年6月1日土曜日

(我拝師山)奥の院の現代の鳥瞰図と江戸期の絵地図をみてみる

  出釈迦寺の奥の院である我拝師山の禅定院(いわゆる奥の院とよばれる)に参拝登山して(5月26日)ほぼ一週間たつ。足の筋肉痛は消えたが、急坂を下るとき足の先端部の靴擦れにより、足の親指の爪をずいぶん痛めた。痛いだけでなく爪の下部組織が紫色になり、爪が剝がれかねないほどになっている。おまけに翌日から右の二の腕から背中上部にかけて神経痛のような痛みが走り(以前あらわれた神経痛様の痛みが解消するのに数か月かかったように)しばらく続きそうな予感がある。これも老体が無理をした結果かなと思っている。しかし、老体を酷使し体も少々痛めたが、山の霊気に触れ、奥の院に参拝できたことで満ち足りた気持ちになったし、また修行というにはおこがましいが、菅笠に示されている「同行二人」のようにお大師様とともに巡礼行ができたと思っている(同行のは、「路・みちく」「修行の」と一体である

 奥の院のある我拝師山は標高の高い山ではないが鳥瞰図を見てもわかるようにかなり険しい。また送電線やコンクリトの土木建造物などの人工物もないため、ちょっと上るだけで深山感があり、山岳修行の場としてはふさわしい。お大師様が幼少の砌、ここに上り捨身行を行ったのもなるほどと頷ける。

 出釈迦寺の方面からの奥の院鳥瞰図 左の高い方の山が我拝師山


 我拝師山を少し右のほうに回り込み、捨身ヶ嶽の崖を見る


 江戸期17世紀末元禄期出版の巡礼行記絵図の木版画より ここで「塔跡」と書かれているところが現在の奥の院場所、右下、水茎岡みずくきのおか)とある場所が、先のブログで西行庵と紹介したところ。


 19世紀初期享和年代1801~1804年)出版の巡礼行記の絵図より、江戸期も後になると前者の絵図よりずっと写実的になっている。左上の峰の少し右、鞍部に奥の院がある。よく見ると小さなお堂が描かれている。


 26日参拝を終え下山し、善通寺へ向かって数キロ歩いて、ふりかえって撮った我拝師山の写真、三つ見えている真ん中の山が我拝師山である。「えらかったけんど、また行きたぁ~い」

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