2023年12月10日日曜日

知人のお爺ちゃんは神としてまつられている

 今日のブログは、78年前に硫黄島で戦没された知人のお爺様に捧げます。

 市内西新浜の辺りはいくつかの川の流れがちょっと入り込んでいて地図をみても面白い。面白いというのは、こんな地図上の地形は「どないなっとんやろ?」と歩いてみたくなる面白さである。まず地図を見てもらおう

 上方を「大松川」が(真横に流れるが堰止められて上へ)流れ、下をそれよりも大きな川の「勝浦川」が右上へ流れている。大松川と勝浦川は細長い堰堤によって区切られている。この堰堤上に道路(県道212号線)が走っている。今日の昼は晴れて少し動くと汗ばむような陽気である。そこでこの堰堤上に道路(県道212号線)を歩いてみた。黄色い矢印。

 まず白丸で示してある「護国神社」へ参ってから黄色矢印の道に入ることにした。護国神社の御祭神は知らない人が多いが、県出身ないし縁故の戦死者、自衛官・警察官・消防士等の公務殉職者を主祭神としている。最も多いのは戦死者である。
 そういえば数日前、知人から彼のお爺ちゃんが硫黄島で玉砕・戦死したという話を聞いていたので、御祭神の名前にあるかしらんと思い、神社を参拝することにした。そこで境内の戦没者記念館を見た。ここには集められる限りの戦没者軍属の写真と名前と展示してある。それを見て回った。ただ写真等は遺族の希望であえて展示していないのもあり、写真からだけではわからない(もちろん写真がないからと言ってもそれは遺族の希望で、写真のあるなしにかかわらずすべて御祭神に祀られているのは変わりない)
 徳島護国神社
徳島戦没者記念館(護国神社の境内にある)

 本殿に参り、横を見ると硫黄島戦没者之碑がたっている。裏を見ると本県の英霊55柱の名前が刻んである。見ると、知人のおじいさまの名前がしっかりと刻んである。

 「知人のお爺ちゃんは、ここで神としてまつられているのだ」

 硫黄島の碑
 碑の裏には55柱の英霊の名がある、その中に知人のおじいさまの名を確認できた。


 御祭神の神としてまつられているのは間違いないとしても、現代、大っぴらにそのことをいう人は少ない。戦争を厭うあまりではあるが、戦没者への尊崇をめぐっても悲しいことにイデオロギーの対立があり、素直に戦死者に対し「崇める、あるいは拝む、もっとも素朴に手を合わす」ということもなにか出来にくい雰囲気がある。しかし共産主義国、社会主義国をも含め、世界のどの国においても国家に殉じた戦没者には尊崇をはらい、それらの施設もある。私は、神としてまつられているであろう知人のお爺ちゃんを含め、この護国神社に祀られているすべての英霊に合掌してきた。

 ちょっと寄り道したが、例の堰堤上の道を歩いた。その堰堤に差し掛かる部分、地図で示した赤の矢印の部分にこんなものがある。

野鳥観察小屋である。この向こうの水面は地図でいうと「大松川水系」である。野鳥小屋に入って覗くと、確かに水面に水鳥の群れがいる。種類は(視力が悪いので)よくわからなかった。

 この堰堤上の道を通って新浜まで歩いたが、道路横はこのようにツタ、カズラ、クズ、ウルシなどが複雑に絡みつき、奇怪な灌木の芸術作品ギャラリーとなっている。

 季節は師走だが、まぁ今日の昼の暖かかったこと!よく晩秋から初冬にかけての暖かい日を「小春日和」というが、それ以上の暖かだった。上着を脱いで歩いても汗をかいた。

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