2021年9月26日日曜日

ゆうえんち

  今日は自転車の遠乗りをしてきた。文化の森駅~法花~北山~方上~渋野までの往復。その目的の半分は秋のサイクリングであったのだけれども、数年来消息が途絶えている人にもしかしたら会えるかも、というのがその半分である。

 いったところは方上から渋野に向かうあたりにある動物園横の遊園地である。なんで遊園地かというと数年前までその人はそこの遊具係のアルバイトをしていたのである。休日、土日のみの勤務であるので今日の日曜日ならもしやいるかと出向いたわけである。

 方上から渋野へ向かうのは登坂でかなりきつい、半分までの登坂は何とか自転車をこいでいてがあんまし苦しいので半分は自転車を押して歩いた。大きなため池のそばにモラエス広場があるがここまで来たら遊園地は近い。なんでこんなところにモラエスのメモリアルが?と思うが実はこの近くにモラエスさんのお位牌の祀ってある寺があるのでそれにちなんだのだろう。


 ススキの化け物のような丈の高い多年草があるがこれはアメリカ原産の禾本科の植物だろう。向こうに遊園地の大観覧車が見えている。


 入り口には秋の季節のお飾りが入場者を呼び込んでいる。まだ一月早いがハロウィン祭り飾りである。


 有料遊具は10以上あり、すべての係員の顔を確かめたが、目的の人はいなかった。数年前にはバイトしていたといっていたが、それ以降消息が途絶えていたのでその間にやめたのだろう。現業の人にこれこれの人知りませんか、とまで聞くつもりはなかった。

 目的の人にも会えず、ぼんやりと遊園地のベンチにすわった。考えると70歳の爺が孫を連れているわけでもなく一人遊園地でポツネンとしているのは間の抜けた姿ともいえるし、またずいぶん孤独な哀愁を感じるではないか。芭蕉翁は、楽しみのために設けられた「鵜飼い」をみて、『おもしろうて、やがて哀しき鵜飼いかな』と発句を詠んだが、これなどは

 『なんのおもしろみもなく、ただただ哀しき遊園地かな』

 であろう。えらい場違いなところに来たものである。

 熊野曼荼羅に人の一生を円環の道に例え、嬰児~幼児~大人~老年~死へと年齢に応じた人が(同一人でだんだん老いていく)その円環の道を進んでいく図がある。遊園地の大観覧車を見ているとその熊野曼荼羅の人の一生の円環の図を思い出した。下が熊野曼荼羅、その上部が人の一生の円環部分


 そして今日の大観覧車


2 件のコメント:

carlos さんのコメント...

 やまさん、すっかり元気になりましたね。たのもしいなあ。

 この前、やまさんが入院していた頃、わたしも入院してました。半月ほどで退院し、また半月後の来週にまたまた入院します。これで3回目です。

 抗がん剤の点滴です。前回の1回目も2回目も副作用が他の臓器を悪化させてしまい、がんの治療としては失敗に終わりました。せっかく点滴した抗がん剤を洗い流すために24時間点滴を1週間連続する始末で、体力がすっかりなくなりました。寝たきりになって、困りました。

 次の3度めの正直の化学療法もどうなるやら。担当医がどうします? なんて患者にきいてくる始末。一般的な治療法で効果がありそうなのは、ないらしい。これからは治療というより「実験」みたいなもんだな。

 しばらくやまさんのブログを見れませんが、また半月したら退院させられるだろうから、楽しみに待ってます。まあ、気持ちだけはがんばるよ。

yamasan さんのコメント...

二度も入院したから、点滴や体から管をつながれて動けない苦しみは身に染みてわかります。手術後の夜、思い出すのも嫌でブログには書いてなかったのですが、尿閉がおこったので膀胱に管を挿入してました。ですが導尿に医師も何度か失敗して尿道を痛め、かつ尿道に管を入れて倍加する痛みは辛抱できる限界を超えていました。
 このときはおおげさでなく死んで楽になった方がいいかとまで思いました。もっとも安易に死なしてはくれないでしょうが、結局、痛みに辛抱できず尿閉の恐れにかかわらず管をとりました。尿閉は幸いなことに起こらず、チョロチョロでもでてなんとか手術の夜を乗り切りました。
 ほんとに死そのものより死ぬほどの苦しみが断じていやです。次回の手術は前立腺になるとおもいますが痛みが正直怖い。
 カルロスさんの入院の状況を読むと決して軽い状況ではないみたいですが何とか苦痛を体験できずに無事退院してあちらこちらに自由に行ける
ことを願っております。