2021年3月11日木曜日

3月11日

  あの東北大震災から今日でちょうどまる10年である。そのころからマイブログを作っていたので見てみると、前日(10日)は「徳島城公園で青春を見る」と題して、春の平和な日そのものの描写であるが、ところが次の日(11日)のブログは、息をのむようなテレビ中継に見入っていて、ごく簡単な記述のみ、したがその日のブログである。

『2011年3月11日金曜日

3月11日午後2時46分

 TVの津波を見て息をのんでいます。信じられないような光景です。人的な被害がないことを祈って・・・・・、しかしTVでは死者の数を報道し始め、それが増えていっています。

 通信がつながりにくいことも言われています。このようにブログの為インターネットを漫然と使うのもはばかられます。今日は慎み、TVを見守りながら、できるだけ多くの人の無事を祈ります』

 結局死者行方不明を入れると2万人近い人が犠牲になった。物的被害は天文学的数字になった。10年たち復興は進んだが、影響はまだ残っている。

 歴史を紐解くまでもなく、戦争、疫病、そして大規模自然災害は繰り返し繰り返し襲ってくる、人類が受ける大災害は、(地球の寿命からすれば)私の生きた70年など須臾の間だろうに、それでもその短い70年の間に何度も起こった、そう考えるとまた近いうちに襲ってくるのが常態であると認識できる。現に今世界的規模でパンデミックが起こり、多数の死者が出ている。

 真の平安、安楽な世は、宗教の説くこの世から離れた天国や極楽のような来世にしかないのであろうか。

 十年前の今日も蜂須賀桜は満開であった。人の気も知らぬげにまことに美しい花をつけ咲き誇っていた。下は昨日の満開の蜂須賀桜並木


 帰りの汽車の車窓を眺めていると、徳島平野の西に今まさに日が沈もうとしている。時刻を見ると5時58分であった。沈む夕日、そして迫りつつある夕闇に向かって走っていると、かなり感傷的な気分に陥ってしまう。


 

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