2020年5月24日日曜日

アマビエさま

 つい最近知ったのだがコロナ疫病退散に御利益があるとして「アマビエ」さまの絵を描くのが流行っているらしい。この「アマビエ」の文字だけを見た時は一瞬、刺身盛り合わせ定食についている刺身の「甘エビ」かとおもった。いったい甘エビならぬ「アマビエ」さまとはどんなお姿なのだろう(描くとしても手本がなければ描けないわな)。

 ネットで調べると170年ほど前の古文書にそのオリジナルはあった。下がその古文書である。

 江戸期の古文書というから絵も文の内容も堅苦しいのかと思っていたが、なんの!ずいぶん漫画チックで笑ってしまった。こんな着ぐるみ人形を作れば今どこかの「ゆるキャラ」としてあっても不思議でない。絵を見るとくちばしのような口、四角の目、長い髪、鱗、下半身は鰭のようにも見える。あまり見たことがないの「者」なのでどういっていいか迷うが、髪の長い女性の人魚のようにも見える。

 説明の文には『夜ごとに海に光り物がおこったため、土地の役人がおもむいたところ、アマビエと名乗るものが出現し、役人に対して、当年より6ヶ年の間は諸国で豊作がつづく。しかし疫病も流行がしたら、私の姿を描き写した絵を人々に早々に見せよ、と予言めいたことを告げ、海の中へと帰って行った』とある。年号は弘化三年とあるから西暦1846年である。

 海中で光るものがあり、それを求めて云々、というのが発端の伝承は各地にある。この徳島にもそれはある。つい最近私がお参りしてきた小松島の金磯弁天縁起にも語られている。『海中の光を求め弘法大師がそこへ行くと・・・』という話になっている。

 またあらわれた異形の者が人に幸をもたらす話も各時代、各地域にある。遥か海の向こうから現れる異形の者は災いより幸をもたらす者が多い。海の向こうには幸せな理想国があるという「常世の伝説」が民間伝承には多く存在するようである。

 そういえば浦島太郎の話も基本的には海中の「良き国」に行った話である。また古事記にある話も、海の向こうから波頭の上にのってやってきた「スクナビコナ」がオホクニヌシの国づくりを助ける良きカミの話である。

 そう考えるとこのアマビエ様の話もこのような民間伝承の話として各時代、各地域にもありそうであるが、時代としては明治にかなり近く、それも目撃者が役人である。この弘化年度は異国船が日本の近海を往来して沿岸警備の意識も高まり、幕府から度々の異国船警戒令が発せられ、海上の監視には特に注意していた時代であるから、役人の大ぼらの話として切って捨てるのにはちょっと戸惑いがある。もしかすると何者かとの遭遇はあったのかもしれない。

 このアマビエ様は「六年間は豊作・疫病を保証する」という意味のことを語っているが、この言葉は意味深である。なぜならばこの六ヵ年が過ぎ去った次の年に、アメリカのペリー艦隊が浦賀にやって来て幕末の動乱の引き金を引くし(1853年)、またさらに翌年(1854年)には恐るべき疫病の「コレラ」が蔓延し多くの死者を出すのである。保障の6年が過ぎると怒涛の如く災厄が降りかかってきたのである。
 (※古文書を読むと豊作は6ヵ年の保証だが、疫病の方は保証期間を区切っていないとも読める。とすると疫病退散には保証期間限定はないから今現代でも有効であると解釈できる。)

 このような民間伝承の疫病退散のお札(この場合はアマビエさまを描くのであるが)は明治も過ぎ大正時代になっても存在し流行したことがモラエスさんの随想録に書かれてある。それは「久松留守」と書いたお札である(詳しくはそのブログ、ここクリック)。さすがに21世紀の今日、そんなものは廃れたと思っていたが、令和の御代でもやはり疫病退散のお札の類「アマビエさま」が流行っていたのである。

 なおアマビエさまは人魚っぽいが、人魚といえばアンデルセンの影響もあってか女性人魚を思い浮かべる人も多いが、日本、東洋では男の顔を持った、あるいは顔は魚で手足が人間という人魚が一般的である。下は中国の『山海経』をもとに描かれた人魚である。


 

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