2020年2月1日土曜日

しょうめんこんごはん

 江戸時代ウチラの地方で流行した大人気の仏さんがいる。「青面金剛」(しょうめんこんご)はんである。田舎を歩けばあちらこちらにそれを刻んだ石仏を見ることができる。田んぼの中の田舎道を歩いていると辻々にこの石仏があるんじゃないかと思うくらい多い。その隆盛ぶりがわかろうというものである。
 以前ワイの作ったブログから写真をあげるとこのようなものである。(これは名西郡神領の青面金剛石仏である)、阿波国の各場所において姿は多少は違っているがだいたい基本はこんな形である。

 みると六臂(手が六本)で法輪(車輪のようなもの)・弓・矢・剣・錫杖・そしてなぜか人間の髪をひっつかんでぶら下げている。足はたぶん「邪鬼」を踏んずけている。石仏の下面に彫られているのは三猿である。

 このような細かいことに注意を向けて観察できるようになったのはここ2~3年のことである。若い時は道端にたくさんある石仏もみんな「おっぞ~さん」(地蔵)の一種かなと思っていたくらいである。その後どうも地蔵とはちょっと違うようだとときどき確かめるようになった。確かに地蔵とは違うようだ、それで次には似ているからお不動さんの一種かなと思っていた。忿怒相で何やら恐ろしそうな格好であるからそう思ったようである。そして最近、ようやくその違いが分かるようになった。このような青面金剛を刻んだ(たいていレリーフ)石塔は江戸時代に盛んになった庚申信仰によって建立されたものであった。建立者は個人、一家である場合もあるが大勢の信者仲間が「講」を組んで立てたものが多い。

 しかし現代のこの日本では庚申講のような組織もなく、庚申信仰もほとんど廃れている。今、路傍の庚申塚に手をあわせている人でも石仏さんの性質はよく知らずに手を合わせている人が多い。さわらぬ神に祟りなし、の逆で、手ぇあわして拝み倒しときゃぁなんかご利益を下さるんじゃないやろか、というような感じであろうか。

 この青面金剛はん、路傍の石仏でしか見かけたことがなかったが3日前に大日寺へ行ったときに仏像としてのちゃんとしたお姿を拝んできた。下のようなお姿である。三つ目でお体は青い、そして蛇を何匹か体に巻きつけている。石仏ではわかりにくかったことである。
 板野・大日寺の青面金剛像

 その説明である。江戸時代作とある

 もともとは中国道教の信仰の神であったようであるが、上の大日寺の青面金剛さんをみると神仏習合の仏である「金剛蔵王権現」さん、あるいは密教の(不動明王も含んだ)五大明王に似ている。

 下が金剛蔵王権現(修験道の御本尊である)

 五大明王(中心にいらっしゃるのが不動明王)

 特に上記の五大明王の中の軍荼利明王(左下の明王)によく似ている。頭が一つであるのは不動明王も同じであるが、手が六本あり頭の数とも一致するのはこの軍荼利明王である。同じ軍荼利明王を別の図で見てみると体に蛇を巻きつけているところもよく似ている。

 前のブログで日本人の信仰心はいろいろな仏の尊格を組み合わせたりまたオリジナルの尊像にインスピレーションを受けてまったく新しい尊像を作ると言ったがこの青面金剛はんもそのようにして作らたものではないだろうか。尊像の古さからいえば、五大明王>蔵王権現>青面金剛、の順なので明王や蔵王権現に影響を受けて青面金剛はんも形作られたのかもしれない。

 大日寺にお祀りされている青面金剛さんは大日寺の本尊の脇仏でもなく大きめのお厨子に入れられて回廊に祀られているだけであるが、青面金剛さんがご本尊となっている寺もある。以前、ブログでも紹介した(天正寺猿神様のブログはここクリック)。猿神様じゃないのかと尋ねて行った佐古の天正寺である。
 本堂前、猿が両脇に控えている。

 本堂の梁には三猿がいる。

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