2024年7月9日火曜日

夏遍路 鶴林寺~太龍寺 山道を歩く

  昨日8日、遍路道を歩いた。ほとんどが山道である。そのルートを下に示す。距離は約10kmだが山道なので起伏がある。峠も二つ越えねばならない。10kmとはいえ結構きつい登りがあり、また気温も湿度も高く、かなり苦しい夏遍路の修行となった。


 勝浦町生名のバス停で降りて歩き始める。時刻は午前8時過ぎ、行く手には夏空とこれから登らねばならない山々が広がっている。太陽が高度を増すとともにだんだん暑くなりそうだ。


 山道のいたるところで見られたのが花をつけたこのねむの木、ド派手なつけ睫毛(それもピンク)のように見える。


 勝浦川と那賀川の分水嶺でもある鶴峠についた。樹木が生い茂っていて、イメージしていた峠からの展望は望めない。ここから鶴林寺へ上る道が分かれているが、そのまま峠を越えて那賀川沿いにある大井部落に降りていく。


 夏遍路(歩きの)をする人は(他の季節と比べ)少ない。この全ルートを通じて出会った遍路さんは女性の歩き遍路一人だけであった。この峠を少し降りたところ出会ってごあいさつしたが、太龍寺までお互い前後になり何度か会った。那賀川沿いの大井地区に降り、那賀川の鉄橋を渡る。水量たっぷりに、広い河原を流れている、汗だくで少しくたびれた体がこの眺めに癒される。


 そこからまた登りの山道に入る。橋を渡って少し行ったあたりで、大人と子供の十数人のグループに会う。ご挨拶して話を聞くと、この山道にあるさまざまなカタツムリを探しているそうだ。小学生の自然学習の一環だろう、引率の先生以外の大人は地元のカタツムリの専門家である。遍路道を重なっているため、一緒に歩く、半時間ほど歩くと彼らの目的地である鍾乳洞のいり口があり、そのあたりにいろいろなカタツムリがいるらしく探していた。


 この鍾乳洞の前を谷川が流れているが、そのあたりが「若杉山辰砂採掘古代遺跡」である。弥生時代から、この谷川から少し上った露頭岩で辰砂を採掘し、を(赤色の顔料)を精製していた。赤の顔料として様々な用途にもちいられたが、普通の顔料ではなく、神秘的といおうか呪術的顔料といおうか、ほかの色の顔料と違い、死後の再生をもたらす祈りをこめて古代墓の石棺、甕棺の内部に用いられたりしている。下の写真の斜面を上がったところにその採掘遺跡がある。



 そこからはひたすら登りの山道、太龍寺への残り1kmあたりが一番苦しい登りだった。ペットボトルの飲み物はすでにカラ、のどはカラカラ、体はふらふら、金剛杖を頼りにしても一歩踏み出すのもしんどい、何歩か歩いては立ち止まり、息をつき、また適当なところで腰を下ろし休む、わずか1kmの上り坂を一時間以上かける。誰にも会わない杉林の山道である。一丁(109m)ごとに設けられている丁石が下に見えているが、なかなか次の丁石にたどり着かない。

 ようやく太龍寺の境内につくが、広大な寺域であるため、まだそこから山門、鐘楼門、太子堂、本堂までは登りが続く。入り口付近ではアジサイが美しい色を見せている。普通アジサイは灌木であるが、このアジサイは見上げるほどの高さになっているため、色と相まって、ちょっと見には北国の街路樹にあるライラック(リラ)の花のようだ。境内の庫裡の前で自販機を見つけたときは、まるで砂漠でオアシスを見つけた心境と同じ、十分水分補給をし、木陰のベンチでひっくり返り、しばらくうたたねする。

 寺域の各お堂を回り参拝を済ます。今回の参拝は、実は4年前に太龍寺参拝し、下りの山道(遍路古道)を降りていた時、足を滑らして、骨折し、入院したことがあった。それ以来の再拝である。無事に回復し、今日ここまで歩いてこられた感謝のお礼参りの意味もあった。

 やれ嬉しや!苦しかった夏遍路(たった一日だが)の歩きもここで終わり、ほっとする。時刻は午後三時に近い。後は下りロープウェイ、そしてバス、もう歩かなくていい。ロープウェイのゴンドラからの、見事に植林された山々とその間をうねって流れる那賀川の雄大な景色を見下ろしながら下りていく。

1 件のコメント:

Teruyuki Arashi さんのコメント...

猛暑の中 凄いです✨