2023年6月8日木曜日

昔の巡礼道をたどる、日和佐道、平等寺~薬王寺

  昨日、目覚めは早く午前四時前、前日まで「歩くぞ」と決めていたが、起きると心身のしんどさもあり、やっぱ、やめようか。と布団のなかでグズグズ。ほぼそちらに傾きかけた。しかし明るくなって布団からでて、昨夜用意したリュックやジュラルミンのステッキを見ていると、再び行く気になった。六時に出て汽車に乗らないと計画した時間に新野駅に着かないのでさっさと体を動かし、衣服、持ち物の支度をしていると、行く気が体に満ちてきた。

 新野駅についたのが午前8時すぎ、ここから歩き始める。まず起点寺の「平等寺」に参拝してから(旧)日和佐巡礼街道、すなわち約350年も前に巡礼僧の真念はんが辿った巡礼道をできるだけ正確になぞれるように行くつもりである。(参照は真念はんの書いた「四国遍路巡礼行記」

 平等寺からほぼ南に延びる田園の道を行く。まだどれびゃぁも歩いていないのに早くも足がだるくなってくる。いけるんかいな?と内心思うが、ゆっくり休みながらひたすら歩けばまぁなるようになる、と心を奮い立たせどんどん進む。農作業する人、また自転車で通るどの人も、歩く私に気づけば、例外なく大きく会釈してくれ、中には声をかけてくれる人もいる。歳ぃいって心もねじ曲がり偏屈ジジイのわたしであるが、優しい地元の人の挨拶にこちらも、ありがとうございます、の言葉もでて、なんか嬉しくなり、あるく力が増してくる気がする。

 私が行きたかった里、そして途中の参拝所のある「月夜の里」に歩みいる。ここがその里じゃとわかったのは、バスストップの表示、そして月夜の名を冠した「遍路休憩所(通称・遍路小屋)である。まだ真新しい遍路小屋でしばし休息、飲み物、パンを摂る。 

 月夜の里、大昔からそう呼ばれてきた里ではあるが、なんともロマンティックな名前だ。おまけに月夜の里にはバスの終点があり「月夜行き」のバスが走っている。なんと!宮崎駿のアニメにでも出てきそうなファンタスティックなバスを想像する。歩き始めてしばらくしてその月夜の終点から折り返して町へ行くバスとすれ違ったが、乗客はほとんど乗ってはいなかった。バスストップの時刻表を見ると一日五本、それも火木土は運休という月夜行きのバスである、ますます謎めいた不思議なバスである。月夜という命名のいわれは、弘法大師伝説に基づくが、明るい月夜を大師の法力によってもたらすのであるから、これも単純に受け止めればファンタジーな話である。

 一つ残念だったのはその月夜の里にある「月夜大師お水庵」にお参りするのを心待ちにしていたのに、脇道にあって、表示もわかりにくかったのでいつの間にか通り過ぎてしまい行けなかったことである。月夜の集落が尽きる頃から上り坂がキツくなり山道に入って、もうすぐかもうすぐかと思っている内に、いつの間にか下り坂となり山を突き抜けて向こうの谷にある「鉦打の里」に行ってようやく過ぎたことに気づいた。引き返すことも考えたが、前日の雨で通ってきた道路は水で足場が悪く、所々小川のようになっている道をいまさら引き返すのは止めた。

 そのかわり鉦打にあるお薬師さま大師堂を参拝した。「月夜大師お水庵」と同じように古くからいわれがある霊験あらたかな小堂である。またそこから福井ダムの奥に入り讃岐にある弥谷と同じ名前の「弥谷観音」に向かいこちらも参拝をした。

 ここまで歩いてきたが6月という雨の季節に入っているからか、歩き遍路の人には一人も会わなかった(結局最後まで誰一人出会わない)、春や秋の季節の良い時期に集中するようだ。

 参拝以外の対象で印象に残ったのは過疎少子化のため廃校になった小学校である。地域の人が整備しているため荒廃感はなく、今は地域の公民館として利用されていてきちんとしているが、校庭の一部に遍路小屋をたて、私のような歩き遍路の便宜を図っている。泊まることも可能なようで、整備された廃校にあるためかいろいろな備品、上水、トイレもそろっている。小屋内部にはここを利用した遍路の参拝札がたくさん貼ってあった。中にはイタリア、ジェノバの誰それ、とカタカナで書かれてある札もあった。だぁれもいない廃校の中にある遍路小屋で休んでいるとちょっと感傷的な気分になる。用途を終わった学校と同じく、老朽化し社会の用途を終えた私の人生と何か同調するのだろうか。遍路小屋から見える所に昔建てた「二宮金次郎」の薪を背負い本を読む銅像がある。~手本はニノミヤァ~キンジロォォォ~、と大昔の唱歌の一節を口ずさんでみるが、再び哀しい感傷が湧き出てくる。大志、立身出世、はるか遠いこどものころ夢見たが今となってはむなしい。

 ここから少し歩けばもう由岐町に入る、大昔の真念はんは一日で月夜の里の手前の遍路宿から薬王寺まで歩いたが、私はとても歩けない(二十数キロある)、今日の終点は由岐駅だ。残りはまた今度、それでも由岐駅まで十数キロ歩いた。自分ながらよくぞ歩けたと思う。この参拝道の歩きが終わった翌日の今日、このブログを書いているが昨日を振り返ると、一日ってこんなに長かったのか、そしてこんなにいろいろなことも体験できるんだなぁ、とちょっと感動している。

 もうこの歳になると人生の指針もヘッタクレェもない、老化にかまけてボンヤリと日を送っているのが現状だ。このまま死ぬのか。お釈迦さんは涅槃に入る(死ぬ)とき残した最後の言葉は「自らを指針とし、また法(ダルマ)を指針とせよ」そして最末期のことばが「たゆまず修行せよ」であった。たゆまずということは老いてもなお努力せよということであり、修行は一生つづくものという言葉であろう。

 四国遍路は(特に歩き遍路)は札所参りも重要だが、歩いて回ることにもっとも重きを置いていて、それそのものが修行と言われている。四国のうち阿波は「発心の道場」、土佐は「修行の道場」、伊予は「菩提の道場」、そして讃岐は「涅槃の道場」と言われている。歩くことは走るほど苦しくはなく、寂しい山道でもいろいろなことを考えながら歩ける。むしろ歩くことで感覚器官や脳が刺激されるためか、歳ぃいってボッとしているときより多くの思考がなせる。遍路を全部打ち果たせば、なにか得られるものがありそうな気がする、いや一回では無理でも、何回でも打つうちに、やがては。とそう思わせるものが歩き四国遍路にはある。

 真言密教では宗教者でなくとも一般人でもできる「修行」の一つとしてこの「歩き遍路」を位置づけている。そしてもう一つの一般人でもできる修行の一つに「阿字観」「月輪観」(ガチリンかん)という瞑想法がある。6月に入って初めての日だったと思うが東の夜空にポッカリとまん丸月が出ていた。美しいなと見つつ、まん丸の月の中に梵語の「阿字」を見る観想(月輪観)を試みた。こちらは歩きながら多彩な考えが浮かぶのとは違い、「我」と自然(もっというと)宇宙全体との一体感を得るべく瞑想する法だ。しばらく見続けていたが、瞑想に入れる兆候は私には全くなく、残念ながら瞑想の修行は私には向いていないようだ。やっぱ、歩き遍路を続けるほうがふさわしい。出来れば歩き遍路の「通し打ち」(全てを一回で回る)したいがなんどもブログに書いたようにまず無理だろうな。

 下の最初は、各地点で撮ったスライドショー、そして次は起点の平等寺と今回の目的地の由岐の昨日の動画です。ご覧ください。


3 件のコメント:

carlos さんのコメント...

やまさん、しばらく更新がなかったので、心配していましたが、今回の投稿を見て、元気なことがわかり安心しました。
体調を考えて、無理せずにこれからも投稿を続けてください。

yamasan さんのコメント...

>>カルロスさんへ

 コメントをいただけて安心しました。私のほうは心身のうち、身はあいもかわらずですが、心のほうが萎えてしまいしばらく更新する気になれませんでした。先日思い切って区切っての遍路(のまねごと)をしたのが良かったような気がします。筋肉はまだ痛いですが気持ちは少し上向いているようです。

 寺、堂、庵、石仏も含め「お薬師さん」が多いのに改めて気づきます。半数以上は薬師如来です。昔から病を癒やす頼みとする人が多かったんですね。私も、自ら、そして兄弟、そして僭越ですが知人(カルロスさんも含め)のため、回るところのお薬師さんに祈願しています。

 22~23番までは20数キロあり、一度では私は歩けないので二回に分け前半部を先日歩きました。何時か分かりませんがまた後半、すなわち由岐から日和佐薬王寺まで歩きます。ちなみに22も23番もともにお薬師さんです。

Teruyuki Arashi さんのコメント...

足は大丈夫でしょうか? クッション性のある靴を履くと疲れが幾分か和らぐかもです。